第21話 しゅっぱーつ!

 今日は念願の自由行動の日。


「にししし……」


 ホテルで朝食を取りながらも、桃香は嬉しさが全身から滲み出ていた。

 これまでも楽しかったが、今日は一日中塔矢と2人で出かけられるとあって、楽しみで楽しみで仕方がなかった。


 ――そこに彼からの言葉が聞こえてきた。


『桃香、周りからすごく見られてるよ?』


 慌てて周りを見回してみると、何人かのクラスメートが、こちらを見てヒソヒソ話をしているのが目に入る。

 桃香はそれが恥ずかしくて目を伏せると、いつものように表情を整える。


 いずれにしても、これまで2人で楽しそうにしていた様子から、恋が彼女を変えたのだと周りは納得した。

 ……もちろん、これが元々の彼女の性格だということは誰も知らない。


 ◆


「よし、しゅっぱーつ!」


 妙にテンションの高い桃香が、ホテルを出るなりすぐに塔矢の手を引いて、駅にダッシュする。

 少しでも早く電車に乗って小樽に行くためだ。そのために普段使わないICカードまで準備した。抜かりはない。


「そんな急ぐとコケるって」

「だいじょーぶだよっ!」


 久しぶりの2人きりで、桃香の笑顔が溢れていた。

 その顔を見て、塔矢も嬉しくなる。

 普段の彼女は落ち着いていて、年齢より上に見えるが、今のように笑顔の時は、言動も相まって幼く見えた。


 自動改札を通り、小樽行きの電車に飛び乗った。

 ちょうど良い快速電車はなく、乗ったのは普通列車だ。平日の朝ということもあって、少し混雑していたため、座ることはできなかった。

 急いで来たこともあってか、目に見える範囲では同じ高校の生徒はいないようだ。


「お昼ご飯はどうしようか?」


 扉の窓越しに外を見ていた桃香に聞く。

 食事の時はグループ単位のため、まだ話ができていなかったのだ。


「私は小樽で食べるほうがいいかなぁ。思ったほど海鮮、って感じじゃなかったもん」

「そうだね。それじゃ、海鮮丼かな?」

「うん。それでいいよっ」


 団体での食事ということもあるのか、これまでの食事では、お刺身などは少なめ。

 陶板焼きのような事前に準備しやすいものが多かった。


「昼も楽しみだけどソフトクリームとかも食べたいなぁ……。お小遣い、いっぱい持ってきたし」

「僕もお年玉貯めてたのを引っ張り出してきたよ。桃香はアルバイトしてるもんね」

「うん。まぁ、うちの神社でだけどね。時給にしたら安いけど、高校生の小遣いとしたら多いかなぁ」


 桃香は休みの日は神社で手伝いをしていることが多い。

 ただ、最近は塔矢と出かけたりするので、土日の片方だけにしたりしていた。


「一日手伝いをして、どのくらいお小遣いもらえるの?」

「んー、日によって違うんだよね。御朱印とかお守りがいっぱいあれば増えるし、お祭りの時とかもね。多い日は1万くらいくれるかな」

「へー、結構多いんだね」

「でもそういう日はそんなにないよ。暇な日は朝掃除して日供祭にっくさいをしたら、そのあとは社務所でずっと本読んでるだけだもん。そんな時は2千円くらいしかくれないし」


 それを聞くと、確かに時給換算すると数百円にしかならないだろう。


「そうなんだ。神社ってお父さんと2人でやってるんだよね? お父さんに休みってあるの?」

「あると言えばあるし、ないと言えばない……かな? 平日もだいたい出てるけど、たまに告知して休みにしたり。私が手伝いする日は結構休んでるかな。家だといつもダラダラしてるんだから」


 そう言って桃香は笑った。


「お父さんがする前はおじいちゃんがやってたの?」

「そうだよ。私が高校に入ってすぐに死んじゃったの。私が手伝うようになったのもそれから。お父さん1人だと大変だから」

「桃香は偉いなぁ……。それで後も継ごうって」


 塔矢が褒めると、彼女は少し照れながら言う。


「私も小さい頃から神社で遊んでたから。無くしたくないなって、それだけ。……塔矢くんが神職の階位を取ってくれたら、私が楽なんだけどなー。……ちらっ」


 上目遣いで塔矢の方を見ながら、桃香がわざとらしく言った。

 彼女が言っているのは、神職の階位を取るだけではなくて、婿養子に来てほしいと、そういう意味だろう。


「まぁ僕も神社は好きだから、考えとくよ」


 塔矢が答えると、桃香はくるっと彼に背中を向けて、そのまま彼の胸にすとんと背中を預けた。

 そして振り返るようにして、自分の肩越しに彼の顔を見上げる。


「……私、期待しまくりだからねっ」


 そう言うと、白い歯を見せて「にしし……」と笑った。


 ◆


「そ、そろそろだね……」

「うん、そだね……」


 小樽築港駅を過ぎて、あと少しで小樽駅に着く。

 結局、桃香はずっと彼に背中を預けたまま、肩越しに話をしていた。

 本音を言えば、桃香は正面から密着したかったのだが、電車でそれは恥ずかしくて、背中から密着することで妥協したのだ。


 塔矢としても、彼女の髪の匂いがずっと鼻腔をくすぐっていたし、肩越しに見えるブラウスの隙間から胸元が見えそうになって、心臓がどきどきしっぱなしだった。

 それは桃香にも伝わっていた。

 とはいえ、それで離れるのも気まずくて、最後までそのまま動けずにいたのだった。


 小樽駅に到着し電車が停まる直前、桃香は塔矢から離れて、網棚に置いていたバッグを取った。


「じゃ、行こうか」

「うん。まずは運河かな」


 頷き合って電車を降りると、中央通りをまっすぐ海に向かって下っていく。

 程なく、運河に架かる橋が目に入ってきた。

 最後の信号を渡って、まずは中央橋の中ほどから運河を眺めた。


「へぇ……結構良い雰囲気……」


 桃香が小さな声で呟く。

 運河沿いの歩道にはレトロなガス灯が並んでいて、反対側にはレンガ造りの倉庫が立ち並んでいる。


「そうだね。冬に来たらもっと綺麗かな?」

「うん。夜も良さそうだね」

「それじゃ、次は冬に来ようね」


 その光景を想像しながら、運河沿いを散歩する。

 塔矢がときどき立ち止まってシャッターを切る音が聞こえるが、きっと運河の写真だけではなくて、自分も写っているのだろうと桃香は思った。


 しばらく歩いて次の橋――浅草橋に着いた。

 ここは少し広くなっていて、さっきまで歩いてきた歩道が一望できた。


「桃香、ちょっとそこに立って」

「う、うん……」


 塔矢に促されて、桃香は橋の欄干の前に立つ。

 彼の意図はわかっている。記念写真を撮ろうというのだ。

 手早く旅行用の三脚をセットした塔矢は、構図を確認するためか、桃香に向けて何枚かシャッターを切った。

 そして彼が頷くと、タイマーをセットして、すぐに桃香の横に走った。


「ほら、笑顔で」

「え、急に言われても……」


 桃香が戸惑っていると、タイマーが来たのか、シャッターが切られた音が聞こえた。


「これじゃダメだって。もう一枚いくよ。ちゃんと撮れるまでやるから」

「えぇっ! それだと終わらないよっ!」


 非難する声を他所に、塔矢はもう一度タイマーをセットして駆け寄った。

 桃香が何とか笑顔を作ろうとしたそのとき――塔矢が片手でぐいっと桃香の肩を抱き寄せた。


「――ふわっ⁉」


 身体が密着して桃香が慌てた顔をした瞬間、シャッター音が響いた。


「うん、いい写真が撮れたよ」


 撮れた写真を確認しながら、塔矢が頷く。

 桃香にはどう見てもハプニング写真にしか見えなかったのだが……。


「急にびっくりさせないでよ……」

「ははは、普通の写真だと面白くないから。一応普通の写真も撮っておこうか」

「……そうして欲しい」


 そしてもう一度、今度は桃香から彼に身体を寄せて、いつもの笑顔での写真を撮った。


「それじゃ、次は硝子館に行――」


 ――塔矢が言いかけたときだった。

 彼は突然言葉に詰まり、顔をしかめる。

 その様子は、桃香には見覚えがあった。彼が以前、同じような表情を見せたことがあったからだ。


「塔矢くん! もしかして――」


 不安に思いながら桃香が聞くと、塔矢は小さく頷いた。


「……うん。その『もしかして』だよ」

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