第40話 どうにゃ!

 それからの夏休み、補習が休みのときは、毎日のようにどちらかの家に通うのが日常になっていた。そして、8月に入った頃には宿題も終わって、受験勉強にシフトした。

 お盆前には塔矢の頭の抜糸が済んで、ようやく気兼ねなく日常生活が送れるようになっていた。


 今日も塔矢の部屋に来た桃香は、彼の髪を掻き上げて傷を覗き込みながら、安堵した声を漏らした。


「ん、傷跡はそんなに目立たないね。……良かった」

「坊主にしたら目立つだろうけど、髪があるうちは大丈夫かな」

「そうだね。……塔矢くんって、お父さん禿げてるの?」

「少し薄くなってきてるかな……。夜は帰ってると思うから見たらわかるよ」


 彼の話を聞いて、将来どんな感じになるのかを想像しようとしたけれど、いまいちイメージが湧かなかった。


「それじゃ、私は着替えるけど……どうする?」


 桃香は持ってきた浴衣を専用のバッグから取り出して、彼のベッドの上に広げながら聞いた。


「見ててもいい?」

「……ちょっと恥ずかしいけど、別にいいよ」


 桃香が少し照れながらも小さく頷き、おもむろにTシャツを脱ぐと、今まで見たことがないあっさりとした下着が露わになった。


「なんかいつもと違うんだね?」

「ん。和服のときはあんまり目立たないように、こういう専用のブラがあるんだよー」

「へー、そうなんだ。……あれ? 初めてのときって白衣だったけど、普通だったような……」


 塔矢が思い返しながら呟くと、桃香は顔を真っ赤にして言った。


「あ、あのときは……っ! もしかしたら……って思ってたから……!」


 初めて彼を受け入れたあの日、桃香は朝からそういうことになるかもと期待して、下着にも気を遣っていた。

 だから、彼女が白衣のときは和装用の下着を身に付けるのが常だったが、その日に限っては普通の下着にしていたのだ。


「そうだったんだ……」

「いわゆる勝負下着ってやつだよ。あはは……」


 そう言いながら、スカートを床に落として完全に下着だけになると、すぐに和装用の肌着――長襦袢じゅばんを羽織った。


「これはいつもの白衣の下に着てるのと同じだよ。キャミソールみたいなものかな。この上に白衣を着て、袴を履いたらいつもの格好」


 桃香は説明しながら、塔矢の前でクルッと回ってみせた。


「なんか……下着が透けてて……」

「にゃはは。今はダメだよ。……帰ってからね」


 桃香はいたずらな笑みを浮かべながら、濃い緑色の布地に大きな白い花柄が描かれた浴衣を手に取り、そっと羽織った。

 そして手慣れた様子で着付けていく。


「もしかして、好きな色聞いたのってこれ?」

「半分はそうだよー」

「半分?」

「ん。……もう半分はまだ秘密にゃ」


 最後にオレンジ色の帯を締めて、桃香は部屋のスタンドミラーを見ながら細かいところをチェックしていた。


「これって、今日のために買ったりしたの?」

「うん。何着かは持ってたけど、どうせなら塔矢くんに喜んで欲しいから」


 桃香は結わえていた髪を一度解いて、高い位置でポニーテールに結び直す。

 その上に、大きな薄黄緑のリボンの飾りを付けた。


「――完成! どうにゃ!」


 そう言って桃香は両手を軽く広げて、塔矢に向き直った。

 その瞬間、括った髪がふわっと揺れるのに、目を奪われる。


「……ヤバい。めっちゃ可愛い」

「にしし、ありがとっ。……仕立てた甲斐があったよー。塔矢くんは浴衣持ってないの?」

「うん。着る機会があんまりないから」

「私、家でもたまに着るんだよ? 今度から塔矢くんも浴衣着ようよ。塔矢くんの体格なら絶対似合うから」

「そうかな?」

「うん! 私が保証するよっ!」


 ◆


「熊野先輩、めっちゃ可愛いです!」


 塔矢の部屋から出て、リビングで顔を合わせた凛は開口一番に叫んだ。


「ふふ、ありがとう。凛ちゃんは祭りには行かないの?」

「このあと友達と行きますよ。浴衣は着ませんけど。持ってないし……」

「あら、残念ね。今日は持ってきてないけど、次の機会に言ってくれたら貸してあげるわ」

「え、良いんですか? ……あ、でも汚したら大変だから……」


 凛はそのことを心配しながら呟いた。


「心配しなくてもいいわ。着古してるのとかなら、少しくらい汚しても良いから。暗いときは目立たないし」

「そうですか……。なら、今度よろしくお願いします」


 頭を下げる凛に、桃香は優しく微笑みかけた。


『こうしてるときは本当、別人だよなぁ……』


 横でしみじみと塔矢が思い浮かべると、桃香は彼をちらっと見ながら小さくウインクした。


「それじゃ、母さん頼むよ」


 キッチンにいる塔矢の母――朱美あけみに声をかけると、時計を見ながら言った。


「あら、もうこんな時間。ちょっと待ってね、準備してくるわ」


 朱美はスリッパをパタパタとさせ、自室から鞄を持ってきた。

 そして、桃香を見て感嘆する。


「熊野さん、すごく綺麗なのね。凛から話には聞いてたけど……」

「ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」


 桃香は優雅に頭を下げると、小さく微笑んだ。


「全然気にしなくて良いわ。今日泊まって行くって話、本当に大丈夫?」

「ええ。ご迷惑おかけします」


 夏祭りのあとだと夜遅くなるうえ、桃香が一人で帰るのが心配ということもあって、今晩は塔矢の家で泊まることになっていた。

 塔矢が相談したときは両親ともに難色を示したが、凛が強く後押ししたことで、なんとか了承を取り付けたのだった。

 とはいえ、実際に初めて顔を合わせると、優等生的な桃香の立ち振る舞いを見て、歓迎ムード一色になっていた。


「それじゃ、行きましょうか」

「うん。母さん、よろしく」


 ◆


「それじゃ、帰りはバスでね。駅までは迎えに行くから」

「うん。また電話するから」


 二人を降ろした朱美は、塔矢に声を掛けて帰っていった。

 花火大会のあとの会場付近は渋滞が酷いこともあって、二人はシャトルバスで駅まで行って、そこへ迎えに来てもらうことにしていた。


「やっぱ人が多いね。うちの方と違って……」


 桃香が周りを見渡しながら感想を呟いた。

 夏祭りの会場は2つに別れていた。

 今日は市内の商店街と近くの市営公園で昼間からイベント。そして夕方以降は港の近くで、花火大会が開催される予定だった。

 そのふたつの会場間はシャトルバスも運行されていたが、人が多いのを予想して、そのくらいなら歩こうと2人で相談済みだった。


「そうかな。あんまり他の夏祭りには行ったことないから。……そういえば桃香の神社も夏祭りはあるんだよね?」

「もちろんあるよ。今年はもう終わったけどね。平日だったし……」

「あ、そうなんだ。どんなことするの?」


 塔矢が疑問に思って聞く。

 いま来ているような、いわゆる町を挙げての大きなイベントだというイメージを持っていたからだ。


「たぶん、塔矢くんの思ってるのとは違うかな。秋祭りは大きいけど、夏は結構地味。氏子の人とかいっぱい来てお祭りをするんだけど……別に屋台が出るわけでもないし、終わってからみんなでお酒飲んでワイワイするくらいかなぁ」

「へー。一度見てみたいなぁ」

「にしし、そのうちいくらでも見れるんだから、慌てなくても良いよっ」


 桃香はそう言うと、塔矢の手を掴んで「行こう!」と引っ張った。

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