十三、アンチョビピザで悪夢を区切る 二

 この県の県庁では、歴代総務部長が新入職員の採用を右左する。かつては人事部があったものの、今から二十五年ほど前に総務部と一体化して消滅した。ちょうど、官公庁の肥大化がマスコミで叩かれた時節だった。


『でも、今度はイケメンの新卒くるらしいって』


 いびりが嬉しそうにぶちまけた。


『あらっ、あたしもなにか間違いがあるかも?』


 口を開けば夫の愚痴ばかり垂れている婚活オタクが、愚にもつかない冗談を吐いた。


 寒い。寒々しいにもほどがある。いや、寒いを通り越して冷たい。


「ぼちぼち起きろよ。飯、作ったぜ」

「わわっ!」


 がばっと頭を跳ね起こした。


「よだれの跡が口の端についてるぞ」

「えっ、ええっ?」


 慌てて右手の甲でぬぐった。


「冗談だよ」

「もうっ!」


 ベシッと右手の甲で腹を打ち据えてやると、大げさに痛がった。


「まあそう怒るなよ。アンチョビピザを作ったんだぜ」


 それでようやく、室内に漂う美味しそうな香りに気づいた。


「お腹減った」

「じゃあ始めるか。おっと、その前に」


 どこからともなく正は二枚の丸い平皿をだした。くすんで濃淡のついた緑色の地に手書きのツバメが描いてある。


「まあまあ値が張ったな」

「新しく買ったの?」

「ああ。織部焼おりべやきっていうらしいな」


 それが安土桃山時代の大名に由来する美濃焼の一種というのは、最近になって初めて知った。


「どうして?」

「そりゃあ、会社でも企画がたってるし。俺にとっても新しい趣味になるかもしれん。一枚は澪にやるよ」


 実利一辺倒の人間かと思っていたら、意外なところで感心させられた。


「いいの?」

「それこそ冗談をいっても始まらん。ピザを乗せよう」

「うん!」


 正が作ったのは、イタリアンレストランのような本格的なものではなかった。それでも、アンチョビを散らしたクリーム色の生地がお皿の緑色によく映えた。あらかじめ八等分に切ってある。


「ケチャップは使ってないから、好みでどうぞ」


 胡椒の瓶を手にしながら、正はつけ加えた。ちなみに彼は白胡椒。


「ありがとう」


 ピザの具は、チーズにアンチョビ、そして玉ネギ。そこへケチャップをかけると、アンチョビの塩辛い香りがもっと豊かになった。


「頂きます」


 正と共に頭を下げてから、一切れつまんでかじった。溶けかかったチーズがまろやかで美味しい。ピザがなくなっていくにつれ、お皿の模様が顔をだしていくのも乙な趣向だ。


「そういえば、また江原とかいうおっさんを見かけたな」


 一口で一欠片の半分くらいを正はかじり取った。


「こんなときにあんな人の話をださないでよ」


 せっかく感謝しているのに。


「悪い悪い。事故にでもあったのか、湿布やら包帯やらで全身ごてごてだったからさ」

「どこで見かけたの?」


 考えるまでもなく、まだ完全には回復していないようだ。話にでてきたからには聞いておかねばならない。


「カクマートからちょっと離れた工芸店の近くだよ。皿を買いにいったとき。だれかに取材しようとしていたな」


 その説明からすれば、知り合いではなさそうだ。


「まだエンジェルズベルにつきまとってるの?」

「いや、なにを聞きだそうとしていたかまでははっきりしなかった。というより、全く相手にされてなかった」

「なあんだ。相手はどんな人?」

「背広ネクタイで、俺達よりは歳上の男だった。多分、四十まではいってないね。宇土じゃないよ」


 差し当たり、神経質になる必要はなさそうだ。


 それより正が気を配ってくれたことの方が大事。雪が降ったりして?

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