第15話 早く会いたくて。
「あ、お兄ちゃん! ……ええっ? それに熊野先輩⁉ ど、どうして……?」
病室に着くと、2人の顔を見た凛が桃香の顔を見て驚いた。
そんなに驚かれるとは思っていなかった桃香は、内心では慌てながらも、表情を整えて凛に聞き返した。
「あら、私が来てそんなに驚くことかしら?」
「は、はい。先輩がお兄ちゃんと来られるとは思ってませんでした。同じクラスだとは聞いてましたけど……」
不思議そうに言う凛に、塔矢は違和感を覚えた。
塔矢が桃香と付き合っていることを、凛は知っているはずだからだ。
「……凛は一昨日のこと憶えてるか?」
「一昨日って……えーと、今日は何日……?」
塔矢に聞かれた凛は、病室に掛けられたカレンダーを見ながら聞き返した。
「今日は6月5日。水曜だよ」
「ってことは、一昨日は月曜日……。月曜日……?」
凛は上を向いて思い出そうとしていた。
その日は塔矢が茶道部に行って、凛が来た日だった。
「……ごめん、思い出せない」
諦めたようで、凛が小さな声で言った。
「それじゃ、土曜日に僕が買って帰った饅頭、一人で5個も食べたのは覚えてるか?」
「あっ! それは覚えてる! あれ、美味しかったぁ……」
それははっきりと覚えているようだった。
塔矢が桃香に案内してもらった春木家の饅頭だ。
月曜日のことを覚えていないということは、塔矢と桃香が付き合っているということも覚えていないはずだ。
だから最初に顔を見たときに驚いたのだろうと理解し、塔矢は桃香に『しばらく隠しておくから』と伝えた。
桃香は凛から分からない程度に、ほんの少しだけ頷いた。
「……そうか。実はあの饅頭は、この熊野さんにお店を教えてもらったんだ。それで、そのことをクラスで話したら、お見舞いに来てくれることになって。また今度買ってくるからな」
「お兄ちゃんありがとう。熊野先輩もありがとうございます。わざわざすみません」
その説明に凛は納得したようで、桃香に頭を下げた。
「そんなの気にしなくていいわ。凛ちゃんが倒れたって聞いたから心配だったの。でも元気そうでよかったわ」
「はい。色々検査したんですけど、特に異常はなかったみたいです。数日で退院できそうなので、ご心配はいりません」
「良かったわね。また茶道部にも来てくれると嬉しいわ」
「わかりました」
話している限りでは、凛はいつもと変わらない元気さに見えた。
「なあ、凛。今日は父さん母さん来るとか聞いてるか?」
「夜に着替え持ってくるって」
「そっか。……今日は熊野さんもいるから、僕も帰るよ。良いか?」
「うん。それじゃ」
小さく手を上げる凛に、桃香は小さく礼をして、病室を出た。
廊下を並んで歩きながら、表情を崩して塔矢に言う。
「あー、最初びっくりしたよー」
「僕も驚いたよ。『え⁉』ってなったし。……それにしても桃香って変わり身が早いよな。ほんと別人だよね……」
「だって塔矢くん以外にはあんまり見せたくないんだもーん」
塔矢が指摘すると、桃香はペロッと舌を出して笑った。
「だから凛ちゃんが覚えてないなら、そのほうが良いよ。あんなところ見られたんだし……。あはは」
月曜日、茶道部の部室でキスしようとしたところを見られたことが恥ずかしくて、桃香にとって消したい記憶だったのだ。
それには塔矢も同意する。
「そうだね。凛のことを思うと、よかったとは言えないけど、助かったとは思うよ」
「うん。……とりあえず凛ちゃんが大丈夫そうで安心したー」
駐輪場まで帰ってくると、桃香は塔矢に振り返って言った。
「――そうだ、もう班分けは終わっちゃってるけど、あと少しで修学旅行じゃない? 自由行動のとき、班から抜けてふたりで行動しない?」
「ああ、そっか。もうあと2週間だもんね。僕は加藤とどっか行くか、1人で御朱印集めでもするか、どっちかかなって思ってたんだけど……。でも桃香と一緒ならその方が良いよ」
修学旅行は北海道に3泊4日で行くことになっていた。
ほとんどがバス移動での観光だが、3日目は札幌付近で1日自由行動の予定だ。
「ほんと? やったあ! 私やることないから、1人でブラブラするしかないかなって思ってたんだよー。……それじゃ今週もうち来ない? 行くところ一緒に考えようよ!」
「わかった。……でも家に行っても良いの?」
「大丈夫だよ。それに、凛ちゃんにお饅頭買って帰るんでしょ?」
桃香の指摘に、塔矢は先ほどのことをすっかり忘れていたことを思い出した。
「あ、そうだった。もう忘れてたよ……」
「あはは。5個も食べるくらいだもんね。忘れたら絶対怒られるよ」
笑いながら桃香が自転車に跨ったのを見て、塔矢も自転車に乗った。
「修学旅行なんて全然期待してなかったけど、すごく楽しみになってきたよー」
「そうだね。行く場所考えるのも楽しいし。……今日は帰ろうか」
「うん。……私こっちだから、ここでバイバイだね。また明日!」
走りだそうとした桃香に塔矢が声をかけた。
「えー? 今晩は電話しないの?」
「あ、そっか。じゃ、また夜だね!」
言い直した桃香は、満面の笑顔で塔矢に手を振った。
◆
土曜日の朝。
塔矢は3度目となる、桃香のいる神社に顔を出した。
いつもと同じように参拝を済ませてから、社務所を覗いてみた……が、誰もいない。
「電話してみるか……」
塔矢は桃香に電話をかける。
事前にこのくらいの時間に行くことは伝えていたのだが。
『はいはーい。ちょっと待ってー』
電話口から軽い調子の声が聞こえると同時に、神社の入り口のほうからも同じ声が聞こえた。
振り向くと、耳にスマートフォンを当てた桃香が、鳥居をくぐって走ってくるのが見える。
塔矢は電話を切ると、手を振って声をかけた。
「桃香、おはよう!」
塔矢の側まで走ってきた桃香は、少し息を切らしていた。
「――塔矢くん、おはようっ!」
「そんなに急がなくても……」
「あはは。少しでも早く会いたくて」
桃香はそう言うと、嬉しそうに笑顔を見せる。
今日の彼女は白衣姿ではなく、私服姿だった。
さわやかな薄い黄緑色のノースリーブのシャツに、短めのベージュのプリーツスカートをうまく着こなしていた。そして、髪はサイドの高い位置で括っていて、いつもとは全く違う雰囲気だ。
「そういや桃香の私服って、初めて見た気がする……」
「いつも白衣だからね。今日は神社のお手伝い、休みにしてもらったから。……あ、もしかしてそっちの服の方がよかった?」
桃香は含みのある笑顔で塔矢に聞いた。
塔矢が白衣姿を好きだということを、妹の凛から聞き取っていたからだ。
塔矢は改めて彼女の姿を見る。
普段の制服姿は長めのスカートで大人びた雰囲気なのに、今日は少し幼く見えるような、そういう可愛らしさがあった。
「白衣姿も似合ってて好きだけど、今日のもすごく可愛いと思うよ。制服とも全然違ってるし……」
「そ、そうかな……? ありがとう……」
褒められた桃香は、頬を染めてもじもじと照れていた。
尚更、『そういう仕草が可愛い』と思う。
「……塔矢くんにそう思ってもらえるのは嬉しいよ。……それじゃ、うちにいこっか」
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