第44話 きっと大丈夫。

「商店街を抜けたら急に静かだね」


 まだ寝苦しいほどの暑さではあるが、ふたりはのんびり並んで歩いていた。

 たまに吹く夜風が、汗ばむ顔に当たって気持ちいい。


「そうだね。今日はまだまだ人が多いけど、普段はシーンとしてるよ」


 周りには自転車で帰る人たちや、自分達と同じように歩いて帰っている人がまばらに目についた。


「ちょっと暑くなってきたよ。意外と浴衣って風抜けないから……」


 桃香は歩きながら団扇で煽ぐ。

 逆に塔矢は普段から運動をしていることもあって、少々の汗は慣れていたし、桃香より薄着でもある。


「休憩する? そこのコンビニでアイスでも買おうか?」

「ん、いいねっ」


 笑顔で頷く桃香の手を引いて、交差点のコンビニに入る。

 入った途端、エアコンの風が顔に当たって、すーっと冷えていくのが気持ちいい。


「んー、これは……気持ちいい」


 桃香も同じような表情で、浴衣の胸元を少し浮かせて、団扇でパタパタと風を送っていた。


「ここなら車もそんなに多くないみたいだし、母さんに迎えに来てもらおうか?」

「塔矢くんの家まであとどのくらい?」

「あと30分くらいかな……」


 それを聞いた桃香は少し考えてから、首を振った。


「そのくらいなら歩くよ。できるだけ迷惑かけたくないから」

「わかった。じゃ、アイス買おうか」

「ん」


 ふたりはそれぞれ好きなアイスを手にレジへと向かい、桃香は塔矢の分も一緒に支払いをした。


「……ごめん」

「宿泊代の足しだよー」


 そう言って桃香は片目を瞑って笑う。


「冷たー」


 桃香はポピュラーな棒アイスを口にすると、その冷たさに肩をすくめて目を閉じた。

 そういう何気ない仕草も、初めて見る彼女の姿であって、まだまだ知らないことばかりだということにも気付く。

 塔矢の視線に気付いた桃香は、不思議そうに聞いた。


「……? どうしたにゃ?」

「ううん。いつも桃香のこと見てるつもりだったけど、まだ知らないことがいっぱいあるなって」

「んー、私もだいぶ塔矢くんのこと知ったけど、まだまだ全然だよ。……だから楽しいんだと思うよ」


 桃香は言いながらも、溶けないようにアイスを口にする。


「そうだよね……。一緒に住まないとわからないことも、いっぱいあるんだろうし」

「……それじゃ、高校卒業したら一緒に住む?」


 塔矢の顔を覗き込みながら、桃香は呟くように聞いた。


「それは……」


 躊躇するように塔矢が言うと、桃香が続けた。


「塔矢くんが良ければ、だけど。大学に通うの結構遠いし、近くに下宿した方が楽だよ。……でもひとり暮らしだと、料理とか洗濯とか大変だし、塔矢くんに会う時間減るし。……一緒に住んだら全部解決、だよ?」

「そりゃ、確かに……」


 彼女の言っていることはよくわかるし、塔矢もできるならそうしたいと思う。

 ただ、そんな簡単に頷けるような話でもなかった。


「まぁ、私もお父さん説得しないといけないけどね。あはは……」

「問題はそこだよね」


 苦笑いする桃香に、塔矢も頷く。

 結婚しているならともかく、そうでもない男女がいきなり同棲するというのは、簡単に両親が頷いてくれるとは思えなかった。


「――でもきっと大丈夫。絶対に説得してみせるから」


 そして桃香は左腕に付けている時計をそっと撫でた。


 ◆


「あれ? お兄ちゃん?」


 コンビニに寄ったあと、人気の少なくなった夜道を歩いているとき、自転車でそこに通りがかったのは、妹の凛とその友達だった。


「シャトルバス乗るって言ってなかった?」

「そのつもりだったけど、すごく人が多かったから」

「ふーん……。あ、なつめちゃん。お兄ちゃんは知ってると思うけど……」


 凛が友達のなつめに目配せすると、桃香が先に笑顔で口を開いた。


「はじめまして。熊野よ」

「あ、すみません! 田中なつめって言います。はじめまして……」


 なつめは慌てて挨拶を返すが、そのままぼーっと桃香の顔を見ていた。


「……どうしたの?」

「い、いえ……。すごく綺麗だなって……」

「ふふ、ありがとう」


 桃香が礼を言うと、続けて凛が口を開いた。


「熊野先輩、足は大丈夫ですか? ……ここまで結構歩いたんじゃないかと」

「ええ、大丈夫よ。このくらいなら慣れてるから」


 凛に向けて下駄を見せつつ、小さく笑った。


「もし良かったら、私の自転車貸しますから、お兄ちゃんに後ろ乗せてもらったらどうでしょうか?」

「そうね、どうしよう――」


 桃香が塔矢に意見を聞こうとしたときだった。


『――桃香! それはやめた方がいい。一緒に帰るように言ってくれ』


 突然、頭の中に塔矢の声が響く。

 急なことに桃香は一瞬驚いたが、すぐに落ち着いて凛に言った。


「あ、でもあと少しだし、私は大丈夫だから。……せっかくだし一緒に帰らない? もっと話がしたいし……」

「そうですか? 熊野先輩がそう仰るなら……。なつめちゃんどうする?」


 そう言うと凛は自転車を降りながら、なつめに聞いた。


「うん、私もすぐそこだから、一緒に歩いてもいいよ」


 それを聞きながら、桃香は塔矢の方をちらっと見た。


『ありがとう。さっき、自転車と車の事故が視えて……もしかしたらって。周りに気をつけてて欲しい』


 すかさず塔矢から先程の意図が教えられて、桃香はもう一度小さく頷いた。


 ◆


「へー、熊野先輩って、神社の人なんですね。あ、だから下駄も慣れてるんですね」

「そうね。神社だと下駄じゃなくて、雪駄せったっていう草履みたいなものだけど。でも鼻緒があるのは同じだから、それで足が痛くなったりはしないわ」


 凛は桃香の話に感嘆した様子で、相槌を打ちながら人気のない道を歩いていた。

 以前、凛が茶道部に来たとき神社の話をしたことがあったが、その時の記憶が凛には残っていなかった。


「あー、だからお兄ちゃんがこんなに熊野先輩ラブなんですね。完全に理解しました……」


 ジト目で塔矢の方を見ながら、凛がそう呟いた。

 凛は塔矢の趣味を知っているからだ。


「はは……。それだけじゃないけどな」


 苦笑いする塔矢を見て、桃香が口元を緩めた――そのとき。


 後ろから来た一台の青い軽自動車が4人を抜いたところで、道路脇に停車した。

 そして、運転席の窓が開いて女性が顔を覗かせる。


「――中村さん、帰り?」


 それは凛の担任の先生である、吉村先生だった。

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