二、チーズサラミは悪徳 二

 熱弁をふるう正を笑いながらやり過ごし、ケチャップをサラミチーズの一つに少し垂らした。


「頂きまーす」


 私が手を伸ばすと、正も講義を止めて同じようにした。胡椒はちゃんとかけていた。


「いいね。がぶがぶやっちゃうね」

「すぐ太っちゃうよ」


 冗談めかして私が言うのを、正は笑って無視した。水分の抜けた黄色いチーズは、かすかな苦味にサラミの肉汁が混ざり合ってワインが進んだ。二人で一瓶開けた。


「そろそろ寝るよ」

「うん。片づけは私がやるから。どうせ苺食べるし」

「そうか。お休み」


 正、退場。ようやく苺の出番だ。


 そういえば、苺に牛乳をかけるのは邪道という台詞があったのを思いだす。どんな食べ方だろうと自由ではある。私はそのまま派。


 一人で苺を食べながら、『壁』と『エンジェルズベル』のごく近い未来について考えた。


 宇土はもう駄目だ。『アスファルト』こと井部への報酬はこれからすぐ振り込む。報酬にもランクがあり、今回は下の上くらいになる。駆けだしの会社員の給料三日分くらいか。


 宇土夫妻が互いにどれほど信頼し合っているかくらいは、本人の入社前に調査ずみだった。十年ほど前、二人とも同じ中堅建設業で働く内に職場結婚。子供はおらず、夫の実は去年上司からパワハラの被害を受けて適応障害にかかり自己都合退職。妻のすずねは一貫して同じ職場にいるものの、通して契約社員。


 建設業で働いていたといっても、宇土は営業畑の人間だった。数年前まではそれなりに好成績を上げていた反面、『エンジェルズベル』ではさすがに前職ほどの給料はだせない。自宅のローンもまだまだ残っている。決して良好な夫婦関係とはいえないだろう。


 口の中で苺の種を噛み潰しながら、新しい社員の募集について考えていると再びメールが入った。また『アスファルト』からだ。


 今度は短く、『金杖きんじょう』から情報の要望がきているとある。目的は、まさに宇土夫妻の詳細。


 『金杖』は、フリーランスの報復屋をしている。本名はもちろん性別もわからない。エンジェルズベルとも『壁』とも関係ない。『金杖』への依頼は、『壁』とはまた別なルートで個々の依頼人が勝手に行う。


 もっとも、『金杖』は報復屋であって殺し屋ではなかった。依頼主の注文と予算に応じて、相手を痛めつけるだけ。証拠は一切残さず、事故に見せかけておこなう。


 重要なのは、『金杖』は不倫専門の報復屋をしている。つまり、浮気した配偶者やその相手を標的にする。


 『壁』と『金杖』は、持ちつ持たれつの緩い関係になっている。もちろん、先方が自分からそんなことをぺらぺら喋ったのではない。やりとりは今に至るまで全てメールだし、最初の一回目は善意の私立探偵を名乗っていた。


 こういう類は情報を渡してから追跡調査をする。報復屋というのは『アスファルト』がつきとめた。それは『金杖』にも伝えた。相手は大して悪びれもせずに認め、改めて仕事のつきあいを願ってきた。役にたちそうだから受諾した。


 ただし、正確な正体まではわからずじまいだ。いずれにせよ半分は腐れ縁、半分は闇社会への防波堤を意識してつかず離れずのつき合いをしている。


 それはそれとして、問題は標的だ。確かに実は浮気している。依頼人は妻のすずねだろう。どんな形で彼女が『金杖』を知ったのかはどうでもいい。実の浮気相手とすずねの言動を把握せねばならない。『アスファルト』は、指示さえ下せば明日には情報を入手するだろう。『金杖』にどのくらいまで教えるかはそれから決める。


 そうした指示は、あえて明日に延ばすことにした。緊急ではないし、一呼吸待ってから判断した方がいいこともある。


 最後の苺を摘まみながら、ふと冷蔵庫を眺めた。それほど高性能でも大きくもない。同棲が始まる前からあった。買ったばかりのケチャップと、もうすぐなくなるそれとが入っている。


 施設時代でも、ケチャップだけはふんだんに使えた。施設がトマト畑を運営していたから。ケチャップが唯一、飢えを払う切り札だった。おかげで、やろうと思えば鉢植えくらいならすぐにでもトマトの栽培が始められるようにもなった。スーパーの既製品しか手に入れないけれど。


 施設といえば、たまに虐待やいじめが新聞沙汰になったりする。奇跡的にそうした酷い体験をせずにすんだ。その代わりというのでもないにしろ、最低限の食事をごく短い時間で終わらさねばならない。食器も、割れたり欠けたりしないよう金属製を使う。


 正との馴れ初めもケチャップだった。


 県庁時代の最後の年、休憩室でホットサンドを食べていたら彼が入ってきた。当時、彼は家電メーカーの営業だった。会社に人手がないので保守点検も兼務していた。


 休憩室のエアコンを確かめようとしていた彼のズボンに、私はケチャップの赤い染みをつけてしまった。小袋の向きを間違えたのと、なかなかでないケチャップに業を煮やして思いきり小袋を押したのとが重なったせい。思い返すと、県庁時代で一番得したできごとかもしれない。


 そういえば、正は何故か胡椒に詳しい。味の判別はもちろん、一粒でどこの国の産地か当てられる。ちょっとした特技で感心した。私はというと、ケチャップならなんでもいい。我ながら大雑把。


 軽く欠伸がでて、もうずいぶん前に空になったお皿を見下ろした。苺はすぐなくなる。明日に備えてそろそろ寝よう。

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