六、ビーフシチューは断罪の味 二
基本的には、ビーフシチューは素材を炒めてから煮る。赤ワインやトマトは風味づけに使う。そうして少なくとも一時間くらいはじっくり煮込むのが王道……なのは当然として、私も正も適当に手抜きする。食材に熱が通って柔らかくなればいいかな、くらい。
だから、赤ワインもいちいち計量しない。味見しながら垂らして入れる。トマトじゃなくてケチャップを使う。あとはデミグラスソースの缶詰くらい。ちょっと高いが仕方ない。
四十分ほどして、全てが仕上がった。
「いよいよだな」
食卓で、正は胡椒挽きに緑胡椒の粒を入れた。いつもはボタンを押したらモーターが動いてガリガリ粉砕するのを使う。今回は手動式で、形だけは機械式とたいして変わらない。両手でタオルを絞るようにひねると端から粉末がでてくる。
「機械式の方が味は安定するんだが……手挽きは納得感が違うね」
正は上機嫌で胡椒挽きを捻り続けた。ビーフシチューに挽きたての胡椒が散らされていく。
「そんなものかな」
正が胡椒を手挽きするのは珍しい。そういうときは、私も借りて一緒に使う。
正直、味がどう変わるのかははっきりしない。ただ、彼は決まってとても嬉しそうになる。
「召し上がれ」
「頂きます」
いそいそとスプーンを手にする正を、私は満足しながら見詰めていた。
「美味い!」
いつもながら、この一声が最大のモチベーションだ。
一口食べて、申し分なく美味しいと悟った。じっくり煮込んだり寝かせたりと手間をかければもっと美味しくなるのだろう……私も彼も、それは選ばなかった。それよりは自分の時間が欲しい。
さておき、ケチャップと胡椒が牛肉を鋭く盛り上げていた。玉ネギも甘くなっていてトロトロ。
「宇土さんも今頃は修羅場だろうな」
ご飯をかきこんでから正は呟いた。その台詞に同情の気配はなかった。彼の家庭背景からすれば当たり前だ。私にしても同じ。
「あんなんじゃ、どこにいっても駄目だろうね」
それは私の本心だった。そういう気持ちを共有できる相手が目の前にいるのは幸いだ。
人参を一切れ口に運ぶと、甘さにコクとほどよい辛味が加わって豊かな味わいになっていた。
「今だからいうってわけじゃないんだが、俺は宇土さんのヘマを相当助けてやってたんだぜ」
正は私が社長でもあるから、かえって気を遣ったのだろう。
「どうせなら早くいってよ」
何気ない口調で返した。
「いやあ、あんまり追い詰めてやけっぱちになられても困るし。どっちみち同じ結果だったな」
「話は変わるけど、スーパーで検見さん見かけたよ」
「へー。どんな調子だった?」
「真面目に働いてる。でもどこか浮いてた」
「なんかあった?」
私がお使い少女の話をすると、正はスープを飲みながら苦笑した。
「まんまイメージ通りってやつだな。だいたい、客の希望をつかんでから肉なら肉をだせよ」
「一生懸命なのは伝わるのにね」
「なんとかいい人を探さなきゃあな」
ふと思いついた。陶芸家としての、検見さんの腕はどれくらいなんだろう。まずはそれを理解して、少しでも本業……と表現していいかどうか……を進められるようにすればまた違ってくるかも知れない。
「オンライン陶芸教室とかってウケるかな。検見さんが講師で、ウチが後援で」
私はさりげなく切り出した。
「どうしたんだよ、いきなり」
「材料費と講習料だけお客さんに払ってもらってさ、SNSの無料動画通話とかで実践するの」
「ああ、似たようなやつはネットでいくつか見たよ」
「こっちでも宣伝して、その代わりに宣伝料をもらう形にして」
「悪くないけど、客くるの?」
「呼びかけるだけならたいしてお金かからないし、生徒が一人からでももうかるようにしといたらいいじゃない」
「なにもしないよりはましだよな。まさかスーパーのアルバイトで一生食いつなぐんじゃないだろうし」
ひょっとしたら、私は、心のどこかで宇土をクビにした穴埋めをしたかったのかもしれない。宇土がああなったのは全く同情しないものの、愉快な出来事であるはずがない。
「明日にでもどれくらい客がくるか試算してみるよ」
「お願い。私は試算がまとまったら企画書を作るから」
「赤字にしかならないってならボツだろ」
「そうはならないと思う」
スプーンにすくった赤茶色のスープを見下ろしながら、私は自分の判断を披露した。
「どうして」
「みんな、手頃な時間とお金でなにかしたくてたまらないんだよ。忙しくて暇がないのならともかく、閉じ込もってばかりだと非生産なことをしている気がして耐えられなくなる」
「そんなもんかね」
どんな事態でも自分の判断で時間を有意義に使う正には、ピンときにくい話題だろう。
とにかく、エンジェルズベルとしては一人でも実績と口コミのネタを増やす必要があった。
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