四、『取材』の口直しにオムライス 二
殺すのはいくらなんでも短絡的すぎる。さりとて利用するには未知数が多すぎる。少し脅して手を引かせるか、いっそ濡れ衣でもでっち上げて警察に捕まえさせるか。
いくらネットを調べても、『壁』は実在しない外国の会社にしか突き当たらない。確かめるには外交ルートで正式に許可でも取るほかない。そうなったらデータごと自滅するようになっている。一連のプログラムは『アスファルト』が用意した。もっとも、彼女を『壁』に誘ったのは私から。
江原もブログやSNSのアカウントを持っているだろうし、検索すればすぐにでてくるだろう。私がそうするのを、手ぐすね引いて待っているはず。接触の記録を解析して、私のスマホを割りだしても不思議じゃない。だから、それは避けないといけない。
ことと次第によっては一度『壁』を壊したあとで江原を処分し、また作り直した方がいいかもしれない。どうせなら、その計算に時間を使った方が有意義だろうか。
数時間後。いくつかの試算が上がった。そこで、『アスファルト』からの報告がやってきた。例によって本文はなく動画だけ……いや、動画が一つと録音が一つ。とにかく再生。もちろんワイヤレスイヤホンつきで。
動画では、宇土が一人の女性と食事をしている。チキンソテー定食かな。相手は昨日も目にした女性で間違いない。顔がアップになり、テロップで『蒲池 陽子』とあった。改めて眺めると三十代の序盤くらいに思える。住所も添えてあった。もっとも、さすがに電話番号まではない。動画はそれで終わった。
録音の方が、ある意味で衝撃的だった。
『今日はすき焼きにしましょう』
意外に若そうな女性の声から始まった。すき焼きか……牛肉にネギに豆腐、白菜にシメジ、白滝……。
『食べてくるからいらないと言ったろう』
宇土の声だ。まさか浮気相手の自宅でもなし、本人の家庭に違いない。
『そうでしたね。じゃあ、あなたは私が食べるのを見ていて下さい』
『なんのつもりだ』
『食べながら話しますよ』
それから足音がして、棚を開けたり水を流したりするのが聞こえてきた。
ふむ……食材を洗ってから切り、ザルに入れている。台所が水浸しにならないよう、下にお皿を受けておくのも忘れないようだ。豆腐はパックからだしてさいの目切り。これもザルの中。肉だけは切ってから別個にしておく。
フライパンかなにかを用意したようだ。肉を炒める音が続く。しばらくして、ザルに入れた野菜類も同じフライパンに加えて煮込み、白菜が柔らかくなるまでアクを取り続ける。味見はまめにする方らしい。
いや、他人様の台所なんてどうでもいい。問題はその先だ。
『お待たせしました』
お待たせもなにも、眺めるだけとわかっている相手を前に自分のお皿だけを並べるのは異様な雰囲気が漂う。
『頂きます』
その言葉から数秒、無音が続いた。
『あなたは味噌にこだわりますよね』
『それがどうした』
明らかにうるさげな、実の返事が逆にまともに感じられる。
『今日のは、砂糖にこだわったんですよ』
『さっきからなにがいいたいんだ』
『あなた、浮気してるでしょう』
しばらく箸や食器が触れ合う音が続いた。
『なにを根拠に……』
『エンジェルズベルはちゃんと労基法を守る職場だって、わざわざ会社のブログに書いてありますよね』
変なところで笑いが込み上げてきた。それを書いているのは井部で、つまりはこの録音を送ってきた『アスファルト』本人だ。
『にもかかわらずあなたの帰りはいつも遅いから、私が直接会社のあるビルまでいって確かめました。そうしたら本当にだれもいない。あなた、いつも残業で遅くなるってお話でしたよね』
『ふろしき残業みたいなものだ。会社からはでるがファーストフード店なんかで業務を続けていた』
『じゃあこれはなんですか』
『利用客の一人だ。デートコースのテストだよ』
聞いた瞬間、お腹を抱えて笑うのを我慢するのが一苦労だった。もちろん、そんな業務は宇土に割り当てられてなどいない。
『それでいつも食事するなんておかしいでしょう』
『それが仕事だからしようがないだろう。そもそも、どうやってこんな写真を取ったんだ』
『どうだっていいでしょう。あなた、写真はこれだけじゃありませんよ』
またしばらく沈黙が続いた。
『今すぐ止めるって約束して謝ったら、全部忘れます』
『知らん』
乱暴に椅子を引き、床を踏み鳴らして歩み去る音で終わった。
笑ってばかりもいられない。まずは『アスファルト』に送金。昨日の倍額を支払った。その上で、『金杖』の依頼については今回の録音と動画をそのまま送って礼金を受け取るように指示した。さらに、江原の件を簡潔に伝える。私としては一度『壁』を壊して云々という方針もつけ加えた。
返信はすぐにきた。『金杖』については了承してきた。江原については、どうせまたくるだろうから自分も会って確かめたいという。私も異存はなく、打ち合わせがまとまった。
それにしても、と背伸びしながら思った。宇土 実にもわずかには同情できる部分がある。前の職場をリストラされるまでは、浮気など考えもしなかったはずだ。雇って『頂いた』会社に恩義を感じて一生懸命働いていたのに、それを反故にされて歯車が狂ったのだろう。
もっとも、エンジェルズベルとしては然るべき筋を通さないといけなかった。
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