第30話 本当に……私を帰そうって思ってる……?

『やばい……!』


 猫真似をする桃香を見て、塔矢はそれしか言葉が出なかった。


「なーにがヤバイのかにゃあ?」


 塔矢の心中を知ってか知らずか、桃香は一度体を起こすと、今度は彼の膝上に頭を乗せた。

 そして下から彼の頬を挟み込むように両手を伸ばす。


「うにゃーん」


 塔矢は可愛らしく鳴き真似をする彼女の顎を片手で触りながら、もう片方の手でそっと頭を撫でる。


「あー、もう! ……可愛すぎるだろ、桃香」


 やけくそのように呟く彼に、桃香は機嫌よく呟いた。


「んふふ……幸せにゃあ……」


 ◆


 それからも手を止める度に桃香が唸り声を上げ、やめることをなかなか許してくれなかった。

 ようやく満足した頃には、桃香の髪は少し乱れていた。


「……頭撫でてもらうの、好き。うまく言えないけど、なんか……すごく幸せだーって気持ちが湧いてきて」


 塔矢の太腿に頭を乗せたまま、桃香は照れたのか目を伏せた。


「僕はその感じはわからないけど……桃香の髪を触ってると、さらさらで気持ち良いよ」

「んふふ……。つまり相互利益ウィンウィンだにゃあ」

「それにしても……なんで急に猫なの?」


 そう聞かれた桃香は、また猫の手の真似をしながら、塔矢の頬をペタペタと触った。


「だって猫が好きって言ってたにゃ」

「そっか。……確かに」

「可愛いかにゃ?」

「うん。……食べちゃいたいくらい、可愛い」


 何気なく桃香は聞いただけだったが、そう呟いた塔矢と目が合った。


「たっ、食べ――っ⁉」


 塔矢の言ったその言葉の意味を想像した桃香は、一瞬目を丸くしてから、一気に顔を火照らせる。


(そ、そういう意味よね……。――こ、ここで⁉)


 もちろん、いずれはそうなるのも彼女の妄想の範疇ではあったが、まだキスして抱き合ったくらいしか経験がない桃香にとっては、未知の世界だった。


「……あ、いや。そんな意味じゃなくって!」


 桃香が勘違いしたのに気付いて、塔矢は慌てて否定するが、自分の世界にトリップしていた彼女の耳には入ってこなかった。


 ……塔矢くんが私の服に手をかけて……。

 『可愛いよ、桃香……』『は、恥ずかしい……。あまり……見ないで』『心配しないで、ほら……』

 とか言って……?

 それで……キスしながら優しく私の身体を……!


「桃香、大丈夫……?」


 視線を宙に漂わせていた桃香が心配になったのか、塔矢が声をかけた。

 その言葉に、はっと意識を回復させた桃香は、慌てて顔を両手で押さえた。


「――ひゃわっ! だ、だいじょうぶだよっ!」


 過去に何度もこういう彼女を見たことがあって、何を考えていたかは大体想像できた。

 それが塔矢にとっても気恥ずかしくて、頭を掻きながら彼女から目を逸らした。


 ◆


「……それじゃ、帰るね……」


 そろそろ帰らねばならない時間になり、桃香はあからさまに落ち込んだ様子だった。


「そんな顔しないでよ。また明後日学校で会えるって」

「……学校だと、放課後にならないと塔矢くんと話できないもん」


 周りを気にせず休み時間も楽しそうに話しているカップルが同級生にも何組かいたが、そういうのはとてもできそうにない。


「クラスのみんな知ってるんだから、別に話してもいいと思うけど……」

「恥ずかしい……。塔矢くんと話すとつい顔が緩んじゃうから」

「別にいいと思うけど……。その方が可愛いし」

「うう……」


 塔矢はそう思うが、桃香にとしては、できれば周りに見せるのは避けたかった。


「まぁ、桃香に任せるけど……。そろそろ帰らないと。またね」


 塔矢は最後にと、彼女をぎゅっと抱きしめてから、軽くキスをした。

 それまで沈んでいた桃香だったが、小さく恥じらいながら呟く。


「本当に……私を帰そうって思ってる……?」


 別れのキスは定番だと塔矢は思っていたが、桃香には逆効果だった。

 ますます帰りたくなくなってしまった彼女は、恨めしそうに言った。


「……あとで電話するから覚悟しておいてよね」

「うん、わかった。またあとで」

「ん。それじゃ、バイバイ」


 そう言って桃香は彼の部屋を出た。


 ◆◆◆


「もう少しで夏休みね」

「……って言っても、補習だらけでほとんど休みなんてないんだけど」


 放課後、クラスメートもまばらになった教室に、2人残って話をしていた。

 落ち着いた声で言った桃香に、塔矢は補習の時間割が書かれたプリントを見ながら答えた。


「私は今のところA判定だから、それほど心配はしてないけれど。……それで、塔矢くんは志望校決めたのかしら?」

「うーん、桃香と同じ大学なら成績は問題無いんだけど、私立だからなぁ……」

「……残念だけど、お金は出してあげられない……わね」


 桃香は少し困ったような表情をした。

 彼女としては、同じ大学に行けたらいいなと漠然と思っていたが、流石に私立大学の学費を払ってあげられるような貯金はとてもない。


「当然だよね。親とも相談はするけど……正直、ちょっと難しいと思う」


 そう言う塔矢に、桃香は考え込みながら言った。


「そうよね……。それに私は良いけれど、卒業後の選択肢が他になくなってしまうから。……神職の階位は大学に行かなくても短期の講習会でも取れるし、通信教育もあるの」

「そうなんだ。……今度詳しく教えてよ」

「良いわよ。私も進路を考え直そうかしら……」


 考えてみれば、今自分が志望している神職の階位が取れる大学に、彼が進学するというのは問題が大きすぎた。

 もし将来自分と繋がりがなくなったら、絶対に彼が困ることになる。

 彼と別れるようなことは全く想像していなかったが、もしかしたら自分が事故で死んだりする可能性だって、ゼロではないのだ。

 ……となれば、彼と同じ大学に行くのなら、自分が彼に合わせて進学して、神職の階位は別に取得する方が丸く収まる。


 そう考えを巡らせたとき――ふいに救急車のサイレンが遠くで鳴っているのが耳に入った。


「あら、最近多いわね。救急車……」


 桃香は修学旅行で行った北海道の時のことを思い出しながら呟いた。

 あの時、救急車に運ばれたのは別のクラスの女子だったのだ。

 今度もまた同じ学校の生徒ではないかと、それが頭をよぎる。


「なんか……嫌な感じだね。凛も結局原因不明だったし、この前の女子のも良くわからなかったみたい」

「原因がないなんて、普通ないわよね?」

「うん。……桃香だから言うけど」


『――僕はちょっと疑ってる。誰かの異能じゃないかって』


 数人とはいえ、周りにクラスメートがいることを考えたのか、塔矢は口には出さず桃香に考えを伝えた。

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