十、おでんを二重に辛く 一

 夕食が終わって、正はしばらくくつろいでから自分の部屋に入った。


 寝るまでの間、どう過ごそうと勝手ではある。取りたててやることが思い浮かばない。正確には、時間を持て余さないようにあくせく努力するのがなんとなく嫌だった。


 ぼーっとしながら建設的に時間を潰せること。言葉にすると果てしなく自分勝手に思える。元々、私も含めて大半の人間は自分勝手な生き物だ……などと開き直っても仕方がない。


 ここ最近、寒い日が続き肉体的に縮こまってばかりだ。じゃあ温まろう。ジョギング? 筋トレ? 今さらという感じがする。ストレッチは毎日してるし、もう今日の分はすませた。


 明日の晩ご飯でもあれこれ想像しよう……よく考えたら明日は私が当番だった。暇潰しかたがた明日の献立を思い浮かべる内に、冬に入ってからまだおでんを一回も食べてないことに気づいた。なら今のうちに仕込んでしまおう。


 幸い、ここ数日間で余った食材が冷蔵庫に貯えてある。もっとも、ぱっとだせるのは大根とこんにゃくとソーセージとちくわ。野菜が少々乏しいな。私も正も子供じゃないんだし、いざとなったら野菜ジュースでも飲めばいいだろう。


 こうして私は、自堕落から逃れる為に別な自堕落に首を突っ込んだ。冷蔵庫から一通りの食材をだし、台所でまとめてから最初に大根を輪切りにした。熱が通りやすいように平らな部分に切り身を切れ目を入れた。こんにゃくも食べやすい大きさに切った上で切れ目を入れた。それらを小さめの鍋に入れて水をほどほどにつぎ、卵も加えてゆで始める。


 鍋の中身がぐつぐついいだすまでに、もっと大きな鍋をだして水を満たした。さらに、みりんと料理酒と醤油を味見しながら加え、こちらも温め始める。


 料理とは別個にすませることがあった。大根以下をゆで終える前に、スマホをだして駒瀬の愚痴をなだめた。難しい理屈はいらず、単にお疲れ様でしたと労えば満足する。その意味では簡単な作業だった。


 駒瀬から簡潔な感謝が戻ってきて、写真シールに触れようかなとも思った。けれど、本人の性格からしてもう少し間をおいた方がいいだろうと判断して止めた。


 それにしても、あの総務部長。児童養護施設には、いかにも善良な年長者の社会人だという顔でボランティアのサンタなど務めていたのに。自分が配慮しなくていいと判断している人間への接し方は、見事なまでに裏表がはっきりしている。


 宇土をクビにしたことだし。もう少しエンジェルズベルが儲かって、もう少し駒瀬が機転の利く人間だったらこちらに転職するよう誘うこともあるだろう。彼女も自分自身への気の持ちよう一つでどうにでも変われるのに。


 小さい方の鍋に菜箸の先端を入れ、大根を一切れ選んで軽くついた。簡単に突き抜けた。その頃には大きい方の鍋を満たしている煮汁が煮えかかってきている。


 小さい鍋がかかっていたコンロのスイッチを切り、煮汁には慎重に塩をたした。それからザルにちくわを入れ、流しに置いた。ゆでたあとのお湯をザルに通しながら流しに捨て、ちくわの油を抜く。


 卵以外の具材を大きい鍋の煮汁に入れてからボウルに水を張り、その中で茹で卵の殻をむいた。それも、作業が終わり次第すぐに同じ鍋に入れた。あとは、火加減を見ながらコトコト煮こむ。


 鍋を眺める内に、なんだかうつらうつらしてきた。ようやく建設的に睡眠を取れそうだ。程々の頃合いを見てコンロのスイッチを切り、鍋には蓋をした。この季節なら放っておいても腐りはしないし、帰ってきたら温め直すだけで速やかに美味しいおでんを楽しめるだろう。さっさとあと片づけをすませて、この日を締めくくった。と思っていたらメールがきた。『アスファルト』からだ。


 やはり……。寺浜は旧姓だった。現在は蒲池 陽子。そして、蒲池総務部長と同じ家にいる。なんの因縁だろう。おでんが異臭を放ちそうだ。


 規約では、理由の如何を問わず偽名は一切許されない。だから大義名分はある。向こうが文句をいってきたら、宇土との一件を持ちだせばいい。でも、私自身は結婚にまつわる改名になんら好意的ではない。それは自己欺瞞ではないのか。


 いやいやいや。規則は規則。蒲池がああした行為をバレにくくするために、名前をごまかした可能性が高い。それが重要だ。それだけが。


 唯一の幸運は……それを幸運と呼んでいいのかどうか……『金杖』が、おそらくはすずねの依頼でかかわっていることだ。すずねが慰謝料や謝罪を陽子に要求してとばっちりがこちらにきたら、『金杖』をネタにすずねの手を引かせることができる。


 それにしても、ややこしかった。


 翌日。約束の五分前に検見さんがきた。


 スーパーで目にしていたとはいえ……背は高い方だけどお腹は膨れている。それを包む毛玉だらけの茶色いセーターに裾のほつれかかった洗いざらしの青いデニム。合成皮革と一目でわかる腕時計のバンドは、元は緑色なのだろうけどすり切れてところどころ白い筋が浮いている。四角く白いマスクをつけているのは感染症対策として当然ながら、下手をすると変質者に間違われかねない。


「検見です。よろしくお願いします」


 そんな検見さんの挨拶は、服装に関係なくきびきびしていた。表情もはつらつとしている。

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