二、チーズサラミは悪徳 一

 買い物袋を下げて部屋に戻る道中、エレベーターの中でスマホを確認した。差し出し人は『アスファルト』とあった。部下からだ。エンジェルズベルとは関係ない。いや、間接的にはあるのか。


 『アスファルト』はエンジェルズベルの社員でもあり、正からすれば後輩になる。本名は井部 優子、四捨五入すれば三十路。さる介護施設の職員だったのを引き抜いた。私と正の中間くらいな歳で、外見は新卒といってもまだまだ通用するだろう。


 『アスファルト』からは、私は社長ではなく『竹柱』と呼ばれる。どちらも名前そのものにはなんの意味もない。


 私がたち上げた事業は、結婚相談所だけではない。既婚者が、独身を装って堂々と浮気することもある。結婚詐欺の種にされることもある。最初は、そんな手合いへの防衛策として多少掘り下げた調査をするだけだった。


 しばらくして、私は嫌でも思い知らされた。法律は決して弱い人間を守らない。だから、私は方針を変えねばならなかった。


 登録者の情報を、依頼に応じて切り売りする情報組織……『壁』もまた大事な収入源だ。構成員は『竹柱』こと私と『アスファルト』の二人だけ。今のところ拡張する予定はない。


 むろん、客は選ぶ。暴力団だのカルト宗教だのは一切相手にしない。どんなあと腐れがあるかわからないから。対象はあくまでエンジェルズベルの利用者に絞った。テレビや漫画にでてくるような芝居がかった内容はいらない。浮気や信用の調査資料作成だけで充分。


 井部は、エンジェルズベルにおいてカウンセラーを担当している。カップルが成立したりしかけたりしている人々が相手への疑念を持ったら、信用できる調査機関という名目で私の許可を経てから『壁』に誘導する。利用者からすれば両者が表裏一体などと想像もできないだろう。盗聴や尾行も井部の仕事で、私は報酬を払うのみ。井部は熱心かつ的確に任務をこなす。ならば、任せればいい。


 正は、自分の後輩が『アスファルト』などと名乗っているのを全く知らない。井部は、私の過去までは知らない。全てを知るのはあくまで私だ。


 しかし、『壁』の目的はお金が全てではない。


 力が少しずつ大きくなるにつれ、私が自分の両親を探したいと考え始めるようになっている。経済的にはまがりなりにも安定しているにせよ……だからこそ私は知りたい。一生見果てぬ夢だろうけど。


 幸福の絶頂といわんばかりに輝くカップルからの、お礼や絶賛のメールがエンジェルズベルに届くたびに私は充実感と虚無感を同時に味わった。


 しょせん他人事……私が結婚しようが出産しようが、まっさきに祝福する両親はいない。絶対に他言できない、ねじれた醜悪な思いがにじみでてくる。自己嫌悪のやり場が『壁』になったのかもしれない。


 とにかく、『アスファルト』からの知らせを把握しよう。


 暗証番号を入力して画面を開き、メールの中身を呼びだした。動画が二つ添付されていて、本文はなかった。


 そこでエレベーターは止まり、私は箱からでた。通路の隅で、防犯カメラからは画面が見えないように動画を検分した。はた目には、買い物帰りの人間がスマホをつついているようにしか思えない。


 最初の動画を再生したら、ラブホテルから車に乗ってでてくる二人組が撮影されている。日時は今から三十分ほど前。一人は宇土で、もう一人は女性だった。ラブホテルそのものは、街外れにあるフリータイム八時間五千円……ごく平凡なものに過ぎない。一時停止して画像をコピーし、拡大してみた。案の定、さっき横断歩道の手前で目にした車と女性に間違いなかった。


 動画自体は、二十秒ほどで終わった。


 二つ目は、一週間ほど前の朝に記録されている。『宇土』と表札のかかった一軒家からさっきと同じ車がでてくる場面だ。運転手の宇土だけが乗っていた。そして、カメラの視点が表札の下にある小さな石版のプレートに移った。宇土家の面々の名前……『実』と『すずね』が彫ってある。前者はエンジェルズベルの宇土で、後者は彼の配偶者に違いない。


 動画はまだ終わらなかった。


 カメラの視点は車庫から二階に上がった。ベランダで、一人の女性が布団を手すりにかけている。最初の動画にでてきた、ラブホテルから宇土とでてきた女性とは別人だった。察するに、彼女がすずねか。はっきりした容貌や身体つきまではわかりにくいものの、充分だ。


 宇土は『エンジェルズベル』の社員ではあっても『壁』とは関係ない。それに、結婚相談所の従業員が不倫など論外だ。『アスファルト』がどんな成りいきで動画を撮影したのかは知らないが、この際どうでもいい。さすがにこれは、外部に売れないだろう。宇土にはなんらかの処分が必要にしても。


 スマホを切り、まずは帰宅することにした。


「ただいま」


 鍵を開けて玄関をくぐると、ドアのきしむ音と買い物袋がよじれるそれが重なった。


「お帰り」


 正は赤ワインの残りをちびちびやっていたようだ。私が使っていたワイングラスは洗ってから置き直してあった。


 食卓で買い物袋からスライスチーズやサラミをだし、最後にケチャップがお目見えとなる。


「明日はオムライスにでもするかな」

「楽しみ!」


 笑いながら、上着を脱いで背もたれにかけた。次いでつまみを作るために台所へ。エプロンをつけるまでもない。


「俺がやるよ」

「いいから座ってて。アルコールが入ってるし」


 それは私も同じではある。ただ、量としては正の方が間違いなく多い。


 まな板をだしてサラミを輪切りにし、スライスチーズの上に乗せる一方でお皿にクッキングシートをかぶせた。サラミつきチーズをクッキングシートに並べ、電子レンジで数分。


 待っている間にケチャップを冷蔵庫に入れ、代わりに苺の出番となる。正確には一番最後に登場予定。


 苺のヘタを取り、洗ったあとザルで水切りにかかる。そのとき、電子レンジがサラミつきチーズの完成を知らせてきた。


「はいはい」


 苺をお皿に移してから二股手袋をはめ、電子レンジの扉を開けた。途端にどろりとした肉と脂の香りが流れてくる。手袋越しにお皿を掴み、私と正のちょうど真ん中になるように配した。


「召し上がれ」


 二股手袋を元に戻し、自分も座ってから声をかけた。


「いただ……いや待て」


 正はいきなり席をたち、台所からパスタに使った胡椒の瓶を持ってきた。


「ここぞで胡椒だ」

「なにそれ」


 駄洒落になろうとしてなり損なっている。などと呆れながらも私はケチャップをだした。


「スライスチーズには粗挽き胡椒だよ」

「なんにでも粗挽き胡椒のくせに」

「違うよ、細引きには細引きの用途があって……」

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