第十話 惨劇の果てに⑧

 ◆

 その人は自分を『戦争屋』だと言った。


「俺の行くところにいくさあり」と、そう言って豪快に笑う人だった。


 大陸中をまたにかけ、あらゆる場所で武器を売り払った。時には食料を売り、衣類を売り、寝床を売り、そして人を売った。

 星輝シンシャオは決して彼のその阿漕あこぎな商売に賛同しているわけではなかった。彼のやっている事は子供の自分から見ても極悪非道、社会のがんそのものだった。


『俺には敵が多い。行く先々で命を狙われ、積み荷を狙われる。もうこりゃあ日常茶飯事だ』


 じゃあなんでこんな仕事を続けるんだ。と星輝が問いかけた時、その人は清々しい笑顔でこう答えた。


『そりゃあ面白れぇからよ。俺の売った弾一発で、世界が転がる瞬間を見た時、俺はもう身体が震えて仕方なかった。脳汁がドバドバ出まくって思わず勃起しちまった。あの快感を覚えた日にゃあ、もう他の仕事なんか戻れねえよ』


 考えうる限りの最低最悪の答えが返ってきた。なんでこんな奴についてきちゃったんだろうと、星輝は後悔にため息を漏らす。だが、こういう話をするとその人は最後に決まってこう言う。


「いいかぁシン、お前は俺みたいなのになるんじゃねぇぞ」


 星輝は押しつぶされるかと思うくらい強い力で頭を撫でられる。


「お前は賢いからな、一人前になりゃ選ぶ道なんていくらでもある。俺みたいなくずになる必要なんざねぇ」


 自分の仕事に誇りを持っているくせに、その人は自分の事を屑と言う。


「シン、俺がいなくなる前にちゃんと探すんだぞ。俺みたいにならない道を。そのために俺から何でも盗め。知識でも技術でも金でも女でも、お前になら盗まれても文句は言わねぇからよ。いいか、シン。欲しいものがあれば何が何でも手に入れろ。お前が欲しいと思うもの、やりたいと思う事、それら全てを手に入れるための極意を俺が教えてやる」


 その人は傲慢ごうまんで、強欲で、自分本位で、人の意見なんか一ミリたりとも聞きやしない人で。


「犠牲なんざいとうな。俺の事なんざ構うな。いいか、星輝。お前は生きろ。俺の事なんざ放っておいて、これからはお前のためだけに生きろ」


 最後にその人はそう言って、違う人間として死んだ。

 最期は襤褸ぼろ雑巾みたいな汚らしいちりに成り下がって、

 名前も人生も、積み上げてきたものも全部無駄にして、

 別の人間として死んでいった。


 俺の事なんざ放っておけと言ったくせに、その強烈な存在は今でも星輝の脳裏に焼き付いて離れない。今でも気を抜けばあの人が傍に立って、星輝の事をどやして豪快に笑い始めるような気がしてならない。

 あの人が消えたあの日から、星輝はあの人の亡霊に囚われ続けている。


「俺があんたの名をかたってあんたを殺した奴らに復讐しようとしてるって知ったら、あんたなんて言うかな?」


 馬鹿な事をするなと怒られるか、お前のやりたいようにやれと激励されるか。時折脳内に浮かぶあの人の声は、結局正解をくれないまま五年の時を数えたのだった。



 隠れ家の裏手に建てられためいもない粗末な墓標。その下の冷たい土に眠るのは、星輝にとってかけがえのない人。縁もゆかりもない、言葉も文化も風習も理解できなかったこの国で、たった一人星輝の事を、正しい意味で庇護してくれた人間。


「……っ」


 わずらわしいと思った事だってある。でも伊地知はいつだって星輝を導いてくれた。時に厳しく、時に優しく、星輝を支えてくれた。


「矢矧さん、そろそろ移動しましょう」

「……ああ」


 特高の襲撃を受け、仲間も連れ去られた。居場所が割れてしまった以上、しばらくまた潜伏先を改めなくてはならない。あらかじめ用意されていた第二の隠れ家に、残りの仲間と共に移動することにした。


「あとは俺と矢矧さんだけです。特高に勘付かれないうちに――」

「悪い、先に行っていてくれ」

「えっ、あの――」


 星輝は立ち上がると墓の前を離れた。後で行くと虚ろに告げて、一人町へと繰り出す。襲撃の直後で町をうろつくのは危険だとわかっている。でも今は、一人になりたかった。何かを探すように町を彷徨さまよいながらも、星輝の足は自然と幼い頃過ごしたあの貧民区に向いていた。夕暮れ時だというのに、不思議と人気は無くて、いつも鬱陶うっとうしいくらいに群がってくる住人達もいなかった。

 誰に阻まれることなく辿り着いたのは、区画の奥にある伊地知の家。それは星輝がこの国に連れてこられて初めて訪れた場所。


『シン。ご飯だよ。もう家にお入り』


 星輝の耳の奥で幻聴が聞こえた。この国では夕暮れ時は逢魔おうまが時ともいうらしい。この世ならざるものと出会うかもしれないこの時間帯に、


「もう化けて出て来たのかよ」


 星輝は自虐的に笑った。幻のようで確かに見える、まだ幼い頃の星輝と、彼を育ててくれた伊地知の姿。


 ――どうして、あの人が死ななきゃいけなかった?


 その疑問を問いかけたのは、五年前もそうだった。どうしてあの人が、何のために、誰がやった、誰のせいで。


「――っ!」


 星輝はその場に崩れ落ち、声なき咆哮ほうこうを上げた。

 許せない、星輝の全てを奪った奴が。その元凶が。

 何より、それを阻止できなかった自分自身が。


 星輝は一心不乱に地面をたたく。砂利で皮膚が切れ、血がにじんでも止められなかった。


 どうして、どうして――。


 こんなに胸が張り裂けそうなのに、涙も流れない。溢れんばかりの感情が、ただ拳にしか乗せられない。苦しくて爆発しそうで、このまま死んでしまいたいとさえ思った。


『何やってんだよ、お前は』


 そんな星輝を豪快に笑い飛ばす声が響いた。星輝が顔をあげると、目の前に一人の男が立っている。見えるはずの顔が暗くて見えない、でも、その傲岸不遜ごうがんふそん面構つらがまえをした人間を星輝は一人しか知らない。


「――矢矧」

『まーたべそかいてんのか、坊主』


 驚いたことに、彼は答えてくれた。豪快かつ雑に、星輝の頭を乱暴に撫でる。

 幻影だ。こんなものは、星輝の都合のいい妄想に過ぎないのに。


『お前な、こんなところでうずくまってる場合じゃねぇだろうが』


 矢矧は立腹していた。彼には珍しい真剣な顔でこちらを叱咤しったする。


『俺は教えたはずだぜ。商売の鉄則、ひいては人生のおきてを』


 ああそうだ、矢矧は事あるごとに星輝に言った。


『欲しいもんは何がなんでも手に入れろ。金でも、地位でも、女でも。お前の全てを使って奪い取れ。お前が手放したくないと思うもんはお前の全てを使って守り切れ。そのための犠牲を惜しむな。感情を殺せ。大事なもん以外の全てを切り捨てて無慈悲になれ』


 これが矢矧志貴という男の人生。金のために、時には快楽のために、それ以外のものを犠牲にして、刹那的に生きていた。

 今考えてみても滅茶苦茶な理論だ。でも、彼は――矢矧志貴という男は有言実行の男だった。今、欲しいものを手に入れるために、それ以外の全てを犠牲にしてきた。


「よく言うよ。あんたは結局死んだじゃないか」


 恨みごとのように吐き捨てると、矢矧はやはり豪快に笑った。


『そうだ、俺は自分を犠牲にした。あの時はどうしても、守りたいものがあったからだ』

「……越田か?」


 五年前のあの日、矢矧は逮捕状の出た越田の代わりに軍部に連れていかれた。彼の身代わりになるなんて、そんなに彼の事が大事だったのかと問えば、矢矧は不機嫌そうに口を歪める。


『んなわけあるか、なんで俺があんな奴のために死ななきゃならねぇ』


 その答えは意外だった。長年の疑問があっさりと否定されて、星輝は面食らう。


「越田さんを庇ったんじゃないのか? だったらなんで――」

『そんなもん一つしかねぇだろうがよ』


 そう言って矢矧が手を伸ばしたのは、星輝の頭の上だ。


(――俺?)


 その瞬間、脳裏に忘れかけていた記憶が蘇った。突然の越田への逮捕状、軍が押し寄せ、共にいた越田と矢矧が追いつめられた時、星輝は――


(そうだ。俺はあの場に居合わせて、昔の記憶がフラッシュバックして、発狂した)


 村を焼かれて逃げたあの光景を。姉がさらわれ悲鳴を上げているのをゴミ溜めの中で耐えるしかなかったあの瞬間を。


「……そうだ、それで俺は、あいつらに撃たれそうになって、」

『お前をあいつらから引き離すためには、さっさと俺が連行されるしかなかったんだ』


 ああ、どうして思い出せなかったんだろう。矢矧が連れていかれたのは星輝のせいだ。星輝があの場にいなければ、矢矧はもっと上手く立ち回れていたはずなのに。


「――ごめん、矢矧。ごめん」

『だからお前は馬鹿なんだ』


 真相に至り思いつめる星輝に矢矧はまたぴしゃりと叱咤した。


『俺は守ったんだ、お前を――大事な息子を。俺の命を犠牲にしても守りたかった。俺がそうしたいと思ったからやったんだ。お前に悔やまれる筋合いなんかねぇ』

「でも――」

『何度も言わせるな、星輝。俺を憐れむな。もう復讐なんざやめろ。そんなもんに意味はねぇ。だから今お前が本当に大切だと思うものをどんな犠牲を払っても守れ。感情を殺せ。己を殺せ。すでに失ったもんには未練を残すな。これからお前が手に入れるべきものを最優先しろ』

「これから、俺が手に入れるべきもの」

『そうだ。もう二度と、死者の怨念おんねんになんざとらわれるな。そんなもん、伊地知の婆さんも望んでねぇ。――なあ、シン。もう一度言うぞ。お前、今、こんなところで蹲ってる場合か?』


 その瞬間、星輝は何か大切な事を忘れている事に気が付いた。今ここで、蹲って伊地知と矢矧の死を後悔している場合じゃない。だって、――そうだ。


「――黎」


 特高に攫われたまま行方不明の彼女がいない。伊地知が死に際に守れなかったと涙を流した、彼女の行方を突き止めなければいけない。


『ほら、お前ちゃんと出来てるじゃねぇか。お前が今、やらなきゃいけない事。わかったか?』

「黎を――探して、助けないと」

『お前が今一番欲してるもんだ。お前の事知りたいって言ってくれるんだぞ? 怖いくせに怖くないって寄り添ってくれるんだぞ?』

「……」

れたよなぁ、あんないい女他にいないぞ? 他の男に取られてもいいのか?』

「……」

『俺の鉄則、忘れるな。感情も立場も、――お前自身すらも犠牲にしろ』


 星輝がハッと我に返ると、陽が落ちてあたりはすっかり暗くなっていた。ずっと息を止めていたみたいに、息が上がって苦しい。でも、不思議と頭はすっきりしていた。

 あたりには誰もいない。当然だ、ここにはもう、誰も暮らしてはいない。全ては過去の幻影だから。だが、


『奪い返してこい。他でもない、お前自身のために。いいな、星輝』

「――わかった、父さん」


 星輝は立ち上がると、懐かしい匂いのする伊地知の家に背を向け、一目散に駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る