第46話 歪んだ想い

 その場にいた誰もが、走り去る車を眺めることしかできなかったが、桃香はひとりかすれたような声を捉えていた。


『ナカ……ムラ……コロス……』


 それを緊迫した表情で、すぐに塔矢に伝えた。


「――高橋先生は塔矢くんを狙ってる。間違いなくそう言ってたよ!」

「そうか……」


 塔矢は呟きながらも考えを整理する。


(この状況でひとり逃げるってこと、あり得るか……? 桃香は周りに聞こえないように話してたし、高橋先生がいることを、僕たちが知らないと思ってるはず。となると、逃げる目的は……)


 鍵を握っている吉村先生に向き合って尋ねた。


「吉村先生。……なぜ高橋先生と一緒に?」


 しかし、吉村先生は俯いて首を横に振った。


「高橋先生? なんのことかしら……。わたしがあなた達を襲おうとしたのよ。その間に誰かが鍵の付いた車を乗り逃げしただけではなくて?」


 明らかに先程までと様子の違う吉村先生を前に、塔矢と桃香は顔を見合わせて小さく頷き合った。


「……吉村先生。詳しくは言えませんが、私は高橋先生が近くにいたことがわかっていました。……そういう異能なんです。だから、隠しても無駄です。もう……話してもらえませんか? だって、そうじゃないと吉村先生が私達を襲う理由がありませんから……」


 桃香の言葉に、吉村先生は顔を上げて唇を噛んだ。

 そして――目を見開いたまま、その頬を涙が伝う。


「……そう……なのね。……ええ。わたしは……あの人が復帰できるようにしてあげたかっただけ。……あなた達がいなくなれば、それが叶うと思って……」


 昔を懐かしむような表情で、吉村先生はぽつりぽつりと言葉を漏らした。


「……吉村先生。でもそれは――」


 塔矢が彼女の話を聞いて、気になったことがあった。

 ここで自分たちの記憶を消したとしても、先に逃げた凛の友達にも見られているのだ。


「ええ。……高橋先生の異能を知っているのはあなた達だけ。ふたりがいなくなれば、全部わたしがしたことにできる」


 そうはっきりと言い切った吉村先生は、吹っ切れたような顔を見せた。


「先生の異能は……高橋先生と同じ……だったんですね」


 塔矢がそう聞いたとき、遠くから複数台のサイレンの音が耳に入った。

 それが吉村先生にも聞こえたのか、小さくため息をついた。


「ふふ、もう終わりみたいだから、隠しても仕方ないか。……わたしの異能は、しばらくの間、近くにいた人の異能の真似ができるの。だから、自分ひとりじゃ何もできないの。わたしにはあの人がいなければ……生きていけないの」


 どんどんサイレン音が近づいてくるなか、最後に吉村先生がふたりに言った。


「心配しなくても、中村さんの暗示はすぐ解けるわ。あの人の異能と違って、弱いから。……さようなら」


 赤色灯の明かりが周囲を照らすなか、降りてきた警察官たちは自分たちに駆け寄った。


 ◆


 警察官には桃香が録音していたボイスレコーダーの音声を聞いてもらい、おおまかな経緯を説明した。

 これで逃げた高橋先生にも捜査の手が入るだろう。

 夜も遅いということで、詳細な聴取は明日以降ということになり、凛を含めた3人はいったん開放されていた。


「凛ちゃんの友達が呼んでくれたのね」

「なつめちゃんが?」


 吉村先生の話の通り、程なく意識を取り戻した凛に状況を説明したあと、3人で帰路についていた。

 逃げたなつめが通報してくれたことで、あれほど早くパトカーが到着することができたのだろう。

 惜しむらくは、高橋先生が逃亡する前に来てくれていれば、もっと安心できたのだが。


「うん。……あと、注意しないといけないのは高橋先生だけね」

「そうだな。車で逃げてどうするつもりなんだろうか?」


 塔矢は桃香に向けて疑問を相談すると、桃香は凛に聞こえないように、小さな声で言った。


「うーん……。私は最後の言葉が気になる。明確に『殺す』って強く思ってたから」


 それを聞いて、塔矢は腕を組みながら考え込んだ。


「となると、ただ逃げただけじゃなくて、なにか考えてるってことか……」

「お兄ちゃん、そんな狙われるような有名人だったっけ?」


 話に割り込んできた凛に、塔矢は苦笑いした。


「残念だけど、有名人じゃないな。逆恨みされてるだけだよ。……桃香が先生の立場なら、どうする?」

「私なら……時間を置かずに、すぐ襲う……と思う。塔矢くんなら?」


 桃香は少し上に視線を遣りながら考える。


「……僕なら、先回りしてどこかに隠れて待つ。で、油断してるところにって感じかな」

「もしかして家に行ってたりして……」


 何気なく呟いた桃香の言葉に、塔矢は背筋がぞわっとするものを感じた。

 いや、まさか――。

 しかし、高橋先生は塔矢のクラス担任だ。当然住所も知っているはず。


「……嫌な予感がする。ちょっと母さんに電話してみる」


 塔矢はそう言うと、母の朱美に電話を掛けた。


「……出ないな。それじゃ、父さんは……」


 しかし、父の携帯に電話をしても、ただコールを繰り返すだけだった。

 最悪の事態が頭をよぎる。


(もし高橋先生が先回りしてたとしたら、僕なら異能を使って両親を人質にする。……そうなれば、ひとりでなんとかするのはどう考えても無理だ。何か手を考えないと……)


 しばらく思い悩んだあと、次に電話を掛けたのは加藤だった。

 4コール目で繋がり、電話口からいつもの声が聞こえてきた。


『――よう、こんな時間にどうした?』

「急に悪いね。もう家に帰ってる?」

『ああ。さっき春美を送って、家に帰ったところだけど』

「……頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」


 ◆


「――というわけなんだ」


 塔矢の家の近くのコンビニで落ち合った加藤に、これまでの状況を説明する。

 高橋先生が起こした事件のことも、そのとき加藤が操られたことも含め、起こったことを全て。


「なるほどな。わかった。……しばらく高橋先生が休んでるのも、そういうことか。……俺にくらい、言ってくれても良かったんじゃないか?」

「悪い……。あんまり巻き込みたくなくて」


 加藤が苦笑いするのに対し、塔矢は素直に頭を下げた。


「ま、いつも自分で抱え込むのは塔矢らしいよ。……で、俺にやってほしいことはなんだ? どうせ力仕事なんだろ?」

「高橋先生は僕を恨んでる。さっきも『俺を殺す』って言い残したくらいだから。……それで、家にいるはずの父さん母さんに連絡がつかないんだ」

「――そうか。何事もないって可能性は?」

「それだとありがたいけどね。……その時はうちでジュースでも飲んでってくれ」


 もしその場合に笑い話で済ませられるのも、長い付き合いのある加藤くらいだと塔矢は思っていた。


「警察に連絡したほうが良くないか?」

「それも考えたけど、家に入ってみないと高橋先生が来てるかわからないしね……」

「……わかったよ。ただ、俺がまたやられたらどうする?」


 それが加藤には一番の心配事だった。

 万が一、自分が前と同じように操られるとなると、以前とは比べ物にならないほど危険だ。


「先生とは僕がやるよ。……作戦はある。」

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