四、『取材』の口直しにオムライス 一

 刑事ドラマが終わって、少し昼寝したあとストレッチを消化したら正が帰ってきた。もちろん定時。エンジェルズベルは労基法を厳守する。それは絶対に譲れない。


「オムライスだったよな」


 自分の部屋で普段着に灰黄色のエプロン姿となり、食卓に現れるなり正は言った。どうでもいいけどユーモラスな牛の絵が印刷してある。それで牛丼なんかを作ったりもする。


「うんっ!」


 元気よく答える私に彼はうなずき、冷蔵庫から食材を持ちだした。


 まずはキャベツと玉ねぎとベーコンをみじん切りにする。次に小さな深皿を用意し、卵を溶きほぐした。


 それからフライパンにサラダ油を引いて加熱し、野菜とベーコンを炒める。さらに、二人分のご飯を入れて炒め続けてケチャップと胡椒を加えた。ちなみに今回は、プラスチックの容器に入った製粉ずみの胡椒だった。


 炒め終わった具入りご飯が、溶き卵とは別の二枚のお皿に移った。次に正は溶き卵をフライパンに薄く広がるように流した。油がはぜる音と、換気扇を回していても余った香りが流れてきてとてもお腹が空いた。


 卵が半熟になってから、フライ返しで半分に割ってそれぞれをさっきの炒めご飯にかける。最後にケチャップをかけて完成。


「お待たせお待たせ」


 湯気のたつオムライスに、私の両目は輝いた。今回はアルコールなし。


「頂きます!」


 いつもより元気よく手を合わせ、スプーンを持った。


「あちちち」

「ゆっくり食べなよ」


 笑いながらたしなめる彼に、口の中が熱くて返事ができない。代わりに水を飲んだ。


「美味しい!」


 ケチャップの酸味と胡椒の辛味が引きたて合ってベーコンや野菜の味を盛り上げている。


「そりゃよかった」


 にこにこしながら正も頬張っている。


「それにしても、今日は職場に変なのがきた」


 単なる世間話といった感じだった。


「変なの?」


 私が聞き返すと、正はスプーンでオムライスをすくいとりながら少しだけ唇の端を曲げた。


「自称フリーランスのジャーナリストだって。むさ苦しい格好のおっさんで、髪も伸ばしてうしろでくくってさ。江原えはらって名乗ってたけど、名刺どころかアポもないし」


 それは宇土の報告になかった。


「個人情報でも聞きにきたの?」

「いや、もっとトンチンカンだったぜ。社長と話がしたいっていうから、用件がはっきりしないと無理だって突っぱねたんだ」

「ふうん」


 当の社長は、もちろんそんな怪しげな人間に時間を割くつもりはない。むしろ、私が自分の両親についてだれかに聞きたいくらい。


「そうしたら『じゃあ単刀直入に聞きましょう。エンジェルズベルさん、顧客の利用情報切り売りしてますよね』ときたよ」


 正がふざけてわざとらしく口真似するのを耳にして、危うくスプーンを落とすところだった。『アスファルト』が失敗したとは到底思えない。『壁』からエンジェルズベルを示す手がかりは一切ないはず。


「いい加減にしないと警察を呼ぶって脅したら、呼ばれて困るのはお宅でしょうとか抜かした。あんたこそ企業ゴロで叩けばホコリがでるんじゃないかっていい返したら、今日はこの辺でって逃げていったよ」

「主任はどうするって?」

「いつもの通りことなかれ主義だよ。まあ、俺でもわざわざ報告はしないかな。社長にはもっと大事なことを考える責任があるし」


 正のいう通り、そんなチンピラまでいちいち相手にしているとキリがない。しかし、叩けばホコリがたつのは私も同じだ。


 たまたま、なにかの弾みでエンジェルズベルの利用客と『壁』について得られる情報が重なっていたから臭いと感じた……そんなところか。


「井部さんは?」

「ちょうどお客さんのカウンセリングで席を外してたな。お互い仕事以外で話はしないし」


 カウンセリングは、防音仕様の専用室で進められる。正の立場からすれば、若い女性の後輩と不必要に仲良くするのは避けるのが無難ではある。これでは井部も、というより『アスファルト』も報告のしようがない。そうでなくとも、井部は必要のないことには無口な人間だ。『壁』としては頼もしい限りながら、正が肩をすくめたくなる気持ちも想像できる。


 江原とやらは、本気でエンジェルズベルを潰したいのではないはずだ。それより、つかず離れずで無料の情報源として利用する方に旨味がある。


 いずれそんな手あいが湧いてくるとは考えていた。これを機に、組織の在り方を見直さないといけない。


「どうした? 黙りこくって」

「え? ああ、施設にもああいうのはきていたから」

「都合のいい時だけ善意の広報面をしといて、自分らの筋書き通りにならなかったらポイ捨てだよ」


 珍しく、正は顔をしかめた。


「冷める前にオムライス食べちゃおう」

「ああ」


 それからお皿が空になるまでは、二人とも無言だった。


 食事もあと片づけも終わり、私は自分の部屋に戻った。江原をどうするか対策をたてて決断しなければならない。


 夫婦でもそうなのだろうけど、同棲中でも自分だけの空間を持つのはとても大事。お金によりけりにしても、正と二人で物件を選んだときにそれだけは妥協しなかった。鍵がかからないのだけが不満で、こればかりは慣れるしかなかった。


 薄緑色をした安物のカーペットは、本棚とベッドとパソコンで大半が埋まっていた。ベッドのすぐ傍にある車輪つきの脇机……ディスカウントショップで事務用品コーナーから選んだ……の上には、見開き式の写真たてが飾ってある。向かって左側は児童養護施設の卒園写真、右側は手書きのメモ。


 施設は、少なくとも私が育った間は幸運にも公平な場所だった。それは心から感謝しているし、卒園生にはあえて連絡を取り合ってない。万が一にも『壁』絡みで迷惑をかけたくないから。


 手書きのメモは、私と親をつなぐ唯一の資料になっている。『この子をお願いします。離乳食のレシピ』とあって、ケチャップを使った離乳食の作り方がまとめてある。二十四年前、施設の正門前にプラスチックの籠が置き去にされ、その中でおくるみに包まれた私が泣きじゃくっていた。体の下にはこのメモがあったきりだそうだ。


 かごやおくるみは数年の内にどこかへいってしまった。レシピにしても、内容もありふれていればメモ用紙自体もありふれた品だった。当時の私は添えられたレシピ以外の離乳食を作ろうものなら泣き喚いて一切手をつけようとしなかったので、結果として保存されることになった。


 こだわるといえば、江原。どうしてくれよう。

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