十三、アンチョビピザで悪夢を区切る 一

 翌日。


 珍しく、自分の部屋でいつもより少し速く起きた。午前五時半か。二度寝には中途半端な時間だ。


 結婚相談所の裏で情報屋を始めたのは、心のどこかで親につながる手がかりが入ってくるのではという気持ちがあったから。仮に突き止められたとして、また相手が生きていて私の存在を認めたとして……。そのあとどうなるかはわからない。泣くのか怒るのかもはっきりしない。そういう意味では、突き止めるという行為自体が目的化しているのもまた事実だった。どのみち、一かけらの情報も手に入っていない。


 親は親でも、正のそれのような手合いはだれだって願い下げだろう。それこそ一生車椅子が手離せなくなるまで『金杖』に叩きのめされて欲しい。それを踏まえていうと、正は大人になるまでお金で困ったことはないそうだ。だからって許す筋合いは一切ない。


 お金。私の親はどうだったろう。


 これまでは、おくるみに入っていたメモと似たような筆跡の持ち主を洗ってきた。砂漠で一枚のコインを探すような作業。そもそも手書きのメモなんてストーカーでもない限り滅多に得られないし、当人が都合よく出してくれるものでもない。


 施設の人間は、保護したときの私に添えてあったレシピメモをそこまで細かく掘り下げたんじゃないだろう。


 異なる感覚で読み返したら……?


 ケチャップは自作で、トマト、玉ねぎ、塩、砂糖、米酢からなる。それを使ったケチャップライスとパスタの作り方。レシピにあるのは以上。


 もう一つ。私の親は、施設の近所にいたのか遠くにいたのか。貧しさから私を手離したなら、極端に遠い施設へはそもそもたどりつけないだろう。社会的な立場から捨てたのなら、逆になるべく遠い施設を選んでもおかしくない。


 私が捨てられた年の一年前。ある学校で、給食から食中毒が流行して死者までだした事件が起きている。間接的な影響があったかもしれない。


 お金に困っているなら、既製品を使う可能性が高いと思う。自作より手間がかからない。正確には、離乳食を自作する気力もないほど毎日くたびれ果ててしまっているはずだ。


 どれもこれもぬるい状況証拠に過ぎない。でも、それを全否定して切り捨てるのはよくない。


 発想を……発想を変えたら……。


 思いついた。自分から探しにいくというより、相手に探させるというのは? つまり、この離乳食のレシピを会社から特集記事の一環として発表したら?


 検見さんの器とタイアップすれば一挙両得だろう……というより、私個人の事情としてやるつもりはない。こういうことが広がって、もしかしたらと考える人間が現れたらいいなとは思う。それとは別個に、単純な儲け話の企画として進める。


 目も冴えてしまったし、休憩かたがたスマホでだらだらとネットニュースを読んだ。読み流された大半の記事を経て県内のゴルフ場が目についた。このアパートの張りだし廊下からも見える。利権がどうこうじゃなくて、売り上げ不振で破産したらしい。お気の毒。


 数時間後、出勤した私は普段の業務をこなしながらメールで部下達の意見を募った。むろん、私自身の背景は抜きで。


 二人とも、発案としては妥当だと答えてくれた。ただ、井部からはエンジェルズベルのサイトとはあくまで区別した方がよいとも助言された。なかなか子供ができずに悩む夫婦やカップルもいるから、と。その通りなので助言には感謝した。と同時に複雑な気持ちでもあった。望まれずに生まれた人間もいるのだから。正からは、やるならどんな器が人気を得やすいか調べておこうとのことで、それは嬉しい提案だった。


 その日の仕事は、新しい企画に基づき検見さんとの交渉を始めるための資料作りが加わった。オンラインデートの仮想市街地作成も進めねばならなかった。つまり、いつも以上にクタクタ。


 実のところ、今日が料理当番でなくてよかった。いつもよりたまたま早く起きたせいで少し眠いし。


 帰宅したら、正はまだだった。食堂の暖房をつけてから早速お風呂に入り、上がってから暖かい空気に浸っているとうつらうつらしてきた。冷蔵庫からビールでもだそうかなと思ったものの、数メートル歩くのもかったるい。


『成績はトップに近かったのに、あの子気の毒よね』


 県庁時代、したくもない婚活を病的に勧めてきた先輩正職員の台詞が聞こえてきた。どうでもよいが私より十年ほど歳上の女性だった。


 一回だけ受けた正職員への登用試験に、私は一次落ちした。あとで答え合わせをしても自信があったのに。その真相は通りすがりの廊下の上で、灰色のペンキがはげかかった給湯室のドア越しにもたらされた。


『可愛げないし当たり前なんじゃない?』


 と、返したのは婚活オタクの先輩と同い年くらいで、正職員の女性。私がたまたま男性の正職員に誉められてから、なにかといびるようになっていた。


『そうねえ、どうせ施設の人間だものねえ。部長、そういうの嫌いだし』

『部長だって上辺はチャリティーオタクの癖にね』


 婚活オタクが訳知り口調で答えた。

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