十八、グラタンは愚痴のあと始末 一

 数日くらいで、新たな試作品ができるわけがない。つまり検見さんからはなにもない。


 どのみち明日、模擬演習の仕上げがある。それまでは待つのが、こちらとしての誠意だろう。それに、仮想市街を煮詰める時間もいる。


 光には影がつきまとう。


 中には、主役達そっちのけで『自分達の思いついた最高の結婚式』を実行したがる人々もいるだろう。それを断るために感染症の流行やオンライン結婚式を持ちだす人々もいるだろう。


 バブル時代のような、けばけばしいほど病的に派手な結婚式を挙げるカップルは次第に少なくなりつつある。お金がないというのもあるし、そもそも冠婚葬祭に手間暇をかけること自体が廃れてきていた。


 などという考察は、目の前で失恋を嘆く駒瀬にはとても明かせない。


「わ、私……あんなに尽くしたのに。お金から洗濯まで助けて上げたのに……」


 会社の近くにある居酒屋は、感染症を意識して大幅に閉店時刻が切り上げられていた。


 閑散とした店内で、駒瀬はチューハイをジョッキ四本も空けていた。三十分くらい前から同じ話を繰り返している。私は熱燗をちびちびやっていて、ときどきうなずきながらホッケをむしった。


 検見さんのオンライン陶芸教室が実現しかけているし、久しぶりに連絡を取り合ってささやかな飲み会をしたのに。出だしからヤケ酒になってしまった。


「あ、あの人……私が貸したお金を別な女に貢いでたのよ」


 最低だし、相手の男は心から軽蔑する。


「あたし、分秒刻みで彼のための私生活プランまで作っていたのよ!」


 それは少しだけ相手の男に同情する。口にはしない。


「な、なのに……たまたま彼の家の近くを通りかかったから女性用の人気シャンプーの香りがして、風上を見たら知らない女が彼の家からでてきて……」


 私も鼻はいい。彼女の場合は、関心のあることにだけ超人的に五感が鋭くなるのだろう。


「気の毒は気の毒だけど、ちょっと飲みすぎだよ」

「澪ちゃんだけだよ~。あたしの味方~」


 ぼつぼつ中立になりたくなってきた。


「お客様、申し訳ありませんがそろそろラストオーダーです。なにかご注文はございますか?」


 ねじり鉢巻き姿の若い女子店員が、私達のテーブルの脇にかがんで尋ねた。駒瀬を横目に見ると、突っ伏しそうになりながら氷が完全に溶けたチューハイを飲んでいる。


「いえ、ありません。ありがとうございます」

「かしこまりました」

「ぼちぼちお開きにしよう」


 店員がいなくなってから、十回目だか二十回目だかにさしかかった元彼の仕打ちを遮った。二人分の会計をすませ、外にでる。


 駅まではたいしてかからない。普通に歩けば。千鳥足の駒瀬を引っ張りながらでは、倍近い時間がかかった。


 繁華街なので仕方ないとはいえ、ゲロの臭いもする。ふと路地裏に目をやると、首から下がゲロまみれになった男性が壁にもたれかかっていた。くわばらくわばら、赤の他人だしそのまま無視しよう。


「ほら、駅だよ」


 私と駒瀬は反対方向になる。


「今日のお金、あとで払ってね。スマホで領収証の写真取ったから」


 改札を前にして、私は釘を刺した。


「は~い。バイバ~イ」


 糠に打つようなものか。いや、こういうことをごまかす人間じゃないのは知っているからいいけど。


 やれやれ、ようやく解放された。とんだ心の洗濯になった。


 そのまま帰るより、たまには一人で気晴らしに外食したくなる。どうせ正には断ってあるのだし。この前ビジネスホテルに泊まったのは、あくまで『壁』としての仕事の一環。お昼とも違い、夜に解放された時間を味わう。つまり完全に公私の私だ。


 たいして遠くもない場所にコンビニがあった。一分ほど歩き、店内に入る。飲食コーナーがあって助かった。パンもお弁当もほとんど売り切れで、ぽつんと一つグラタンが残っている。電子レンジで暖めればすぐにできる。ケチャップの小さな袋がついているのが決め手になった。


 暖かいペットボトルのお茶と一緒に買い、お店の電子レンジでグラタンを暖めてもらって飲食コーナーへ。


 グラタンの包装を破って、ケチャップをかけると小さな幸せがたち昇った。コンビニでグラタンを買ってそのまま食べるのは生まれて初めてになる。プラスチックのフォークを手に、頂きます。


 飲食コーナーのガラス壁から、なんの変哲もない駐車場を眺める内に越し方行く末を思い至った。


 最近少しずつ、正と食事をする時間が減ってきている。以前は、同じようなことがあっても意識はしていなかった。


 別に二人の関係が冷えたのではないし、結びつきが弱まったのでもない。さっきまで駒瀬の愚痴というか未練につき合わされて、ふと自分自身の立場を振り返ったというぐらいなことだ。


 正は、どんな気持ちで検見さんの質問に答えたのか。あれからついに聞けないままだ。最後の仕上げになる模擬演習までに把握しておくべきなのだろうか。


 井部も、この前の件以来コメントらしいコメントはしていない。元々そういう性格ではあるにしても。


 いっそのこと、私も生徒役で参加しようか。いや、雑念がありすぎてまともな作品にはならないだろう、どっちみち。


 雑念といえば、蒲池 邦子。名前からしても総務部長の蒲池氏と関係がありそうに思える。もしそうだとしたら、私の人生が最初から蒲池家に深くかかわっていたということか。


 いつの間にか、生ぬるくなったグラタンを機械的に区切っては無意識のうちに口の中に入れていた。フォークと同じ、黄色がかった白いプラスチックの容器にはすくい損なったグラタンの細い筋が流れている。


「ご馳走さまでした」


 呟くように口にして、容器やフォークをゴミ箱に捨てた。


 まだ九時にもなってない。


 コンビニをでると、救急車のサイレンが路上に響いた。車から歩行者までが避けたり止まったりするなか、赤い回転灯で夜の空気をかき回しながらどこかの病院を……または患者を……目指して去っていく。

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