十五、微妙なすれ違いに野菜スープ 二

 頭を下げる彼女はとても愛らしく、あの部長の血縁者とは到底思えない。ささくれだった心が多少なりとも滑らかになった。


「いえ、そんな……他人の空似でしょう」


 私としても、しつこく蒸し返すつもりはない。それで終わるはずだった。


「お姉さん、ノート売り場ってどこですか? 教えて下さい」

「これこれ」


 慌てて部長は右手を私と真奈江の間に差し入れて軽くふった。袋詰めのピーマンを持ったまま。


「三つ隣の売り場にありますよ」


 そこで文具を買った覚えがあるので、少女の希望を満たせた。


「ありがとうございます」


 再び頭を下げる真奈江。


「ど、どうも遠慮のない孫で申し訳ございません。さ、いこう」

「お姉さんバイバイ」


 部長に連れられつつ、手をふる彼女に私も振り返した。


 それから一時間ほどして、帰宅した私は台所でネギや人参をさいの目切りしながら正にニアミスを伝えていた。


「へーっ、偽善者も人の親、じゃない祖父だな」


 食卓で椅子の前脚を浮かせた正は、感心しているのか皮肉っているのかはっきりしない。スマホのネットニュースを読みながらだし。


「いっそのこと、お孫さんとの顛末てんまつをブログにでも書いたらもっとウケるのにね」


 本人が政治家になりたがっているのは、正も知っている。それで私も悪ノリした。


「似てるっていうけど、そんなもんかなあ」

「そんなもんでしょ」


 小さなお嬢さんはともかく、部長となにか続柄を持つだなんて想像するだにおぞましい。


 切った野菜を、オリーブオイルを引いたフライパンで炒めていたらスマホが胸ポケットの中で震えた。ちょっとあと回し。


 野菜に火が通ったら、別個に水を入れて加熱しておいた鍋に移した。それから固形コンソメを加えて、味が野菜に染みるまで煮た。


 こうしてできた野菜スープを二つの深皿によそい、お盆に乗せて食卓まで運んだ。


「おっ、いい香り」

「今日の胡椒は?」

「黒にしよう。細挽きで」


 いつもの胡椒挽きを、正は自慢気に軽くふった。


「ケチャップにしよう。細挽きで」


 わざとらしく真似してみた。


「ケチャップに細挽きなんてあるかよ」


 突っ込む正におどけてケチャップの容器をふると、笑いだした。


 白米は、これまではお茶碗に盛って食べてきた。今回は正が買ってきた織部焼を使い、レストランめいた雰囲気が食卓に生まれた。


「なんとなくフレンチか」

「コンソメ使ったしね」


 ナイフとフォークとスプーンも並べた。


「頂きます」


 食事は洋風でも、挨拶は和風におこなう。


 具材に火が通っていれば、そして適切な大きさになっていれば野菜スープは外れようのない料理となる。栄養からしても申し分ない。


 個人的には、肉より野菜の方が甘かったり辛かったりする区別がはっきりしていると思う。スープの中に玉ネギや人参の味が一つ一つかすかにこもっているのも楽しいし、玉ネギや人参そのものを食べるのも同じように楽しい。


 そして、この前アンチョビピザを食べたときとはまた変わった表情を織部焼は見せてくれた。白米は文字通り白いので、ちょうど寒い季節というのもあり雪溶けのような雰囲気があった。


 なんにしても、冬場は温かいスープがしみじみありがたい。


「美味いな。器もいい。さすが俺のセンスだ」

「自画自賛じゃない。正が作ったのでもなし」

「選んだのは俺だ」


 真面目に威張る正に苦笑すると、彼も少し笑った。


 いつものように、食事は満足して終わった。正が食器を洗って片づけるのを横目に、自分の部屋へ戻りスマホの画面を指でつついた。『美山希望のいえ』。私が育った児童養護施設からだ。


 トマト畑が施設にできたのは、私が引き取られた年の一年前からだそうだ。当時の施設長である引中ひきなかさんが発案した。種や肥料、器具などは善意の寄付とある。本来は、余った収穫を売って運営のたしにする予定だった。現実には施設の食事で重要な役割を担うようになった。


 引中さんは、私が四歳のときに定年で退職した。そして三年前に病死している。職員も転職したり同じ法人の別の施設にいったりでバラバラ。


 施設側が誠実に回答したのは理解している。この際、私が毎年寄付しているからというのも加味されているのだろう。だからといって、ここで調査が中断では余りにも納得できない。せめて、無理は承知で遺族と話をしたい。


 頼み方にもコツがある。『私が自分の親を探すのに必要なので、亡くなった方のご遺族にわたりをつけて下さい』……こんな文面はどう考えても馬鹿げている。『故人の遺志を細かく掘り下げたいので、ご遺族とお話する機会を得たいです』……まだしもましだろう。トマトの栽培は春菊や小松菜ほど簡単じゃないのだから。


 回答のお礼も踏まえた上で、三回ほどの推敲を経てメールを送信した。


 いざすませてしまうと、絨毯に寝転がって自分の部屋の天井を眺めながらなんとも緩んだ気持ちになった。四六時中張り詰めていても仕様がないし、とにかく実行したということでそれなりの安心感をも得た。


 引中さん……ちょっと変わった名前だけれど、覚えはなかった。小さい頃には、少なくとも何回かは顔を合わせたことがあるはずなのに。まあ二十年近く前の話だし、忘れてしまっていても仕方ない。それで話が聞けたとして、空振りに終わる確率の方が圧倒的に高いのも承知している。でも、なにもしないでいるよりは真実に近づけるだろう。

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