第28話 えっと……その……。

「――な、な、なにしてるの! お兄ちゃん!」


 うつ伏せになった桃香に、上からのしかかるようにしていた塔矢を見て、凛は大声を張り上げた。

 ちょうど腰のマッサージを終えたところで、凛からはお尻を触ろうとしているようにしか見えなかった。


「い、いや! これは……!」


 塔矢は慌てて桃香から飛び退いて弁明を試みようとするが、その間に凛が桃香を庇うように入って睨みつけた。


「ケダモノっ! ――こんなすぐに熊野先輩に手を出すなんて、信じられないっ!」

「だから違うって!」

「何も違わないっ! ……熊野先輩、大丈夫ですか? 怖かったですよね……?」


 マッサージが気持ちよくてまだ上気した顔の桃香は、戸惑いながら無言で頷いた。

 桃香は「大丈夫」に対して頷いたつもりだったが、凛はそれを「怖かった」に対して頷いたと受け取って、さらに塔矢を追求する。


「ほらっ! 熊野先輩も怯えてますっ!」


 完全に誤解されているのをなんとかしようと、塔矢は桃香に助けを求めた。


「誤解だって! 桃香、助けてくれ……」


 急に名前を呼ばれた桃香だったが、どうすればいいのかわからず、視線は宙を泳ぐ。


「あぅ……えっと……その……」


 完全に脳内が飽和してしまった桃香は何も答えることができず、口をパクパクとさせるだけだった。

 彼女がこうなると、落ち着くまでしばらく掛かるということを知っていた塔矢は、とりあえず2人を残して部屋から脱出することにした。


「――あっ! こらっ! 逃げるなっ!」


 凛からの罵声を背に、塔矢は急いで扉を閉めて階下へと逃げた。


 ◆


「大変な目に遭ったな……」


 一旦家から出て、家の近くで身を潜めながら、塔矢は呟いた。

 時間が経って桃香が落ち着いたら、凛にうまく説明してくれることを期待して、しばらく様子を見ることにする。


(そうだ。桃香に伝えておくか……)


 そう思って、まだ自室にいるであろう桃香に考えを伝えようと集中する。


『――桃香、聞こえるか? 凛には付き合ってるの教えてもいいから、なんとか説明してくれ。解決したら戻るから、スマホに連絡いれてくれ』


 これで彼女には伝わっただろう。

 そう考えて、塔矢は塀に寄りかかって、桃香からの連絡を待つことにした。


 それから5分ほど経ったとき、塔矢のスマートフォンに1通のメッセージが届いた。

 桃香からだった。


『ごめんね。もう大丈夫……と思う』


 塔矢はそのメッセージを見て、『と思う』の部分が少し不安だったが、家に戻ることにした。


「あ、ケダモノが戻ってきた」


 リビングで顔を合わすなり凛にそう言われて、本当に大丈夫なのか心配になった。

 桃香がいないのを見ると、そのまま自室にいるのだろう。


「熊野先輩から聞いたわ。私に隠して付き合ってたんだって? ……なんで最初から言わないのよ。だから変なことになるの」

「それは……悪かったよ」

「まあいいわ。熊野先輩の顔を立てて、許してあげる。……お茶入ってるから、一緒に食べましょ」

「ああ。桃香を呼んでくる」


 ほっと胸を撫で下ろして、塔矢は2階の自室に行った。

 自室に入るなり、少し落ち込んだ様子の桃香が塔矢に顔を向けた。


「ごめん……。迷惑かけちゃったね」

「誤解も解けたし、気にしなくて良いって。お茶入ってるから行こ」

「うん」


 塔矢は桃香の手を取ってベッドから立たせると、そのまま手を引いて、彼女を強く抱きしめた。


「――塔矢くん……?」

「よしよし。……気を遣わせてごめんな」


 抱きながらそっと頭を撫でると、桃香は嬉しそうに彼の胸に顔を埋めた。


「んふふ。……やっぱ本物の方が良い匂い」

「そ、そうかな……。そろそろ行こうよ」

「ん、わかった」


 抱きしめられたまま、見上げるようにして頷いた桃香に、塔矢は軽くキスしてから体を離した。


「塔矢くん、こんなドキドキさせたまま下行こうって酷いよ……」


 そう言って桃香は恨めしそうに口を尖らせた。


 ◆


「おっそーい!」

「ごめんごめん」


 リビングに降りると、今度は凛が口を尖らせていた。

 謝りながら、2人は並んでソファに座る。


「……ごめんなさいね。言うのが恥ずかしくて」

「いえ、私こそすみません。うちに来られた時点で気づけって話ですよね」


 桃香が謝ると、凛は苦笑いしながら答えた。


「ふふ、そうね。付き合ってもない男子の部屋に2人っきりって、普通ないわよね」

「ですよねー。しかもミニスカで。……いつ頃から付き合ってたんですか?」

「ええと、1ヶ月くらい前かしら。凛ちゃんが倒れた頃……」


 それを聞いて、凛はなるほどと気づく。


「あ……。一緒にお見舞い来てくれたときも、もしかして……」

「ええ、実は……」

「なぁんだ。あの頃からモヤモヤしてたんですよね。お兄ちゃんは毎日妙に楽しそうだし……」


 ようやく謎が解けたとばかりに、凛は塔矢の方に視線を向けた。


「修学旅行で自分の分だけ可愛いコップ買ってくるし。似合わないって思ってたもん。……熊野先輩のチョイスですよね?」

「え、ええ。そうだけど……」


 ずばり指摘された桃香が頷く。


「やっぱり! ……まぁ、でも熊野先輩で良かったです。先輩、すごくしっかりしてそうですし。それに……あっ、いえ……」

「……そうね。私も異能症だから……」


 凛が言おうとして口をつぐんだ続きを、それを察した桃香が呟いた。


「す、すみません……」

「ううん、良いのよ。私は気にしてないわ」


 平然と桃香は言う。

 それは本心でそう思っていた。

 なってしまったことを以前は恨んでいたが、今はそうではなかった。

 異能症だったからこそ……塔矢と今こういう関係になれたのだから。

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