五、トマトを貫くためにピザトースト 一

 珍しく、会社に出勤した。変に勘ぐられたくないので正とは時間帯を変えた。


 首都圏の県庁所在都市に、ぎりぎりひっかかっている五階建てビル。銀灰色の四角四面な外装の頂上には、控え目に山際ビルというロゴがかかっている。正確には、ビルの三階にある一つずつの事務所と休憩室。それが、エンジェルズベルの物理的な場所だ。


 事務所には、観葉植物の類はなく応接間すらない。接客は休憩室でする。もっとも、ガス点火式の少し古くなった給湯スペースと流しは事務所にあった。一応冷蔵庫も構えてある。


 昼休み間近になって突然現れた社長の私に、正も含めた全員が電気ショックに打たれたように目を見開いた。


 事務所の床は、リノリウムのパネルをならべて作ってある。一枚一枚のパネルは青緑色の正方形をしていた。


 事務所には、机が三つあった。いずれも部下が使っている。私のは常駐する必要がなかったので構えていない。もっとも、すぐに空きができるだろう。


 正は毎日……というより毎晩……会うからいいとして、『アスファルト』こと井部とは久しぶりに対面した。相変わらず、年齢だけで片づけられないしなやかな若々しさに溢れている。おまけにモデル顔負けの高身長。外国人の俳優のような体型で、ひっつめ髪と素肌に近いメイクはわざとなんだろう。衣服も平凡なベージュ色の上下だし。


 宇土は、ただでさえ冴えない顔がほとんど土気色になっている。井部とは対照的に、そこそこ値段の高い背広ネクタイなのが余計に惨めに思えた。


「宇土主任、休憩室にきて下さい。井部さんも。井部さんは録音機を持参して」


 三人いる中で唯一名前を呼ばれなかった正は、これ幸いとばかりにパソコンの画面に没頭した。


 休憩室は、六畳くらいの広さを備えている。素っ気ない折り畳み式のパイプ椅子が五つに、同じ形式の長机が三つ。一応電気ポットも備品で、既にお湯を貯えている。お茶なんてだすつもりはない。


「まず、井部さんは書記です。今回の話を録音し、あとで文字に起こして下さい」


 二人を座らせ、自分も座ってからそう指示した。


「かしこまりました」


 井部が、だれにでも見えるよう白い録音機を長机にだした。四角く細長いそれは、テープレコーダーではなくUSBを差して記録する。パソコンにUSBを差し直せば、音声としても文字としても再生できる。いうまでもなく、USBはすでに差してあった。


「では、始めます」


 私が宣言すると、井部は録音機のスイッチを入れた。


 実のところ、井部がいなくとも録音には差し支えない。その意味では、むしろ証人という立場で捉えるべきだろう。


「宇土さん。私は、あなたが職務で知り合った利用客の一人と不倫の関係にあるのを掴んでいます。弁明はありますか?」


 まだるっこしい前置きを無視して、一言一言をはっきりと切りだした。


「はい……いえ、ありません」


 宇土は下を向いてもごもごと答えた。


「それはいつからですか?」

「去年の今頃からです」

「相手の名前は?」

「寺浜 陽子さんといいます」


 寺浜? 蒲池ではないのか。偽名だろうか。


「どちらから誘ったのですか?」


 不審感をおくびにもだしてはならない。自然な流れで尋ねた。


「最初は、ただの偶然で……私が一人でいった旅行先に寺浜さんがいました。お互いにそれと気づいて、挨拶をして終わりました」

「一人で旅行? 奥様はどうしたんですか?」

「妻は、普段は大人しいのですが些細なことで爆発的に怒るんです。そうなると、それまで溜め込んでいた恨みつらみを長々と言い続けます」


 微妙にずれているが、どのみち知っておく必要はあった。


「例えば?」

「玄関で靴の向きを戸口に向かってそろえておかなかったとか、トイレの床マットがずれたのを直さなかったとかです」


 それなら若干は酌量の余地がある。若干は。


「とにかく、旅先で会ってその場は挨拶だけだったと。じゃあ、本格的な関係になったのはいつですか?」

「最初に会ってから二ヶ月ほどあとです。仕事が終わって、帰り道で泣きながら歩道を歩いているのを見かけて声をかけまして……」

「どのくらい頻繁に会っていましたか?」


 どんな理由で泣いていたかはこの際どうでもいい。


「最初は月に一回くらいで、今は二回です」


 ため息をつきたくなる。立派に訴訟案件だ。


「宇土さん。あなたの行為は会社の評判に著しく傷をつけ、あまつさえ法律沙汰になりかねない結果をもたらしています。それは、理解していますね?」

「はい」

「あなたの奥様は本件を把握していますか?」

「はい」


 さすがに、これは嘘をつけない。夕べの内に私が聞いた通り。


 それにしても、陽子さんとやらは既婚者なのか独身なのか。それはそれで追及しないと。


「会社としては、あなたを告訴しなければなりません。ただし、条件によっては示談ですませます」

「条件とは……なんでしょう」

「今後、あなたがだれからどう訴えられてもそれはあなた個人の問題であって会社は関与しないしされないというものです」


 ここが肝心。使用者責任を問われたら面倒になる。相手も嘘をついていたのだし、そう強くは当たれないだろう。今回のやり取りでは、陽子さんが既婚者とは触れていない。あくまで会社側は宇土だけの不倫としか認識していなかったという体裁を取る。


「わかりました」


 自業自得。宇土としては、断れるはずがない。


「では、あなたをこの場で風紀びん乱により懲戒免職とします。必要な書類は追ってあなたの自宅に郵送します。今から三十分以内に私物を整理してでていって下さい。引継については心配しなくて結構」


 むしろ、引継書類を作るついでに都合の悪い記録を削除されたりすると困る。


「はい」

「私物以外の品については一切触れてはなりません。パソコンのパスワードなど必要な伝達事項はメモ書きして残して下さい。なお、法律に則り一ヶ月分の給料を支給します」

「はい」

「井部さんは記録の文字起こしが終わったら私にメールで送信して、宇土さん宛に書類を郵送して下さい。以上です」

「かしこまりました」


 宇土よりはるかにしっかりした口調で承諾して、井部は録音機のスイッチを切った。カチッという音が、宇土の首に降ってきたギロチンのそれとなった。


 じゃあ、私はどうなんだ。


 宇土が首になるのは当然として……生活のため、相手を選んでいるとはいえ『壁』なんかを運営しているのは。まして、宇土は近い将来『金杖』から報復の仕打ちを受ける。それを知っていて、黙っているどころか間接的に手を貸している。

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