十七、挽回するべく焼き飯 二

「いや、俺は……」

「念のために申し添えますが、相川さんにはなんの責任もないことです。私の腕が悪いだけです」


 それは違いますという言葉を、喉の奥で押し止めねばならなかった。


「先生……また新しいご作品を試されてはいかがですか?」


 井部が、彼女にしか言えない提案をしてくれた。こういうときに的確な判断をしてくれるのは、とてもありがたい。


「もちろんです。ただ、私が考えていたよりは時間がかかりそうです。少し待っていただけると幸いです」


 だれにも責任のない話だった。強いていえば、起こるべくして起こった事態だ。


「それでは、失礼します」


 淡々と荷物をまとめ、検見さんは帰った。引き留めようがない。


 それから一時間ほどで定時になった。今日は私が夕食当番。さりとて買い物をする意欲が湧かない。たまには冷蔵庫の余り物ですませよう。


「ただいま」


 返事はなかった。


 彼のほうが早く帰ってきたのはわかる。けれども食卓の上にポツンとメモ書きがあって、ごく事務的に『今日は一人で食べてほしい。明日までには帰る』とだけあるのを読むと、さすがにこういうときはお互いの気持ちを打ち明けたかったのにという気になる。職場のことではあるのだけれど。


 結局、いつぞやと同じように二食分を作った。一つは夕食、もう一つは翌日のお昼。


 実のところ、凝った料理を作る気になれず焼き飯にした。


 ご飯を丼に盛っておいてから、玉ネギと人参とハムをみじん切りにする。卵をボウルに溶きケチャップを加えてさらにかき混ぜる。サラダ油を引いたフライパンを加熱して野菜を炒め、火が通った頃合いでハムを混ぜた。ハムにごく軽い焦げ目がついたとき、ケチャップ入りの溶き卵を注ぐとじゅわーっと美味しそうな音が跳ね回った。


 それからご飯の出番になる。フライパンの中で赤みがかった黄色に染まった米粒一つ一つが私を慰めた。最後に塩を一つまみ。


 簡単な料理を一気に作り、生まれた焼き飯の山を二つにした。一つは正の買ってきた平皿を使って盛りつけ、もう一つはタッパーに入れて冷蔵庫へ。


「頂きます」


 これまでは、一人で食べる機会をなんとも思わなかった。今日、検見さんとの間で交わされた会話から新しい了見が生まれた気がする。器を供給するからには、愛でたり自分で使ったりするだけでなくどう使われるかも意識せねばならない。そんな基本的なことを今更思い知らねばならないとは。


 我ながら、焼き飯の具合がいいのは救いになった。ケチャップの加減が、大事な分岐点になる。


 野菜の細かい歯応えと塩気のついたハムの肉汁をご飯ごと頬張るのはとても幸せ。どうせ一人なのだし、たまにはテレビでもつけようかな。居間から食卓までリモコンを運んでスイッチをつけると背広ネクタイ姿の若い男性が画面に現れた。


『次に、交通事故のニュースです。本日、午後六時半頃に県道……』


 思わずテレビの上にある壁掛け時計を目で追った。七時半。一時間前か。運転席が正面外側から大きくへこんだ軽四自動車が中継されている。郊外で電柱に突っこんだそうだ。


『警察によれば、運転していた無職・宇土 実さん(四十一歳、男性)が頭を強く打ち意識不明の重体とのことです。車には他に乗っていた人はおらず、現場は見通しの悪いカーブで宇土さんがハンドル操作を誤った見方を強めています』


 忘れかけていた元社員。『金杖』が仕事をしたのは間違いない。ここまで派手に激しくやるのは初めて見た。よほど奥さん……すずねだったか……の恨みが強かったのか。死なない程度には加減したことだろう。障害は残るかもしれない。すずねからすれば保険金で依頼料を補填し、あまったぶんを丸儲けにして離婚する計画かもしれない。


 そういえば、すずねは遅く帰ってきた実を座らせ、自分で作ったすき焼きを一人で食べながら浮気を糾弾していた。あの異様な晩餐はどんな味がしたことだろう。


 ニュースが終わり、退屈なメロドラマになった。BGM代わりに聞き流しながら冷めかかった焼き飯を食べ終え、水を飲む。


 正は遅くなりそうだ。


 テレビを消し、食器や調理器具を洗うと急にやることがなくなった。寝ることすらおっくうだ。


 検見さんの件もそうだが、蒲池 邦子のそれも影響している。多少なりとも私の親に至りそうな手がかりを持っているのに、引中さんのようには会えないし会いたくない。体験したのではないものの、駒瀬から聞いた印象は最悪だし『アスファルト』の盗聴もそれを裏づけている。おまけに情報と推察が確かなら邦子の夫は元上司の蒲池総務部長。どれよりも進めたい案件が塞がっていて、他のにとばっちりを当てている。


 それでも、やるかやらないか二つに一つしかなかった。

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