七、豚カツで美的センスの鍛錬 二
県庁では、身分がどうあれ他の職員とは距離を置いていた。彼女だけは例外で、知人以上友人以下のような感覚。
それにしても、変わらないなぁ。
分厚く野暮ったい眼鏡に短めの黒髪、服装は判で押したように青赤黄のどれかのワンピース。マスクまで彼女の冴えない雰囲気を助長していた。
彼女は同人雑誌に没頭する、人付き合いの苦手な性格をしていた。たまたま私が読んでいた漫画……エンジェルズベルのたち上げで参考になるかと思って読んでいただけだけど……で話題が噛み合った。以来、つかず離れずの関係。
そんな駒瀬が、結婚したり未婚の母になったりしたとはとても思えない。だいいち、それなら退会している。そういう点は律儀だから。あとでそれとなく質問しよう。
「着いたぜ」
「い……いいお店だね……」
駒瀬はさておき。我ながらひきつった笑顔とコメントになってしまった。
それこそ彼女が喜びそうな、テレビゲームにでてくる昔のヨーロッパのお城みたいな外観をしている。城壁を意識した壁には、擬人化されたゆるキャラ風の豚が横たわってウインクしながら『富竹』と描いた看板を両手で持っている。ピンク色の身体もさることながら、背景にはご丁寧にもキャベツの千切りが添えてあった。
「こ、ここがお勧めなのよね……」
「そんなに感動してくれて嬉しいな。さ、入ろう」
逆に食べられちゃいそう。
「いらっしゃいませ!」
中に入ると、作務衣姿の店の人がお辞儀して出迎えてくれた。中年の女性で、なにからなにまで心得ていますといわんばかりの微笑みだった。どうでもいいけど上品な琴の調べが流れている。
「お二人様ですか?」
「はい」
慣れた口調で正は答えた。
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
そうして通されたテーブル席は、透かし彫りを施した磨りガラスの衝立で他と区切られていた。彫られているのは王子様にキスされる直前の白雪姫だ。
「失礼致します」
席について間を置かず、先ほどの店員が暖かいお茶とおしぼりを持ってきた。お礼をいって受け取った。寒い道中だったし、しみじみありがたい。
注文には待って貰うことにして、お品書きを開いた。ロースにヒレ、串カツ、生姜焼き……全部豚だ。
「ここは鹿児島産か、またはフランス産の豚肉しか使わない」
お品書きを読む私に、正は説明した。
「フランス産……?」
「わざわざオーナーが畜産農家と契約して取り寄せているんだ。だから、同じメニューで日本の国旗とフランスの国旗があるだろ」
「ほんとだ」
「だからこそ、和洋折衷の演出をしているんだ。当たり前だがどれも美味い」
「わ、ワヨウセッチュウかあ」
どこか方向が……なんでもない。
それより、ごくかすかに奇妙な香りがした。異臭や悪臭ではない。
「どうした?」
「土の香りがする」
それは、スーパーで感じた検見さんからの香りだった。
「そうか? あ、澪は鼻がいいんだよな」
誉めているのかどうだか。苦笑しながらもロースカツ御膳に決めた。フランス産で。
「俺は……うん、串カツ定食、鹿児島産でいこう」
呼びだしボタンを押して注文を伝えると、店員は伝票に記録をつけてからお茶の鉄瓶を置いていった。それこそ、フランスでは日本の鉄瓶が人気と聞いたことがある。
待つ間に、駒瀬にメールを送った。冗談めかしてニアミスしたと伝えたら、迷子を保護して警察に引き渡したと返信がきた。そういえば、彼女は他人からよく道を尋ねられるそうだ。本人談なのでどこまで事実かは知らない。
連れていた女の子は、お使い先のスーパーでスマホをバッグごと忘れてしまったそうだ。正確には、スーパーのトイレにいったときに個室の外側のノブにバッグを吊るしていた。なぜわざわざ外側に吊るしていたのかと聞かれると、室内だと汚いと思ったからだとか。それを忘れ物と勘違いした人が店員に届けた。本人は盗まれたと思い込んでそのまま帰り、道に迷ったという。帰り道はいつもスマホの地図機能に頼りきりだったそうだ。
結局、全て元通りに収まりことなきを得た。笑い話ですんでほっとした。
「お待たせしました」
ちょうどのタイミングでロースカツ御膳と串カツ定食がきた。会釈してそれぞれ受け取ると、ロースカツにかかったソースからかすかにケチャップの香りがした。
お店によっては、備えつけの小さな壺に入ったソースを使うところもある。ここはあらかじめかけた状態。
見るだにどっしりしたロースは食べやすいように細長く切ってある。衣から漂う風格は和洋折衷というより和魂洋才を感じた。
「頂きます」
味噌汁を一口飲むと、危うく声がでかけた。見かけは普通の味噌汁で、中身はスープに近い。牛乳が加えてあって、具も玉ネギにベーコン。
それからロースカツにつけ合わせのキャベツを食べた。和風にゴマドレッシングがかかっていて食が進む。
さてと、ロースカツ。一切れ食べるとケチャップの風味が……味噌?
ソースは、味噌をベースにケチャップを隠し味で加えてあった。具体的な作り方は想像もつかない。
「美味いか?」
正は串カツを一つ外し、小皿の胡椒につけてから頬張った。
「うん!」
「紹介したかいがあったな。ここの胡椒、間違いなくカンポットペッパーだよ」
「カンポット……?」
「カンボジア産のブランド胡椒さ。厳重な品質管理で有名なんだ。だから美味い」
「胡椒って、インドとかベトナムとか……」
「もちろん、それらにも一つ一つの値打ちがある。だが、カンポットは間違いなく最高だ。そもそもフランスの植民地だった時分に……」
正のうんちくを適当に聞き流し、黙々と食べた。ロースカツにはカンポットなんとかは使われてない。代わりに隠し味のケチャップは酸味がとてもふっくらしている。別個の工夫があるのだろう。
「ご馳走さまでした」
食後に、改めて鉄瓶のお茶を堪能してお開きになった。
「ご馳走さまでした」
心から満足し、店をでてから改めてお礼を述べた。正は笑ってうなずいた。
二人で歩きながら、空を見上げるとオリオン座が輝いている。視線を下げると、アパートからも見える山の稜線とゴルフ場の明かりがあった。
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