二十三、一同で鴨肉のロース煮 三

「いきなり全ての土地を奪うんじゃなく、分筆されていた親族名義の土地を公募で落札した形にしたんですよ」


 山林では、所有者が亡くなっても正式に登記を移さないことが多い。地主がすでに所有地とは無関係な生活をして疎遠になっており、実質的な管理者は別人であるのも珍しくない。当人の遺族が、法的には土地を相続していることすら気づいてない事例もある。なんらかの理由で、遺族が土地の管理者に当人の死を告げてない場合はますます誤解が強まる。


「あくまで合法じゃありませんか!」

「ところが奥さん、口約束ながら、その土地は所有者が死んだら林業をやってた私の父が譲り受けることになっていましてね。なぜなら材木の搬出道路を含んでいるからです。それを取り上げられたら、親父が持ってた土地だけじゃどうしようもない」


 つまり、私有地につき通り抜け禁止とすればいくら木を切っても運べない。そうなれば残りの土地は無意味となる。


「親父の最後の自尊心は、首を吊ることで完結したんですよ」

「なら口約束じゃなく、それこそ書類にしておくべきでしたよね」

「お宅様のご主人が、取り上げた土地の所有者をだれが相続するのかについてどう調べたのかも書類にしておくべきじゃなかったんですかね」

「……」

「さてと、久保社長もなにかいいたそうですよ」


 長い前座だった。江原にうなずき、私は始に視線を据えた。


「そろそろいいでしょう。弊社の井部を解放して下さい」

「なんの話だ?」

「とぼけても無駄ですよ。真奈江さんまで、あなた達の口論を聞いたんですから」


 こんなときに真奈江をダシにしたくない。同時に、相手の意図を挫くのに有効ならためらわない。本当は、ここにいる人々の中で私こそがもっとも矛盾している。


「少し待っていろ」


 観念したのか、始は椅子をうしろに引いた。


「相川さん、たち会いをお願いします」


 この際、荒事を予防するために先手を打たねばならない。


「わかりました」


 二人が食堂を離れ、数分して戻った。井部を連れて。


 井部の顔は真っ青で、剥げかかったメイクがうっすらと中途半端なまだら模様になっている。醜悪とも壮絶とも表現できる彼女の様子は、枝毛だらけの頭と相まって異様な迫力をにじみだしていた。


「井部さん、大丈夫ですか?」


 凡庸な質問でも役にはたつ。黙って井部はうなずいた。


「これで、弊社としては蒲池家を告訴する十分な動機ができましたね」

「待て! 井部自身が喋った。こいつは俺達をずっと盗聴していただろうが!」

「そしてあなた自身が井部さんと不倫したことも暴露されますよね」

「ふん、証拠があるのか?」


 ふてぶてしく居直る始に、井部は上着の胸ポケットから自分のスマホをだして画像をつきつけた。


「な、なんだこれは」


 始はあっさりと表情を変えた。


「中絶した赤ちゃんのへその緒。遺伝子が壊れないように特別に保存してあるから。私の家の冷凍庫に」

「……」


 絶句、とはまさにこのことだろう。


「可愛いお嬢さんね」


 井部は、真奈江をじっと眺めた。真奈江はうつむいている。


「真奈江は関係ないだろう!」


 いきりたつ始に、井部はスマホを入れていたのとはまた別個のポケットから一枚の小さなお皿をだした。陶芸教室で井部が作った物だ。きれいに焼き上がっていて柄はなく、深緑色の釉薬がかかっている。あれから検見さんが焼いて送って下さったのは知っていた。


「このお皿を上げる。腹違いだけど、姉妹で仲良く使ってね」

「ふざけるな!」


 井部が真奈江に差しだそうとした小皿を、始は手で払いのけた。小皿が床に落ち、割れて二つの欠片になった。


「井部さん、今はそれくらいでいいでしょう。弊社としての主張は以上です。それで、邦子さん」


 改めて、私は邦子を名指しした。


「これら全てを、ご主人が私を実の娘と認めて謝罪して真相を話せばお互いに和解する。それが、私の最後の主張です」


 本当は、江原と組んで骨の髄までしゃぶりたい。こんな奴らから絞り取るのはこれっぽっちもためらわない。


 でも真奈江がいる。彼女をこれ以上傷つけるのは、どうしてもためらわざるを得ない。


 だからといって、蒲池家の面々をなあなあにして無罪放免するつもりもなかった。いわばぎりぎりの妥協点だ。


「さっきから、いきなり押しかけてなにを勝手な理屈ばかり……」

「ただいま」


 蒲池 宏の声が、玄関から響いた。蒲池家の面々はいっせいに身をすくませた。その呪縛が解ける前に、足音が次第に近づき食堂のドアが開けられる。


「な、なんだこれは? なにかのパーティーか?」


 蒲池 宏総務部長は、茶色いダウンジャケットの下に上等な仕たてのスーツを身につけていた。袖口にちらっと覗く腕時計も、始がつけているそれよりさらに高額な品だ。それだけに、驚愕した表情がどこか間抜けに思えた。


「そうですね、パーティーと捉えてもある意味間違いないです。陽子さん、人数分の椅子はないですか?」


 邦子は和服で動きが鈍いし、始だといきなり逆上して暴れかねない。宏が応じるはずはないし、真奈江は論外だろう。


「はい」


 陽子は意外にもきびきび動いた。とにかく気が紛れる機会を望んでいたのだろう。


 数分後、全ての役者がそろい着席した。相変わらず私はお誕生日席で、宏のちょうど真向かいになっている。


 私がかいつまんでいきさつを話すと、宏は腕組みをして顔をしかめた。


「邦子、警察だ。すぐにきてもらえ」


 第一声がそうくるのは予想している。


「でも、お父さん」

「同じことを何度も言わすな!」


 ダンッと食卓を右拳で叩き、宏は怒鳴った。


「その強気はもう効かねえよ」


 正が……格好は宅急便業者のまま……初めて口を開いた。


「なんだと?」

「あんたの背景にあった暴力団……ちょっとやりすぎたな。よその県でまで騒ぎを起こしてる。しかも素人相手に」


 正がスマホのネットニュースをつきつけた。広域暴力団の上層部がいっせいに逮捕されたようだ。


「ゴルフ場の経営破綻で焦ったのが仇になったってわけだ」


 江原が蔑みを隠さず嘲笑った。


「この上個人的なスキャンダルまで暴露されたら選挙どころじゃありませんよね」


 私はとどめを刺した。邦子以下、宏と真奈江を除いた蒲池家の面々が宏に注目した。

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