【本編完結】異能力者の私だって、人並みの青春を妄想してもいいよね!?

長根 志遥

第1章

第1話 ダメ……。もう無理……っ!

(なんで……こんなことに……!)


 熊野桃香くまのももかは、眼前に広げた御朱印帳と向き合いながらも、まだ胸の高鳴りが収まらなかった。

 その理由は、社務所の窓越しに自分を見ている中村塔矢なかむらとうや――同じ高校3年のクラスメートの――が、手伝っている神社にふらりと現れ、あろうことか自分に御朱印を書いてほしいと渡してきたからだ。


(こんなにマジマジと見てて欲しくないんだけど……そんなの言える訳ないし……。集中集中!)


 少しでも目線を上げると彼の顔が目に入ってしまう。そうしないように、意識して御朱印だけを視界に入れる。

 大きく深呼吸して、少しでも心を落ち着かせようとしたけれど、今度は先ほど聞こえた彼からの『心の言葉』が頭に浮かんできて、心が揺らぐ。

 それは桃香が持っている『異能症』によるものだが、塔矢はそのことを知らない。


 普段ならば何でもない作業なのに、手が震えてしまい、なかなか筆が入れられなかった。


(――やっぱダメ。……もう、なるようになるしかっ!)


 いつまでもこうしている訳にもいかず、桃香は意を決して筆を入れた。

 後はもう一気に書き切るしかなく、震える手で筆を走らせる。


「……ふーっ」


 少し蛇行しつつも、なんとか最後まで書き上げた桃香は、心からの安堵と共に大きく息を吐いた。

 墨がしっかりと乾いたのを確認し、御朱印帳を塔矢に手渡した。


「……おまちどおさまでした。初穂料、300円を申し受けますね」

「こちらお納めください」

「はい、確かに。……中村くん、私がここでこんなことやってるの、学校では絶対に言わないでよ?」

「わかってるって」


 桃香は社務所から出ると、まだ少し紅潮した顔で塔矢に視線を向けた。


 これまでこんな出来事が起こるなど、想像もしていなかったことだった。

 もちろん、後にその彼が桃香にとって特別な存在になるということも。


 ◆


 それは高校3年になって最初のゴールデンウィーク。


 桃香は、学校が休みの日は、家のすぐ近くにある神社で奉仕をするのが日常だった。

 その神社は父が宮司を務めていて、将来は彼女も神職を継ぐつもりで、勉強のために手伝いをしていた。もちろん小遣いをくれるというのも大きな理由のひとつだ。


 その日も彼女は長い黒髪を後ろで束ね、白衣はくい白袴はっこ姿で、早朝から神社の掃除をしていた。


 ――そのとき。

 1人の青年が、丁寧にも鳥居の前で小さく一礼して、境内に入ってくるのが目に入った。

 若いのにきちんとしていることに感嘆しつつ、いつものように笑顔で挨拶しようと声をかけた。


「おはようございま――って、ええっ! な、中村くん⁉」


 桃香はその参拝者と目が合い、そしてすぐにそれがクラスメートの中村塔矢であることに気付き、目を見開いて驚きの声を上げた。

 すぐに彼女は「しまった!」とばかりに、慌てて口を手で塞ぐ。

 そして、自分を落ち着かせようとひとつ深呼吸をした。


 名前を呼ばれた塔矢も、すぐに彼女に気付いたようで目を丸くしていた。


「えっ! 熊野……さん、だよね……? 何してるの……?」

「何って……見ればわかるわよね? ここうちの神社なの。その手伝いよ」


 なんとか平静を保ちつつ、桃香はいつもの学校での応対と同じように、そっけない態度で答えた。


「そうなんだ……。大変だね」


 塔矢は呟きながら、見慣れないクラスメートの姿を上から下までじっくりと見た。

 すらっとした彼女は顔立ちもキリッとしていて、誰から見ても間違いなく美人だ。

 ただ普段の制服姿の彼女は、あまり周りとは関わり合いを持たず、冷めた雰囲気を常に纏っている。そのため、積極的に話しかけようとする者はいなかった。


 しかし眼前の彼女が先ほど一瞬だけ見せた表情は、これまで彼が感じていたイメージとは全く違っていた。

 そのギャップに驚きつつも、彼女のその姿が目に焼き付いてしまい、塔矢は無意識にで『すごく可愛かったなぁ……』と呟いた。


(今……なんて……? もしかして私が? ――えええっ⁉)


 その彼の、『声』としては発せられてはいないはずの言葉が、桃香にははっきりと聞こえていた。

 それは、桃香が両親以外の誰にも詳細を話していない、『異能症』によるものだということに、彼女はすぐに気付いた。


 『間近にいる人の強く思ったことが、直接頭の中に声として聞こえることがある』


 それが桃香の持つ異能症だった。

 異能症とは、稀に発症する病気のようなもので、発症した者は常人とは違う様々な異能力に目覚める。

 とはいえ、それを自在に扱える者は少なく、彼女のように自分の意思とは関係なく発現してしまうことが大半だ。

 にもかかわらず、一度でも異能症が発症すると、スポーツへの参加や公務員など一部の職業に就くことは法的に制限されてしまう。

 ――その意味では、まさに『厄介な病気』のようなものだ。


 そして、発症した者には告知義務が課せられ、誰が異能症なのか同級生はみんなが知っている。

 故に、桃香は周りの目を気にして、自分から周りと距離を置くようになっていた。

 もちろん、浮いた話などあるはずもない。


 そんな折、こんな自分が突然クラスメートから『可愛い』と強く思われたという事実に、桃香は激しく動揺してしまった。

 更には、慌てているところを見られてしまったという恥ずかしさも相まって、胸の高鳴りとともにどんどん顔が火照ってきて、視界が霞んだ。


(ど、ど、どうしよう――⁉ お、追い返すわけにもいかないし……っ!)


 桃香は視線を泳がせながら、どう応対すべきか必死で考えようとしたが、すぐに思考が霧散してしまって何も考えがまとまらない。


「えっと……熊野さん?」


 そんな彼女の様子を訝しむように、塔矢が声をかけた。


「――ふあっ? ……あっ……な、なんでもないわっ!」


 桃香は慌てて手を振って否定するが、声は明らかにうわずっていた。


 普段クラスでも常に落ち着いている彼女が、一度も見せたことのない姿に驚きもあったが、それ以上に塔矢は心が射抜かれてしまった。

 目の前で顔を真っ赤にして戸惑っている彼女があまりにも可愛くて、目が釘付けになりながらも、心の中でしみじみと呟いた。


『熊野さん可愛すぎる……。本当はこんな子だったんだ……』


 その言葉がまたしても勝手に彼女の頭に流れ込んでくる。


(はうぅ……! ダメ……。もう無理……っ!)


 完全に限界に達してしまった桃香は、思わず両手で顔を押さえてその場にうずくまった。


 全く恋愛経験のなかった桃香は、そんな目で男性から見られた経験もないし、ましてや目の前で直接言われるなど、当然初めてのことだった。

 しかも、今回のように無意識に発せられた心の声は嘘がつけない。

 だからお世辞などではなく、彼が本心からそう思っているのは間違いないのだ。


 ――それを思えば、もう真っ直ぐに彼の顔を見ることなど、とてもできなかった。


「はぁ……はぁ……。ちょっと……ごめん」


 彼に謝りつつも、地面を歩くアリをじっと見つめて、必死に落ち着こうと息を整える。

 その様子に、具合でも悪いのかと心配になった塔矢が声をかけた。


「熊野さん、大丈夫……?」


 心配する感情の方が大きくなったのか、塔矢の言葉はそれ以上頭には入ってこなかった。


 桃香はしばらく深呼吸して自分を落ち着かせると、ようやく表情を整えることに成功する。


(うん、大丈夫。きっと大丈夫! がんばれ私……っ!)


 心の中でそう唱えながら、桃香はゆっくりと立ち上がると、彼に視線を向けた。

 学校では意識して見ることなどなかったが、背はそこまで高くないにしても、意外としっかりした体格に見えた。


(そういえば確か……)


 このクラスメートの青年も、自分と同じく異能症持ちだったことを思い出した。

 だから自分のことも奇異の目で見ないのかもしれない。


 桃香は努めていつも通りの口調で塔矢に答えた。


「――ごめんなさい。もう大丈夫よ。で、中村くんはなんでここに?」

「ええと。僕は御朱印集めが趣味で。ここ書いてくれるって聞いて来たんだ」

「高校生らしからぬ趣味ね。……でも今日はお父さんいないし、出直して来た方がいいわよ」


 普段、父がいない時は自分が書いていたが、今の自分の精神状態で落ち着いて書く自信はなかった。


「うーん、ここ遠いからなぁ……。口コミで女の子に書いてもらったってあったし、それってもしかして熊野さんじゃないのかなって」


 しかし塔矢はそう言うと、自分の持つ御朱印帳を桃香に差し出した。


「はうっ……! それは……たぶん私のこと……だとは思う……」

「なら、書いてくれたら嬉しいな。……熊野さんが書いた御朱印のほうが良いし」


(ううぅ……。今うまく書ける自信ないのに……)


 桃香は悩んだものの、結局頭を下げる塔矢から御朱印帳を預かることにした。


 ◆


【あとがき】


 第1話を読んでいただいてありがとうございます。

 見ての通り三人称で書いていて、主人公ふたりのそれぞれの視点で物語が進んでいきます。

 コンテスト用に執筆した関係で、約12万文字、文庫本1冊分ですっきり終わります。


 次回以降、どんどん甘々のデレデレになっていく桃香を愛でてあげてください(笑)

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