第36話 望まぬ対戦

 ――その少し前。


「――こんなもんか?」

「ああ、そうだな。そこで良い」


 加藤に頼まれたのは、柔道部の部室の片付けだった。

 彼の他にも数人、引退した部員がいたが、3年だけではあまりにも人数が少なく、塔矢もその手伝いをしていた。


「それじゃ、次は?」

「配置を変えるから、その棚を一度外に出してもらえるか?」

「わかった」


 加藤が指差した空の棚を、塔矢が1人で運ぼうとする。


「結構重いぞ、1人で大丈夫か?」

「ああ、このくらいなら……」


 塔矢はそう言うと、力を入れて持ち上げる。

 確かにかなり重いが、なんとか運べるくらいの重さだった。

 ぶつけないよう慎重に運び、開いた扉から廊下に運び出す。


「……ふぅ。結構重かった――」


 塔矢が独り言を呟いたとき――。

 突然、脳内に見慣れぬ光景がて、彼の頭に鈍痛が走った。


(な、なんだ……⁉ 今までと違う……)


 それは断片的に何かが視えていただけの今までと違い……痛みを伴ったものだった。

 後ろから殴られたような、そういう痛みが明確にある。

 そして、それと同時に女の悲鳴が響き渡る光景。


(……まさかね)


 気にしすぎかもしれないが、その悲鳴が桃香の声に似ているように思えて仕方がなかった。

 ただ、少なくともこの近くで何かが起こるのは間違いない。


「――加藤、悪い。ちょっと熊野さんに呼ばれたから、行ってくる。後でまた来るよ」

「あ、ああ……」


 塔矢は居ても立っても居られず、手伝いを切り上げて、桃香がいるはずの茶道部の部室に向かった。


 ◆


「あれ? 高橋先生……」


 塔矢が茶道部の部室の扉をノックして入ると、中にいたのは桃香ではなく担任の高橋先生だった。

 また、部室の中には、塔矢とお揃いのキーホルダーが付いた桃香の鞄がそのまま残されていて、彼女がまだ帰ったのではないことがわかった。


「中村か。どうしたんだ?」

「熊野さんを迎えに来ただけです。……どこに行ったか知ってますか?」

「いや、わからないな。私が聞きたいくらいだ」


 高橋先生はそう答えて、部屋の中を見回した。


「……先生はなぜここに?」

「ん? あぁ……校内を見回ってたら鞄があったから、誰か残ってるのかと気になってな」

「そうですか」


 その答えに納得して、桃香に連絡を取ろうとスマートフォンを取り出した。


(あ、メッセージが来てる……)


 自分が気づいていないうちに彼女から連絡があったようで、塔矢は何気なくメッセージを開いた。


『助けて。部室に鞄取りに戻れなくて。高橋先生が凛ちゃんとかの事件の犯人。間違いない』


 それを読んで塔矢は驚いたが、できるだけ顔には出さないようにしつつ、何もせずにスマートフォンを仕舞った。

 桃香が『間違いない』と断言するからには、確実な証拠があるのだろう。

 そして、ここに彼女の鞄があって、高橋先生がいる意味を考えると――恐らく桃香がそれを知ったことを先生も知っている。

 そう考えて、どうするべきか考えを巡らせた。


「――どうした、中村?」


 不意に高橋先生から声をかけられて、塔矢は顔を上げた。

 心なしか、先ほどより近づいてきているような気がした。


「あ、いえ。なんでもありません」

「そうか。……そうだ、熊野さんを呼んでもらえないか? 早く帰ってもらわないと、見回りが終わらないから」


 高橋先生にそう促され――塔矢がスマートフォンを取り出そうとしたとき――。


「おーい、塔矢いるか?」


 いつの間に来ていたのか、塔矢の背後から加藤が声をかけた。


「加藤――!」


 塔矢が慌てて振り向こうとして――それよりも先に動いたのは高橋先生だった。

 一息で何も知らない加藤との距離を詰め、そして右の掌を彼の顔の前にかざした。


「――堕ちろ」


 一言、そう呟いたあと……加藤は虚ろな目をして、ただぼーっと立っているだけだった。


 ◆


「――高橋先生!」


 塔矢は急いで2人と距離を取る。

 しかし、部室の入り口は高橋先生と加藤で塞がれていて、部屋から出ることは難しそうだ。


「ふ。なぜか熊野に気付かれたときは焦ったが、まだ私にも運があるようだ」

「……異能持ちだったのか……!」


 苦々しい顔で塔矢が聞くと、高橋先生は口角を上げた。


「どうせ後で記憶は消させてもらうからな、良いだろう。……そうだ。といっても、自分も気づいたのは最近だがな」

「記憶を消したりできるのか……」

「それだけじゃないぞ。自由に操ることもできる。……お前は加藤に勝てるかな?」


 高橋先生が顎で加藤を促すと、虚ろな目で塔矢に向いた加藤は柔道の構えを取った。

 3年ぶりに加藤と向かい合う塔矢は、忌々しく思う。

 いつかまた本気で対戦したいと思ってはいたが、こんな場であることは望んでいなかった。


「――なぜ、最初に僕を操らなかった?」


 塔矢も構えつつ聞いた。

 最初に部室に入ったとき、塔矢はそこまで警戒しておらず、その隙なら操れたのではないかと思ったからだ。


「……いろいろ試したが、どうやら異能持ちには効きが悪くてな。一瞬では堕とせん」

「なるほどな……」


 桃香が逃げられたのも、そういう理由があったのかもしれないと納得できた。

 しかし『一瞬では』という言葉を信じるなら、自分が加藤にやられたならば、時間をかけて異能を行使するだろう。

 それは避けないとならない。


「――加藤、しばらく頼んだ。最悪、死んでしまってもかまわん。……友達同士のケンカに過ぎないからな」


 高橋先生は加藤に声をかけると、ふたりを残して部室を出た。

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