十六、洋風おにぎりを食べて戸別訪問 二

 手作り……そこに大きな意味があるのではないだろうか。


「それに……離乳食なども?」


 自分自身にまつわる話を切りだすのは、なかなかに勇気が必要だった。どこかで踏み越えねばならないところでもあった。


「はい、作りましたねえ」

「あなたも職員だったのですか?」

「いえいえ、ただ色々と主人に協力はしました。お料理の試作とか、家庭菜園とか」


 つまり、施設長が個人的に自宅に持って帰った野菜を商品にしたり施設の食事にしたりするべく試行錯誤していたようだ。栽培の要領も含めて。


「離乳食は、なにか参考にした本などはございますか?」

「いいえ。たまたま知人に詳しい人間がいましてね、その人から教えてもらいましたよ」

「よろしければお名前を伺っても構いませんか?」

「はい。蒲池さんと仰います」

「蒲池?」


 ここ最近、私の人生に何度か挙がってきている名前だ。金脈の雰囲気を感じ、図らずも肩に力が入った。


「蒲池……邦子さんです。昔はこの辺りに住んでいたんですよ。今はもっと大きな街に引っ越していますけれど」

「じゃあ、やっぱり同い年くらいの……」

「いえ、私よりはずっと若いです。まあ、当時なら三十すぎくらいになりますか」


 そこで敏子さんは自分の分のお茶を飲んだ。


「食育に敏感な方だったんですね」

「うーん……他所様のことなので、どこまでお話ししたらよいのか」


 悩むように見えつつも、事情に明るい人間に打ち明けたくもあり。そんな敏子さんの様子だった。是非とも、と叫びたい気持ちをぐっと我慢した。


「失礼ながら、あなたの背景につきましては施設側から伺っております。それを踏まえて、私が差し支えないと判断したことだけお話ししましょう。それでよろしいですか」

「はい」

「邦子さんは、二十歳にもならない内に出産したのです。今では珍しくもないお話かも知れませんが、当時から過疎化が進みつつあったこの街では大変な困難を伴いました」

「……」

「もっとも、お相手はいい加減な人間ではなく誠実な社会人でした。おしまいには結婚して、産まれた息子さんともども安定したご家庭を営みました」

「息子さん……」

「はい。息子さんも今はもう、それこそ三十すぎでいい大人でしょう。さておき、主人が施設長になった頃には邦子さんが家族でこの街をでる間際でございました」

「では、離乳食のお話はその折りにということでしょうか?」

「はい、その通りでございます。ここまでお話ししておいてなんですが……。邦子さんご自身も、自分が思いついたレシピではないとはつけ加えておりました」

「仮にそうだとして、どなたからなのでしょう」


 できるだけ冷静さを装ったものの、手足の指先が震えそう。


「さあ……。もう引退しましたが、私はかつてこの地域の食生活改善推進員でした。邦子さんは、当時は無関係ですが現在は加入しているかも知れません」


 肝心なところで……! いや、どうにか首の皮一枚でつながった感じはする。


 このご時世、推進員達を集めて郷土料理の試食会などできる状況ではない。攻め口を練り直さないといけないだろう。ここで聞ける話はでつくしたようだ。


「ありがとうございました。お忙しい時に、不躾な質問ばかりで申し訳ございません。心よりお礼申し上げます」

「いえ、こちらこそ。大したおもてなしもできず、それほど気の利いた回答にもならず心苦しい次第でございます」


 敏子さんと私は互いに頭を下げあった。


「失礼いたします」


 丁寧に座を離れ、敏子さんに見送られながら引中家をあとにした。


「なんて展開になったのよ」


 その日の終わり、私は正に顛末を述べた。自宅の居間で絨毯の上に寝そべりながら。


 晩御飯はファーストフードですませて、正に背中や足をマッサージしてもらっている最中だ。


「ふうん」


 両ふくらはぎを、両手の親指でねじるように押された。


「あいたっ!」

「止める?」

「止めないっ!」

「俺なんてさ、午後いっぱい断続的に苦情の始末をしてたんだぜ」

「苦情?」

「この前宇土さんと不倫して強制退会処分になった女の人だよ。一方的だとかこっちの言い分も聞いてほしいとか」


 正直なところ、退会だけですんだのはありがたいと思って欲しい。


「あんまりウザいんで、告訴をちらつかせてやっと黙らせたけどな」

「そうね。よくやってくれたと……痛たたた」


 今度は両肩甲骨の間をまっすぐに強く押された。両足がバタバタ動きだす。


「止める?」

「止めないっ!」


 明日には、足取りも軽やかに出社できるだろう。

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