十六、洋風おにぎりを食べて戸別訪問 一

 また数日が過ぎた。


 今、県境に近い小さな街の小さな道路を一人でてくてく歩いている。自分が住むアパートやエンジェルズベルがあるのは県庁所在都市で、そこから快速電車を使い約二時間かけてたどりついた。ときどき思いだしたようにスマホで街角を撮影。


 仮想市街の資料に、ノスタルジックな田舎道があってもいいだろうという意見もでた。正から。


 彼が間接的に、私の目的を察したのだろうか。施設側からきた回答……引中さんのご遺族はこの小さな街に住んでいた。あらかじめ、施設を通じて近日中に伺う許可を得てもいる。それで、正の提案に個人的にも乗ることになった。だから、所持品が少し増えた。いつも使っているバッグを肩から下げるほか、スマホの画面を押す右手の手首には小さな紙袋がぶら下がっている。出発前に駅で買った、当たり障りのない土産物の和菓子が収まっていた。


 田舎道あるあるの、古くてくたびれた看板や廃屋なんかは企画の趣旨に沿わないので省いた。それよりも、のどかな田園風景だとかきれいな川や駅前で一軒だけ残っているようなお店だとかを写す。


 寒いから、頭にはニット帽をかぶっているしマスクもつけている。不審者に誤解されそうな格好で、ついさっさと終わらせたくなった。でも、被写体はじっくり選ばないとあとで非常に後悔することになる。人通りがほとんどないのが幸いといえば幸いながら、今度は自分がだれかに襲われたらどうしようという考えも湧いてくる。


 そんな雑念を振り払いながら、午前中いっぱいをかけて仕事を果たした。


 お昼にしよう。小さな公園であずまやが構えてあるのを見つけ、ベンチに座ってお弁当を広げる。


 ちょっと奮発して新調した、漆塗りの黒い曲げわっぱをバッグからだす。包み布をほどいて蓋を外すと、焼いたパン粉の香りが舞い上がった。


 あらかじめチーズとケチャップを混ぜたご飯をおにぎりにして、パン粉をまぶしてサラダ油で炒めた洋風おにぎりが三つ。お茶は自販機で買ったペットボトルがある。


「頂きます」


 おにぎりに頭を下げながら、ふと気づいた。野外で広げるお昼は、施設をでてから初めてになる。まして一人は生まれて初めて。寂れた田舎街の公園という場所も相まって、乾いているとも湿っているともつかない楽しみが湧いてきた。


 ほどよく溶けたチーズがケチャップとなじんで食が進む。お茶を一口飲んで、肩をゆすった。まばらな街路樹と小鳥のさえずりが散らばる他、周りにはなにもない。楽しくはある一方、かすかな寒々しさを感じた。こんなにゆったりしたところに、私が今住んでいるような街から人が流れるはずがない。美しい自然と人間にとって快適な環境は必ずしも両立しない。


 数羽の鳩が公園と道路を隔てる柵の上にとまり、少しの間私を眺めてから飛びたった。


「ご馳走さまでした」


 曲げわっぱに再び蓋をして包み布をかけ、バッグにしまった。


 スマホのアプリで引中さんのお宅がこの近くだというのはもう把握している。ぼちぼち時間になる。


 十分ほどして、私は正門の前に至った。いかにも昭和風の木造建築といった構えで、それなりに裕福なようだ。


 郵便受けの脇にあるインターホンを押すと、かなりお年を召した女性の声で返事があった。


「久保と申します。『美山希望のいえ』を通じてお話を伺うために参りました」

「はい、そのままお入り下さい」

「恐れ入ります」


 上着を脱いでたたんでから左腕にかけて正門をくぐり、右手で玄関を開けた。


「ごめん下さい」

「まあまあ、ようこそおいでくださいました」


 かまちを挟み、私と向かい合って正座したその女性は、引中さんの奥さん、つまり敏子さん。夫が亡くなって以来、ずっとこの家で一人暮らしをしている。お歳は八十前後だろうか、お化粧も服装も品格があった。


「この度は、迷惑な申し出を聞き入れてくださりありがとうございます」

「いえいえ、いつでも喜んで。さ、こちらへ」


 つとたち上がり、敏子さんは先に奥へ進んだ。


「お邪魔します」


 靴を脱いで上がると、板張りの廊下が少しきしんだ。


「上座へどうぞ」


 敏子さんが障子戸を開けると、八畳ほどの和室が現れた。テーブルと共に、黒紫色の座布団と茶色い急須やお菓子が用意してある。暖房も万端整っているのが、顔を撫でた空気から感じられた。


「あ、いえ私は……」

「お客様が下座などととんでもございません。ご遠慮なく」


 敷居の間近でにこやかに促され、ひたすら恐縮した。


「恐れ入ります」


 固辞してばかりも失礼なので、お辞儀して足を踏み入れた。


「どうぞ、お膝はお楽になさってくださいませ」

「ありがとうございます」


 実のところ、正座は苦手なので助かった。座布団はふんわりしていて座り心地がいい。


「粗茶ですが……」


 私に次いで自分は下座に座り、敏子さんはお茶を淹れて下さった。


「すみません。こちらからも、粗品ながら」


 紙袋から和菓子をだすと、敏子さんは驚きながらも福々しく笑った。


「これはまた、もったいないお土産をありがとうございます」

「いえ、とんでもございません」


 お土産を敏子さんが受け取り、テーブルから下ろした。


「それで、よろしければ本題に参りたいのですがいくらでしょう」

「はい、なんでも聞いて下さいませ」

「失礼ですが、トマトは素人には栽培が難しい作物です。他に比べて収益を得やすいのは理解できますが、なぜそれを選ばれたのでしょう」

「その当時は……もう二十年ほど前になりましょうか……食の安全が酷く危ぶまれて、特に外国産の農作物がマスコミでよく叩かれていました」

「はい」

「トマトに難しい一面があるのは間違いございませんが、逆にトマトで成功するのなら他の作物も成功しやすくなるだろうと主人が申しておりました」

「では……ゆくゆくは、施設そのものを農園にしようとお考えだったのでしょうか?」

「いいえ、それは大袈裟すぎます。食事の一部を自給し、農業を通じて院生さんを教育しようとしておりました」


 実際、私もトマト畑の世話は楽しかった。


「ありがとうございます。別の質問になりますが、様々な道具や種はどなたがご提供下さったんでしょうか」


 敏子さんがかすかに身じろぎした。


「善意のご寄付ということで、主人からは余り細かくは聞いておりません」

「記録も残ってなさそうですか?」

「はい、私が知る限りでは」

「わかりました。それで、トマトはそのまま売るおつもりだったのでしょうか?」

「いえ、手作りケチャップにしたりジャムにしたり工夫していましたよ」

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