二十、ラムチョップステーキはとても爽快 二

 そう。エンジェルズベル本来の目玉企画、オンライン結婚式は検見さんの陶芸教室以上に外せない。


 仮想市街は、小石一個から高層ビルまで本物同然にはしていない。そんなことまでこだわる時間も人的資源もない。といって、ふた昔くらい前のテレビゲームもどきにするつもりもない。そういう意味では、現実性ではなく現実味が重要だ。


 映画を見にいって、映画館の床にこだわる人間はまずいないだろう。デートならデート、結婚式なら結婚式において利用者が注目する要素にだけ資源を集中する。


 オンライン結婚式は、披露宴の部屋だけを詳細に作った。いくつかの結婚式場のサイトを参考に大雑把な絵コンテを起こし、法的な問題を起こさないようレイアウトから椅子のデザインまでよそとかぶらないようにした。絵心のある人間は私も含めていなかったものの、デジタル撮影した画像をパソコンの加工ソフトで変えればたりた。


 最終的に、当事者と参列者で画面を完全にわけた。宴会が始まるまでは、だれも動き回ったりしない。だから、画像を固定して各当事者と参加者の動画を座席ごとに張りつけるようにしておく。ついでに拍手ボタンと各参加者の簡単な紹介文も添えておく。動画そのものは、各自のスマホからでもパソコンからでも送ってもらえばいい。晴れ着と宴会のご馳走は各自でセルフサービス。


 新郎新婦入場のような場面はあらかじめ当人達に動画を撮影して送信してもらい、式場画像にはめこんでおく。いうまでもなく、司会進行は私。


 そこまで煮詰めてはいる。こうしたやり方は、低費用であることが最大の強みにも弱みにもなった。


 会員でさえあれば、会場費や記録動画の提供は全て無料。交通費もかからない。宴会になってからいちいちアルコールでつき合わされる心配も宴会の準備もいらない。


 その代わりに、人によってはケチ臭いと感じる可能性もある。倹約と安っぽさは紙一重。


 ただ、バブル時代のように三回も四回もお色直しをしたり新郎新婦はもちろん同席した上司に酒をつぎにいって挨拶したりといった面倒はなくなる。それに、借金をしてでも豪華な結婚式をしようとする若者は余り多くない。


 進行そのものは、正直なところ基本的な型が決まっているから陶芸教室ほどは苦労しなかった。


 お皿も全て空になった。


「ご馳走様でした」


 私は食事と駒瀬の両方にまとめてお辞儀した。先日の飲み会で貸しがあったから、ここは駒瀬が勘定を持つ。


「お粗末様でした。私が作ったんじゃないけど」

「今日は色々とありがとう。とても参考になった」


 駒瀬は平均的な日本人の感覚から少々ずれたところがあるものの、水の向け方次第では細かい指摘や意見をだしてくれた。それに、迷子になった真奈江を保護するような優しい面もある。まあ、検見さんあたりがそれをやろうとしたらかえって通報されていたかもしれないけど。


 『羊頭羊肉』をでて、駒瀬と離れてから駅に進む途中にスマホが震えた。歩きながら画面を開くと、『アスファルト』……井部からのメールだった。


 先日の告白を経たあとで、『壁』の一員としての彼女の活動に触れるのは複雑な心地がした。だからといって無視するわけにもいかない。


 またぞろ野良犬ジャーナリストの江原か。今度は正の退社に合わせてつきまとっていたらしい。包帯はまだ残っているともあった。具体的な会話らしい会話はなかったそうだ。井部に絡んだら変質者確定で、刑務所いきは間違いない。私についても同じ。それで、同じ男性の正を狙ったのか。


 弁護士とまではいかないまでも、司法書士を通じて裁判所から警告を出してもらおうか。


 メール欄を閉じてスマホをバッグに入れ直そうとした直前、再びスマホが震えた。さっきと全く同じメールがきている。


 彼女がそんな間抜けをしでかすとは思えない。人間なら誰しもその類はするにせよ、慎重にも慎重を期しているはず……。万が一の誤送信なら、そう伝えてこないとおかしい。


 駅につき、改札を抜けてホームにきてもなお音沙汰はなかった。ついには帰宅した。例によって正は自分の部屋で寝ている。


 とりあえずバッグや上着は自分の部屋に残し、お風呂に入ることにした。


 湯船につかりながら、『アスファルト』の二つ目のメールを思い返す。血迷った江原が強硬手段にでたとは、ちょっと思いにくい。だいいち包帯も取れてないのに。荒事なんてできるはずがない。


 江原が正にまとわりついている場面を目撃したというのなら、彼女のことだから自分の姿はわからないようにしただろう。しかし同時に、だれかが彼女に近づいても直前までわかりにくいという可能性もある。


 つまり、彼女は江原を見張りながら別なだれかに見張られていた……? まさか『金杖』が何年も前の不倫に基づく報復をしたのでもないだろう。彼女はむしろ犠牲者なのだから。


 明日、井部が出勤していなければ速やかに警察に届けよう。どのみち、江原が間接的にせよかかわっている可能性もある。


 そのとき、お風呂の温度を管理する機械が自動的についた。熱いお湯を湯船に送りこんでくる。小さく叫んで足を引っこめた。


 お風呂から上がり、青白いバスタオルで体をふいてから髪を乾かしていると臭いを思いだした。ごくかすかなゲロの臭い。なぜ、そんな不快な物を思いだしたのか。

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