閑話 水族館へ(中編)

 この水族館は最初に最上階まで登ってから、各階を降りていきながら観る構造だった。


「へぇ……。大きい水槽があるだけかと思ってたけど、色々あるんだね」

「そうみたい」


 巨大な水槽が有名だけれども、それ以外にも趣向を凝らしたコーナーがあって、飽きないように考えられていることがわかった。

 ふたりで手を繋いで歩きながら、のんびり水槽を眺めていると、時間があっという間に過ぎる。


 周りの人たちよりもゆっくり目に周って、2時間ほどで水族館を出た。


「綺麗だったね。……で、このあとどうするにゃ?」

「とりあえず昼かなぁ……」

「私、その観覧車乗ってみたいなぁ」


 桃香が目の前に見える巨大な観覧車を指差す。

 これほど大きなものだと、かなり遠くまで見れそうだった。


「良いよ。行ってみようか」

「うん」


 観覧車のところに行くと、少し並んではいたけれど、水族館ほどの行列ではなかった。


「ねぇ、桃香。あれ、シースルーとかあるけど……」


 床までガラス張りのゴンドラも選べるようで、下から見てると怖そうに見える。

 しかし、桃香は怪訝そうな顔をした。


「……私、スカートだし。それに、あんま高いところ得意じゃなくて……」

「そうなんだ、意外。観覧車乗りたいって言ったから、好きなのかなって思ってた」

「にしし、乗ったら下は見れないかもー」


 そう言いながら桃香は笑った。


 ◆


 ふたりは普通のゴンドラに向かい合って乗り込んだ。

 だんだんと上がり始めると、じっと外を眺めている様子の桃香に塔矢が話しかける。


「どう? 大丈夫そう?」

「まだ大丈夫。……でも下見たら、なんかお腹の辺りがスースーする」


 そう言いながらも、わざわざ下を見ては肩をすくめている様子を見て、塔矢は『それ、なんか可愛い』と呟く。

 それが頭に響いたのか、桃香は一瞬ビクッと身体を震わせた。


「……もう。びっくりするからやめてよ」

「ははは。大丈夫だって」


 そう言いながら、塔矢は桃香の隣に移動しようと立ち上がると、少しゴンドラが揺れる。


「わわ、揺らさないでよ」

「ちょっとだけだって。ほら……」


 わざとドスンと座ると、さっき以上にゴンドラが揺れる。

 慌てて塔矢の腕を掴んだ桃香は恨めしそうに言う。


「――ひどっ! 後で覚悟、だよっ!」

「なんか面白そうで――」


 塔矢が言いかけた時だった。

 それまでの揺れと違って、ギシギシ音を立ててゴンドラが小刻みに揺れ始めた。


「――な、なに⁉︎」

「わからない。なんだろ」


 塔矢が動いたのなら理由はわかるけれど、なにもしていないのに揺れるのは異常に思えた。

 まさか壊れたりするんじゃないかと思えて、桃香は必死で彼の胸にしがみついて顔を埋めた。


 しかし、しばらくすると揺れは収まったようで、それまでのように静かになった。

 彼の胸に顔を隠したまま桃香が言う。


「……収まった?」

「みたい。……見て、いま一番高い位置かな」

「いま私が見れると思う……?」


 堂々と言いながらも、まだ怖くて外なんか見る余裕はなかった。

 結局、かなり下に降りてくるまで、桃香はじっと動かなかった。


 ◆


「あ、見て。さっきのって、地震があったみたい」

「えー、本当⁉︎ タイミング悪すぎるよー」


 塔矢が見せたスマートフォンの画面を見て、桃香が眉を顰めた。

 確かに時間的には観覧車に乗っているタイミングだ。

 震度は3くらいだから大したことはないけれど、それでもあの高さで揺れるのは、塔矢にとっても正直怖いものだった。


「……私、もう観覧車には乗れないかも」

「はは、そんな何度もこんなことないって」

「そうだとは思うけど、またあるかもしれないよー」

「まぁ、大地震でも観覧車が倒れたとか聞かないから、大丈夫なんだとは思うよ」


 塔矢が笑って言うが、桃香は青い顔をした。


「いやいやいや、あんな上でぐわんぐわんしたら心臓発作で死んじゃうよ……」


 ◆


 そのあとは近くの飲食店街で昼食を食べてから、大阪港を後にした。


「じゃ、あとは街で観光して帰ろうか」

「うん」


 地下鉄を乗り継ごうと、途中の駅で降りて、違う路線のホームに向かっている時だった。


『ツギノ……レッシャデ……』


 不意に流れ込んできた言葉に、桃香は頭を押さえて立ち止まった。

 手を繋いでいたから、結果的に彼の手を引くことになって、訝しんだ塔矢が振り返る。


「どうしたの?」

「ううん、誰かの声が聞こえて。でも意味がわからないから……」


 桃香が頭を振って歩き出すと、塔矢も足並みを揃えた。


「塔矢くん以外の声って久しぶり。……たぶん、あのとき以来かな」

「そうなんだ」


 桃香が言う『あのとき』とは、たぶん高橋先生の事件の時だろう。

 とはいえ、あれからまだ3週間くらいしか経っていないのだけれども。


 そのとき、駅のホームにちょうど止まっていた先発列車が発車しようとしていた。


「次だね」

「うん。すぐに次の列車来るの、都会は良いよね」


 自分達の住んでいるところは、次の列車まで早くても30分かかる。

 10分も待たなくても次の列車が来るのは羨ましく思った。


 ――乗車口を表す表示の位置に立って、次の列車を待っているとき。


『怖い……。でも、次で必ず……』


 はっきりと桃香は聞き取った。

 塔矢が話しかけてくるときのように、クリアな声を。

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