第10話 あうあうあう……。
「失礼しまーす! って、あれ? お兄ちゃん……?」
ノックのあと、すぐに入ってきたのは塔矢の妹の凛だった。
離れて座っている桃香と塔矢のそれぞれに目を遣ると、不思議そうに首を傾げた。
「あら、凛ちゃんじゃない。今日は来るって連絡はなかったと思ったのですけど?」
さっきまでの桃香とは別人のように、落ち着いた口調で聞いた。
「ええと、すみません。急に思いついて来てしまいました。……あの、熊野先輩、顔が赤いですけど体調でも……?」
「え? ……ええっと、特に問題はないわよ?」
内心では心臓が飛び出るかと思うほど焦っていたが、必死でいつもどおり振る舞おうとする。
とはいえ、上気した顔までは隠せていなかった。
「そうですか。……それにお兄ちゃんも、茶道部にどうしたの?」
「あ、えっと……帰ろうとしたときに、せ、先生に頼まれて、熊野さんに届け物を……」
「ふーん……? ……嘘でしょ、それ」
凛は含みのある表情で、塔矢に言った。
慌てて桃香がそれをフォローする。
「り、凛ちゃん、本当なのっ。私がノート忘れてしまったから……」
「そうなんですね。……まぁ、先輩が言うなら……」
ようやくそれで納得したのか、凛は畳に座った。
「そ、それじゃ、熊野さん、僕は帰るから」
「ええ、ありがとう。
笑顔で小さく手を振る桃香に、塔矢も手を上げてから部室を出た。
塔矢の足音が遠ざかるのを確認し、残された桃香に凛は言った。
「……熊野先輩、お兄ちゃんとそういう関係だったんですね?」
「――へあっ⁉ なっ、ななな……んで……?」
やり過ごしたと思って安心していた桃香だったが、急に不意を突かれて、冷静さのカケラもない声を出してしまった。
やってしまった――!
焦りが完全に顔に出てしまって、冷や汗がだらだらと顔を伝う。
「だって、お兄ちゃんのこと名前で呼んでましたし。それに……実はノックする前にそっと部室を覗いたんですよね。そしたら……」
まさかまさかまさか――っ!
キスをしようとしたところを見られていた……?!?
「あうあうあう……」
顔から火を吹きそうなほど恥ずかしくて、桃香は思わず両手で顔を押さえた。
その様子を見た凛は、逆に自分も恥ずかしくなってきた。これを見たら、兄に限らずどんな男だって惚れるに決まってると。
「せ、先輩。落ち着いてください……! あたしは応援しますからっ!」
その言葉を聞いて、桃香は少し顔を上げた。
「…………ほ、本当に?」
「ええ! お兄ちゃんのことなんでも教えますから、落ち着いてくださいっ」
それを聞いて、桃香は凛に体を乗り出した。
「……それじゃあ……」
◆
「ふむふむ……。なるほど……」
凛から根掘り葉掘り塔矢のことを聞き取りながら、桃香はびっしりとノートに書き込んでいく。
「……で、中学の時の郡総体で優勝したけど、次の県総体前の検査で異能症がわかって、出場できなくなったんです」
「それは……辛いわね」
「ええ。お兄ちゃん、そのあとずっと泣いてましたよ。全国行くのが夢だったから……」
桃香も中学の頃に発症したが、もともと文化部に所属していたこともあって、影響は少なかった。
ただ、その頃のことを知る友達が少なくなるようにと、あえて離れた高校に進学したのだ。
「それから、お父さんにカメラを買ってもらって、神社の写真を撮ったりするように」
「そうなのね……。それで、うちの神社にも」
桃香の呟きに、凛が聞く。
「あれ、熊野先輩って神社の人なんですか?」
「ええ、そうよ。ご奉仕してたら、たまたま塔矢くんが来て……」
「そのとき、先輩って袴姿だったり?」
「そうだけど……」
凛は「そういうことね……」と呟いた。
「お兄ちゃん、そういうのすっごい好きなんですよ。熊野先輩みたいな綺麗な人がいたら、絶対ほっとかないですよ。……写真撮らせてとか、言われませんでした?」
「あ、それは初めて来たときに……」
「ああ、やっぱり!」
合点がいったとばかりに、凛が手を叩いた。
「話を聞けば聞くほど、熊野先輩ってお兄ちゃんの好みドンピシャなんです。……あたしが応援するまでもなく、普通にしてれば勝手に先輩にメロメロですよ。あたしが保証しますから」
「そ、そうかしら……?」
「ええ。……でも、お兄ちゃんにこんないい人がって、安心しました。異能症だと相手探すのも大変だから、心配してたので……」
そう言われると、桃香は背中がむず痒く感じた。
自分も異能症持ちで、彼氏など無理だろうと諦めていたのだから。
「私も異能持ちですから……。塔矢くんの異能もどんなのか聞きましたけど」
「え? お兄ちゃんが異能のこと話したんですか? 本当に? あたしどころか、たぶんお父さんお母さんも知らないんですよ……?」
あのとき塔矢はあっさりと教えてくれたようにも感じたが、凛の話を聞いて自分が本当に特別に教えてくれていたのだと気付く。
それが嬉しくて、桃香はつい顔が緩んだ。
「……ええ、本当よ」
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