二十二、小さな令嬢にケチャップチーズ 二

 お盆を真奈江のそばに置いて、バッグから綿棒とプラスチック製の小袋をだした。綿棒は密封してあるし、小袋は毎日消毒している。いつ真奈江に会うかわからないので常備していたら、本当に役にたった。


「こうやってね、綿棒をほっぺたの内側に当ててぐりぐりってしてから袋に入れてね。それだけ。まずお姉さんがお手本を見せるから」


 実演して綿棒を小袋に入れた。同じ要領で真奈江も終える。休憩室の白板にある油性マジックペンで、二つの袋には『く』と『か』を書き記した。前者は久保、すなわち私の名前。後者は蒲池で真奈江の名前。


「ありがとう。じゃあ、おやつの時間だよ。でも、チーズとケチャップしかないの。構わない?」

「うん、好き」

「よかった。チーズケチャップにしましょ」


 二枚のお皿に、包装を外したチーズを二切れずつ乗せてそれぞれケチャップをかけた。フォークを添えて真奈江の前に置く。


「あたしも作ったことあるよ」

「そうなの? 学校で?」

「うううん、お家。お婆ちゃんから習った。ケチャップも自分で作ったよ」

「偉いね。お爺ちゃんも食べたの?」

「お爺ちゃん、嫌いだから余り作るなって」


 嬉しそうな顔が急にしぼんだ。少し可哀想になった。


「お茶を入れるから待っててね」

「うん」


 コップにお茶をわけて、チーズケチャップの隣に添えた。自分の分も。


「じゃあ、頂きましょう」

「頂きます」


 ニコッと笑って真奈江はフォークを手にした。


 サンプルの引き渡しをどうするか。江原が会社にくるのは論外だし、できれば最小限の時間差でお互い顔を合わせずに現物を引き取らせるようにしたい。どこか特定の場所に現物を仕込んで、本人に受け取らせるのが妥当だろう。


 会社からなるべく遠ざかったところで実行したい。といって遠すぎるのはナンセンスだ。ここで一番避けたいのは時間の浪費だ。発想を転換しなければ……発想……時間……。


「お姉さん、食べないの?」

「あ、うん、ごめんなさいね。お仕事のメールをださなきゃならないの。すぐ終わるから」


 チーズケチャップを食べ終える頃には、いくらなんでも真奈江の不在に気づくだろう。


 そこで電撃的に閃いた。もちろん、検査はせねばならない。同時に、のんびり結果を待っていては機会を失う。こちらは真奈江という切り札を抱えている。しかも先方は仲間割れを起こし、それこそ時間を浪費している。ならば、やるべきことは一つ。


 頭をフル回転させ、文字を入力する指の動きももどかしく計画をまとめ上げて江原に送信した。さ、腹ごしらえだ。


「待たせてごめんなさいね。頂きます」


 溶かしたチーズにケチャップを混ぜるソースもあるくらいだから、美味しくないはずがない。なによりチーズのコクがケチャップによって盛り上げられるのが福々しい。


「ご馳走さまでした」

「お粗末さまです」


 腹ごしらえも終わり、改めて真奈江に向き合った。


「あなたはいつまでここにいたいの?」

「うーん……。パパとママが仲直りするまで」

「でも、それだとパパとママが喧嘩する度にお家をでなくちゃいけなくなるよ」


 小さな女の子に迫るのは残酷な決断かもしれない。とはいえ、何度も会社にかくまうのは不可能だ。


「じゃあ、どうしたらいいの?」

「お姉さんがついていって上げるから、帰ってお話をしましょう」

「うん」


 ちょうどそのとき、バッグ越しにスマホが鳴った。江原から、承知したとだけあった。


「ちょっと準備があるから、少しだけ待ってて」

「うん」


 まず、食べ終わった食器をお盆にまとめて休憩室をでた。事務室にきたとたん、正がいないのに気づいた。よく見ると、私の机に印刷された有給申請書が置いてある。正のパソコンは完全に電源を落としてあった。ウチはいつでも有給を取得できるからいいとして、このタイミングで……?


 あれこれ迷っている場合でもない。手早く洗い物を終え、自分のパソコンも切った。事務室に施錠し、休憩室で真奈江を迎える。


「お待たせ。さ、いきましょ」

「うん」


 真奈江がでてくるのを待って、休憩室にも施錠した。最後にフロアそのものを施錠する。


 蒲池家までの道のりは真奈江についていけばいい。問題は、だれにどんな話をするかだ。


 私の目的は二つ。一つは……江原の推察が事実として……井部を救出すること。もう一つは、私の出生に蒲池家が絡んでいるかどうかをはっきりさせること。


 後者は、状況証拠としてはほぼ間違いない。遺伝子サンプルは、結果が確定していないことこそがミソなのだ。大雑把な面が多々あるのは否定しない。しかし、巧遅よりは拙速だ。


 もう一つ。考えというよりは、罪悪感という範疇はんちゅうの中でしつこくつきまとうものがある。


 私は、大人同士のいさかいを解決するのに小さな女の子をダシに使おうとしている。なにをどう、大義名分を取り繕ったところで事実は変わらない。母親の浮気だけでも傷ついて当たり前なのに、父親や祖父の諸行を知ったら……。


 にもかかわらず、中断する気にはなれなかった。私にも私の人生がある。蒲池家の面々が江原のいう通りなら、私とて絶対に許せない。


 いつか真奈江が大人になったら、改めて話をせねばならないだろう。そのときまでまともな関係が保っていられれば、だが。


 いずれにしても、サイは投げられた。

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