十七、挽回するべく焼き飯 一
取材から数日たった午後。検見さんとの、三回目の打ち合わせが会社で始まった。場所や道具の配置は前回と変わらない。
検見さんは、自転車ではなく自分の軽四自動車を自ら運転してきた。免許も車もあるのは知っていたが、会社には駐車場がない。近くにコインパーキングはあるものの、こういうときの経費は少々迷う。それを見越してか、検見さんは自分から駐車場代は自腹と説明した。それより、先日話をした離乳食用のお皿の試作品を持っていきたいと持ちかけられた。さすがに、自転車は避けるのが当たり前だろう。
私も部下達も大喜びして、駐車料金はもちろん経費全てをお支払いすると伝えたのに断られた。試作品はあくまで試作品だからと。
そうした点が、検見さんの美点ではある。だからこそなかなか結婚相手が見つからない。
やろうと思えば、説得もできた。でも、あえてしなかった。へたに小賢しい提案をして、せっかくの美点を曲げてしまったり無意味な衝突を招いたりはしたくない。
模擬演習が始まった。試作品はあとで見せてもらう。
とはいうものの、三回目は生徒役の井部がほとんど自力で作品を作る。手回しろくろを使って粘土を円形に積み上げていき、形を整え表も裏も滑らかにする。井部は黙々と作業を続けた。平凡なマグカップに、これほどの情熱が傾けられるとは。
検見さんの講習も非常にわかりやすかったし、井部も生徒になりきっている。それにも増して、彼女がこんなふうに一つの物事に真剣に打ち込んでいるのを見るのは初めてだ。仕事をこなす姿は何度も目にしているし、『アスファルト』としての彼女は非の打ちどころがない。それらとはまた違う一面がまさに目の前で創り上げられている。無音沈黙が室内を満たしており、息をすることさえはばかられた。
「先生、できました」
井部の台詞に……それが台本通りと知ってはいても……ほっとした。
「はい、見せて下さい」
こんな状況でも穏やかな検見さんの対応に、心が和む。
はたからしても慎重に、井部は自分の手になる器の裏表を検見さんにかざした。
「まあ、だいたいそんなところでしょう。それでは、教材にあった郵送用の梱包材を使ってこちらへ送って下さい」
「ありがとうございます」
「お疲れ様でした」
検見さんの言葉に思わず拍手しそうになった。ずっとあとのために取っておかないといけない。模擬演習の三回目が終わったというだけのことだから。
井部がこねたマグカップの原型は、本人が梱包した上で検見さんに渡す。今日の予定が片づき次第、検見さんは自分の道具と井部の作品を持って帰ることになる。四回目、つまり最後には最初から顔を合わせないまま六時間ぶっ通しで仕上げをする。
「それでは、試作品をお目にかけましょう」
模擬演習会場が元の休憩室に戻り、師弟が手を洗ったあと。
一同は改めて着席し、検見さんが新たに持ってきたダンボール箱を長机の上で開けた。緩衝材代わりの丸めた新聞紙を一つずつ取り除き、白く柔らかい化学繊維製の布に包まれたお皿を三枚だした。
まず一枚目が露わになると、桜色の可愛らしい色合いに自然と微笑ましくなった。柄や模様は加わっておらず、乳幼児の手に合わせて小さい品だが、食事を楽しむ親子の姿が浮かんできそうだ。
二枚目はとても爽やかな空色で、いかにも五月晴れといった風情だ。これもまた空色一色ながら、我が子の広々とした成長を願う親御さんが喜んで手に取るだろう。
三枚目はしっとりした茶色で、落ちついた安定感があった。まさに地べたに足をつけた印象で、揺るぎない親子の愛情を無言で訴えかけるかのようだ。
「可愛い……」
井部が真っ先に三枚のお皿を愛でた。会社の中ではだれよりも作品の良し悪しに触れているわけだから、ある意味当然だろう。
「ありがとうございます」
「一つ一つ、心がこもったご作品ですね」
私も心から称賛した。正だけは無言だった。虐待家庭で育ったことを思いだしたのかもしれない。そんな事情を云々するのは本人に失礼なので、
「相川さんはいかがですか?」
検見さんの穏やかな質問が、私達を三者三様でぎょっとさせた。
井部には正の過去を教えてはいない。でも、彼女がその気になればいくらでも探りだせるだろう。それは置いておくにしても、彼はこの中では芸術的センスがもっとも乏しい……ように思える。この前お皿を買ってきたのも、なんとなく手頃な値段で少し高級そうに思えたからだし。
「あー……その、きれいだと思います」
正はお皿を眺めるふりをして、視線を落とした。
「そうですか……失敗ですね」
「ええっ?」
三つの口から同じ驚きが漏れた。
「器というのは、使われなければ意味がありません。性別に関係なく、家庭に子を迎えたらだれもが育児をせねばならない時代です」
優しく語りかけている検見さんの言葉に、私も部下達も背筋が延びた。
「わが国では、性別に関係なく育児なら育児をするのが当たり前という感覚がなかなか定着しません。だからこそ男性が一目見て使いたい、せめて手に取りたいと考える品を目指したつもりでした」
正論すぎてぐうの音もでない。
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