第20話 ……わわっ!
函館のホテルに泊まったあとの修学旅行2日目。
この日は朝からバスで札幌に向けて移動していた。
飽きさせないようにと、バスガイドのお姉さんが色々と観光地の説明をしたりしてくれていた。
ちょうど、次に行く洞爺湖の話になったところだった。
「……洞爺湖って、塔矢くんと同じ名前だから、なんだか親近感があるわ」
「そ、そうかなぁ……?」
「ええ。……どんなところか全然わからないけれど」
2人はガイドブックを広げて、視線を落とした。
「今日は……このあと昭和新山とクマ牧場を見て、それからサイロ展望台……で、札幌に行くのかな。移動ばっかりだね」
「北海道って広いの分かってはいたけれど、本当に広いわね」
「3泊4日で北海道って、ちょっと無理がある気がするよね」
塔矢の話に桃香は頷いた。
「次来るときはせめて10日くらい欲しいわね。お金かかりそうだけれど……」
「道東の方にも行こうとすると、それでも足りないと思うよ。ま、1回で回る必要もないし、何度でも来たらいいんじゃない?」
「ええ、期待してるわ。……よろしくね」
そう言いながら、桃香は将来また彼と来るときのことを想像して頬を緩める。
今回の修学旅行には持ってきていないが、if帳に書くネタができたと、スマートフォンを取り出して要点をメモしはじめた。
……北海道もいいけど、沖縄とかもいいよね。
……ビーチで『水着姿の桃香もすごく可愛いよ』とか言われたり……。
『きゃっ、足が攣っちゃった……!』『大丈夫? マッサージしてあげるよ』とか……!
あっ! 温泉旅館に行って、家族風呂の貸切とかも良いなぁ……! そこで……。にししし……。
「ところでさ――」
「……わわっ! な、なに⁉」
塔矢は、ひとり妄想の世界に旅立っていた桃香に声をかけた。
急に声をかけられてびっくりした桃香は、現実の世界に引き戻される。
「……涎、拭いたら?」
「へあっ? ――あっ、ありがとう」
塔矢に指摘されて、桃香は慌ててハンカチを取り出して口元を拭う。
「……えっと、それでどうしたの?」
「あ、うん。大したことじゃないんだけど、桃香って名前の由来とかってあるの?」
「それって、私の名前を両親が考えた由来ってことよね? 小学校の宿題で聞いた時は、確か……私のお父さん、桃が大好きだからって言っていた記憶があるわ。それで、『桃子』だとちょっと……ってなったって。単純よね」
桃香は記憶を掘り起こしながら、塔矢に答えた。
「そうなんだ。桃は美味しいよね」
そこまで言ってから、塔矢は口を閉じて続きを言った。
『桃香って名前と合っていてすごく可愛いよ』
さすがにバスの中では口で言えなかったのだろう。彼に伝えられた桃香は照れながら答えた。
「……ありがと。私、自分の名前そんなに好きではなかったのだけれど、今は好きだわ」
――塔矢くんがいつも呼んでくれるから。
自分も彼の頭に直接話しかけられれば良いのに……と思いながら、桃香は心の中で呟いた。
「それで、塔矢くんは何か由来があるの?」
彼の名前について桃香が聞くと、塔矢は苦笑いしながら答えた。
「いや、全然ないみたい。なんか、急に思いついただけって言ってたよ」
「そうなのね。ふふ、私は好きよ。呼びやすいから」
◆
「バス乗ってたの長かったけど、あっという間に感じたわ。……肩は凝ったけれど」
洞爺湖の近く、昭和新山の前の駐車場でバスから降りた桃香は、「んーっ!」と大きく背中を反らした。
彼女はそれほど胸が大きいわけではないが、薄いブラウスとほっそりした体型ということもあって、それなりに膨らみがはっきりと見える。
近くでその様子を見ていた塔矢が、思わず『けっこう胸あるよなぁ……』と思い浮かべた言葉を聞いて、桃香ははっとした。
「えっと……普通だと思うわよ、普通。……でもここで触って確かめたりはしないでね」
ジト目でそう呟いた桃香に、塔矢は「ごめん……」と頭を掻いた。
狙って言葉を伝えることは簡単にできるようになったが、たまに意図していないような言葉が伝わってしまうのは、避けられそうになかった。
「ん、仕方ないわよね。……それじゃ、行きましょう」
それを桃香は気にしないことにしていた。
自分も隠したかったことを見せてしまったし、彼の言葉も同じだろう。
ただ、避けられないとはいえ、嫌われたり怒ったりするような言葉は、できれば将来までずっと聞こえてほしくないと願うばかりだった。
◆
「にしても、よくこんな山が急にできたよなぁ」
ガイドさんの説明を聞きながら、塔矢が驚嘆する。
まさに火山でできたと言わんばかりの赤くゴツゴツした山肌を見ると、この大きな山がたった2年でできたのだと言われても、ちょっと信じられなかった。
「信じられないわよね。いつまでも木とか生えないのかしら?」
「どうなんだろう。昔はもっと下まで何も生えてなかったらしいけど……」
写真を撮りながら塔矢が言う。
油断をすると、彼がすぐカメラを向けてくるので、桃香はいつ撮られても大丈夫なように気をつけていた。
「そんなに硬い顔しなくて良いから」
「……ご遠慮しておくわ」
彼がそう言うが、こんなに周りにクラスメート達がいるところで、表情を崩すなどできるはずがない。
さすがに彼もそれ以上は言わず、そのままの彼女の写真を撮っていた。
それでも写真を撮られるのはむず痒くて、桃香は頬がピクピクしそうになるのを必死に我慢する。
『明日はいつもの可愛い顔でね!』
ただ、不意に言われた彼の言葉には、ほんの少し表情を和らげて答えた――そのときだった。
『――ヤリタイ……』
桃香の頭に言葉が響く。
飛行機の中で聞いた声と、同じ感じがした。
(……殺りたい? ……犯りたい?)
そっと周りを見渡してみても、多数の同級生がいて誰の声かは全くわからなかった。
◆
昭和新山を出発してから、途中洞爺湖を見下ろす展望台に寄って、そこで昼食を取った。
それからはまたバスに揺られて、ようやく札幌に到着した。
札幌まで一般道路で2時間以上揺られ、クラーク博士像のある羊ヶ丘展望台公園に着いてバスを降りたとき、桃香には疲れが隠せなかった。
「さすがに疲れたわ……」
「長かったね。桃香と話してたから、時間はすぐだったように感じたけど」
「それは……私もそうだけれど、体はもうガチガチ」
もともと肩が凝りやすい体質ということもあって、長時間座って動かないのは辛い。
まだ慣れた正坐をしているほうがマシな気がした。
「肩くらい揉んであげたいけど……さすがにここだとね」
「ええ。……残念だけど、また今度お願いね」
今ほど凝っている時にマッサージしてくれたら、すごく気持ちいいだろうなと思いながらも、桃香は我慢する。
今度2人きりの時にお願いしようと、しっかりメモを取ってから、先に歩き始めていた塔矢の後を追いかけた。
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