十一、怪しい連中をからめた鮭のケチャップ炒め 一

 次の日から本格的に、というよりは殺人的に忙しくなってきた。ある意味で、健全といえば健全かもしれない。意地でも定時で帰るつもりでいるので……それは部下達にしても同じだろう……食い入るようにパソコンの画面を見るのが当たり前になってきた。


 そんな白昼の、ほとんど唯一の楽しみはもちろん食事だ。思いだしたというか思いついたというか、以前ブリ照焼定食を食べた『ぐるまんほっと』は自前のブログを持っているのだろうか。試しに検索すると、ちゃんと設けてあった。本日の日替わり定食は鮭のケチャップ炒め。じゃあ食べにいこう。


 お店は、この前と同じように落ちついた品格で私をもてなしてくれた。ためらうことなく日替わり定食を注文する。


 待っている内に、出入り口が開いて新しい客が入ってきた。浮いた格好だ。緑色のチノパンツに黒いベストと灰色の長袖シャツ。それらを茶色のロングコートで覆っている。頭には、どこかのプロ野球の球団ロゴが入った帽子を目深にかぶりマスクをしている。体つきからして男性のようだ。背は人並みで、少し太っている。とにかく、大通りで他人からジロジロ見られるような雰囲気を全身からにじみだしていた。


 怪しい客は、店内をキョロキョロ見渡してから一番隅のテーブルまで歩いた。他の客が思い思いに食事を楽しんでいるのに、コーヒーを一杯頼んだだけ。犯罪ドラマかなにかの収録だろうか。だとすれば、コメディ路線かもしれない。


 席についても帽子を外そうとせずコートもそのまま、スマホをシャツの胸ポケットからだして画面をつつき始めた。


「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ! 本日、塩鮭特売日……そのジャガイモ小さすぎるでしょ!」


 騒がしい呼びこみに混じってだれかを軽くたしなめる女性の声。怪しい客のスマホから、テレビのコマーシャルで聞き慣れた歌声とともにいきなり流れて店中の注目を集めた。 


 当人は見るだに慌てた様子でボリュームを下げたものの、スマホは目から離していない。


 その歌は、検見さんも働くスーパーのカクマートで流れるテーマソングだ。素人動画の編集だろうか。それなら一人になれる環境でやろうとするだろうし……。


「お待たせしました。日替わり定食、鮭のケチャップ炒めです」


 この前と同じく、黒茶色の制服を身につけたウエイトレスがお膳を運んできた。


「ありがとうございます」


 ウエイトレスが去ってから、しげしげと器を眺めた。中身は洋食なのに、あえて和風になっている。検見さんとの企画を進める内に、食事だけでなく器にも関心を持つようになってきた。


 長方形の定食盆は黒漆で、ご飯を盛った白い瀬戸物のお茶碗と朱塗りの味噌汁椀が左右に並んでいる。その奥には沢庵を三切れ乗せた白い小皿と、それよりは少し大きなガラスの小鉢にキャベツとトマトのサラダが入っていた。主菜の鮭は丸皿に盛りつけてある。丸皿は水色の地にところどころ白いかすみが入っていた。


 和食では、魚の下に置く物をかいしきという。それと意識したのかどうか、鮭の下にはレタスが敷いてある。私の人生で初めて、器を通じてお店の意図を読み取ろうする行為になった。


「頂きます」


 お辞儀してから箸を取り、まずお味噌汁を一口飲んだ。煮干しの出汁なのがすぐにわかる。そして、お椀の朱色越しに主菜が見えた。主菜のお皿まで赤や金だと目が疲れる。その意味で、水色なのはありがたい。鮭は元々赤い上に、ケチャップに染まっている。レタスのお陰でそれらが鮮やかに引きたてられていて、水色の中にまとまっている。


 煮干しのかすかにほろ苦い風味と味噌の柔らかい辛味を楽しんでから、鮭を一切れ食べた。期待通りで、お味噌汁とはまた違う旨味のある辛さと酸っぱさがとてもいい。


 料理は不味くなければいいくらいに捉えていた私は、もっと違う意識を身につけつつあるのを自覚した。


 同時に、さっき怪しい客のスマホから大音量で流れてきたジャガイモ云々という声。聞き覚えがあった。井部、いや、『アスファルト』が盗聴した宇土の妻で間違いない。


 だからといって、あの客が私立探偵かなにかとは到底思えない。消去法で察するに、宇土の浮気相手側の配偶者か……それに近い人間かだろう。『壁』が直に売った情報ではないものの、間接的に関わっている可能性はある。もっとも、売った情報が別個のだれに売られようが知らされようが関わるところではない。

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