第32話 恥ずかしい……。

「おはようございます」


 そのとき、少し離れたところから二人に声がかけられた。


「――――あっ! お、お父さん⁉」


 桃香は顔を赤くしたまま驚いた声を上げ、慌てて顔を背けた。

 代わりに塔矢が向き合って挨拶を返した。


「おはようございます」


 桃香の父――桃香から正樹まさきと教えてもらった――は、いつもの神職の格好で、二人の方に歩いてきた。


「中村さん、今日は手伝っていただけると桃香から聞いてます。男手が少ないので本当に助かります」

「いえ、僕も一度どんなものか見てみたかったので……」


 塔矢がそう言うと、正樹は顔を背けたままの桃香をちらっと見て言った。


「はは、一度と言わず、いつでもどうぞ。……だよな、桃香?」

「――わ、私に聞かないでよっ!」


 ぶっきらぼうに桃香が答えると、正樹は少し眉を動かして、塔矢に目配せした。


「……さ、それでは涼しいうちに作業を終わらせましょうか。茅の輪はもう作っていますが、それを取り付けるのを手伝っていただきたい。桃香、掃除が終わったら紙垂しでとしめ縄の交換頼む」

「うん、わかった」


 桃香はこくりと頷いて、掃除に戻った。

 それを横目に、塔矢は正樹の後についていく。家で準備していると聞いていたから、一度家に戻るのだろうか。

 そう思いながらついていくと、ふいに正樹が話しかけてきた。


「……中村さん。最近、桃香が楽しそうに学校に行くようになったんですよ。高校に入ってからずっと、面白くなさそうに通っていたので……。感謝しています」

「いえ、僕は何も……」

「彼氏ができると変わると良く言いますけど、私もびっくりしました。……できれば、これからもよろしくお願いしたいと思っています」


 正樹は一度足を止めると、塔矢に頭を下げた。

 急にそう言われて戸惑いつつも、塔矢は答えた。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

「もうお父さんお父さんと言ってくれる歳ではなくなりましたが、親としては娘が気になるものでね。……さ、早く終わらせて、娘に構ってやってください。昨日から娘はそればっかり言ってましたから」


 そう言って正樹は呆れたような顔で苦笑いした。


 ◆


「塔矢くん、ありがとう」


 明日の準備を終えて、手伝いから解放されたふたりは、桃香の家に向かって歩いていた。


「思ってたより早く終わったね」

「うん。やっぱり男の人だと早いね。いつも重くて大変なんだよー」

「また手が足りない時は言ってよ。いつでも来るから」

「うん、助かる。……あ、でもタダで手伝ってもらうわけにもいかないよね」


 彼の話に桃香は悩む。

 来てくれて嬉しいし、助かるのだが、甘えてばっかりでもいけないことは理解していた。

 それに元々自分たちの仕事なのだ。


「それで桃香が助かるなら僕は構わないけど……」


 塔矢としては本当にそう思っていたが、桃香はわざわざ彼に来てもらっていて、何も返せていないことが気掛かりだった。

 かといって、お金を渡すというのもどうかと思っていた。


「塔矢くんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけど、そういう訳にもいかないよー。せめて何か代わりにしてあげるから」

「代わりに……かぁ。そういうのも特にないんだけど……。あっ! それじゃ、その格好で写真撮らせてよ」

「――はぇっ?」


 お金の代わりになにか自分がしてあげられることがないかと、そう思って言った言葉だったが、予想もしていなかったことを言われて桃香は変な声を上げた。


「だって、前に断られたから……」


 確かに、初めて神社に来たときに同じことを言われたが、その時は断ったのだ。

 ただ、既にもっと恥ずかしいところを知られていることを思えば、写真に撮られるくらいは小さなことに思えた。


「……わ、わかったわよ。他に見せないって約束してよね」

「大丈夫。家宝にするから」

「そんなの家宝にしないでよっ!」


 そう言い合いながらも、塔矢は鞄からいつものカメラを取り出して、戸惑う桃香の写真を撮り始めた。

 桃香はシャッター音を耳にする度に背中がむず痒くて、どんどん顔が火照るのがわかった。


『すごく可愛いよ』


 その言葉が聞こえたとき、桃香はビクッと身体を震わせて、我慢できずに顔を両手で隠そうとした。

 それを待っていたかのように、シャッター音が続けざまに響いた。


「うん、いい写真が撮れたよ。ありがとう」

「はうぅ……。恥ずかしい……」


 彼の満足げな表情から、見なくてもどんな写真が撮られたのかは予想できた。

 他人に見られるとダメなものだということは確かだった。


 ……ちょうどそのとき、横から二人に声がかけられた。


「やっほー。桃香ー。彼氏クンも」

「……さ、里美さん」


 振り返ると、近所の和菓子店、春木家の娘の里美がにやにやした表情で立っていた。

 見られてほしくないところを見られてしまったことに、桃香が苦い顔をする。


「こんにちは。お久しぶりです」

「ごめんね。楽しそうにイチャイチャしてるところに声かけて」

「あの…………どこから見てたんですか……?」


 桃香が聞くと、里美は笑いながら答えた。


「えー、なんか楽しそうに撮影会してるところから? 邪魔しちゃうと悪いかなって。うふふ……」

「あああ……」


 小悪魔のように含み笑いする里美とは対照的に、桃香は頭を抱えて蹲った。


「桃香が幸せそうで私も嬉しいわ。……結婚式には呼んでね。楽しみにしてるから」

「……け、結婚なんて……まだまだ先……ですから……」


 顔を伏せたまま、桃香は小さな声で里美に返した。

 それを聞いて、里美は口角を上げた。


「あらぁ、この前と違って否定はしないのねぇ。……そういうの意識するくらい、よっぽど彼氏クンに惚れ込んじゃってるみたいねぇ」

「はうぅぅ……」


 桃香は誘導尋問に引っかかってしまったと気づき、唸った。

 彼女の耳が真っ赤になっているのが傍目にもわかる。


「ふふ、桃香ったら可愛いわねぇ。……それはそうと。あのね、新しい味のお饅頭試作してみたから、ちょっと食べてみて欲しいの。売り出す前にね」


 妹を見るような目で呟いてから、里美は二人に言った。

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