終章

第48話 ぜーんぶ、塔矢くんのものだよ?

「よう! 元気そうでよかったよ」


 お盆が明けてから初めての補習の日。

 塔矢が登校すると、それを見つけた加藤が声をかけてきた。


「おはよう。もう1週間経つからね」

「そっか、早いな。……両親は?」

「4日入院したけど、今は回復してるよ」


 あれからすぐに高橋先生は逮捕され、その異能の影響を受けた塔矢の両親は、しばらく入院することになった。

 その間に警察からの聴取を受けたりと、せわしない日常を過ごした。

 ただ、桃香と塔矢のふたりとも、ボイスレコーダーでやり取りを記録していたのが功を奏して、比較的スムーズに終えられた。


「ま、ケリがついて良かったよ」

「そうだね。助かったよ、ありがとう」


 塔矢は改めて加藤に礼を言う。

 あのとき彼が塔矢の母を高橋先生から引き剥がし、そして父を抑え込んでいてくれたから、思い切ってやれたのだということを、塔矢は自覚していた。


「気にすんな。――おっと、お前の相方が来たみたいだな」


 加藤が教室の入り口を見て、塔矢に軽口を叩いた。


 そんなふたりのところにまっすぐ来た桃香は、学校では珍しくポニーテールに髪を括っていて、教室ではついぞ目にしたことのない笑顔を見せた。


「――おはよ、塔矢くんっ」

「うん、おはよう」

「加藤くんも、この前はありがと」

「あ、ああ……。おはよう、熊野さん」


 加藤は桃香に笑顔を見せられて、面食らったようにしつつも、挨拶を返した。


「桃香、今日は朝からどうしたの?」


 塔矢にとっては見慣れた――いつもの姿を教室で見せる桃香を見て、不思議に思った。

 これまでずっとそれを彼女は拒んできたからだ。


「あはは、色々考えたけど……もういいかなって」

「そうなんだ。一大決心だね」

「ん。……塔矢くんがいつも一緒にいてくれて……もう大丈夫だって気づいたから」


 そう言って桃香は目を細めた。

 そんなふたりを見て、加藤は半眼で呟いた。


「朝っぱらから夫婦で惚気のろけかよ。聞かされるほうの身にもなってくれ」

「――にゃっ⁉ ふっ、ふうふ……⁉」


 桃香は目を見開いて、びっくりした声を上げた。

 ――その瞬間、教室にいたクラスメート達の視線が桃香に集中して、彼女は身体をビクッと震わせる。


「はあぅ……っ! な、なんでもないよっ!」


 頬を染めつつ、慌てて両手を振って否定する彼女を見て、教室がざわつく。


『あれ本当に熊野か……⁉』

『ちょー可愛い――』

『……嘘だろ。天使かよ』


 そのうちの何人かの声が頭に流れ込んでくると、桃香は湯気が出るほど顔を真っ赤に染め、視線を宙に泳がせた。


 ◆


 ――次の休み時間。


「――ねぇねぇ、熊野さんって――」

「え――ホント⁉ ――意外ー」

「あはは……」


 桃香の周りにクラスメートの女子が何人か集まって、彼女を質問攻めにしている光景を、塔矢は少し離れたところから眺めていた。

 苦笑いしながらもそれに対応する彼女は、これも今まで見たことがない姿だった。


 そこに加藤が来て、塔矢に声をかけた。


「――塔矢、ひとつ頼みがあるんだけど、いいか?」

「どうしたの?」

「俺も部活引退したし、体動かなくなる前に、もう一度塔矢と試合したくて」

「別にいいけど……僕はブランク長いよ? 試合になるかなぁ」


 加藤の申し出に、塔矢は否定しないながらも、自信なさそうに答えた。


「勝敗とかどうでも良いよ。ただ……ずっと前から、お前と最後にもう一度やりたいなって。……もう無理かと思ってたけど、この前の塔矢の動き見たら、急にな」

「……わかった。それじゃ、いつが良い?」


 塔矢が頷くと、加藤はカレンダーを見て言った。


「明後日の金曜日、誰も道場にいない日だから、そこでどうだ? 柔道衣はあるか?」

「うん。後生大事にまだ置いてるよ。……僕も加藤と最後に試合してみたいって思ってたからね」

「そうか……。じゃあ、その日の補習の後で頼む」


 満足そうに加藤は自席に戻って行く。

 塔矢が桃香に視線を戻すと、まだ質問攻めに遭っていて、困っている彼女が目に入った。


 ◆


「……ってわけ」

「へー、それ私も見て良い?」


 放課後、ふたりは教室に残っていた。

 塔矢は席に座ったままで、桃香は机に座るように寄り掛かって、彼の方を見ていた。


 昼間に加藤からあった話を桃香に伝えると、興味を持ったようだった。


「別に良いけど、たぶん僕は勝てないよ?」

「そんなの気にしないよ。ただ、塔矢くんが本気で試合するの、一度は見てみたいって思っただけ」

「そっか。……まぁ、もう一生無いかなって思ってたしね」

「うん。……塔矢くんのこと、少しでも多く知りたいから」


 桃香は少し恥ずかしそうにしつつ、机から降りて向きを変えると、机に両手を付いて塔矢の顔を正面からしっかりと見た。


「はは、大したことないよ。……ところで、今日は人気者だったよね」

「う……。ほんとびっくりしたよ。ちょっと後悔したくらいだもん……。塔矢くんは助けてくれないし」


 少ししゃがみこんだ桃香は、ジト目で彼の方を見ながら、指で頬をつつく。


「あ、いや。僕が行ってたらもっと大変なことになってたんじゃない?」

「あはは、そうかもー」

「……でさ、このあとどうする?」


 塔矢が聞くと、桃香は少し考えてから答えた。


「駅に新しくジェラートの店、できてたよね? そこ行ってみたい」

「良いね。じゃ、すぐ行く?」

「ん。――行こ!」


 言いながら桃香はぴょんと立ち上がり、ポニーテールがふわっと跳ねる。


『やっぱ可愛いなー』


 塔矢がそう思うと、桃香は嬉しそうに笑った。


「にゃはは。……これぜーんぶ、塔矢くんのものだよ?」


 そう言いながら自分の顔を指差した彼女の左手には、塔矢とお揃いの腕時計が輝いていた。

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