第十話 惨劇の果てに⑦
◆
目隠しをされたまま運ばれた黎はいつの間にか気を失っていて、気が付いたらどこか見知らぬベッドで寝かされていた。
身体が重くて起き上がれない。そして、身体以上に心が重い。
「……伊地知さん」
気を失う前のあの惨劇を思い出して、黎は絶望に顔を覆う。黎が連れ出された時、まだ伊地知は生きていた。でも、あのままではいずれ死んでいる。救助が間に合えばいい、でも、あの状況では――。
「……私のせいだ」
伊地知が傷ついたのは黎を
「私の――せい……っ」
黎の目から涙が溢れて止まらなくなる。彼らを巻き込んだのは自分なのに、泣く資格などないのに。
(そうだ、泣く資格なんかない。だから、今は別の事に集中しなきゃ)
黎は起き上がると薄明かりに浮かぶ室内を見渡した。
黎が眉を
「おや、お目覚めでいらっしゃいましたか」
「……どちら様ですか?」
「ああ、申し遅れました。私、トライベイン外交特務使節として宵暁国に参りました、ジュディス=モーリーと申します」
モーリーは居住まいを正すと丁寧なお辞儀をした。名前だけなら聞いたことがある。確か、外務卿を務める父とも、何度か親善交流を図っていたと新聞で読んだ。だが、何故モーリーがここにいるのか、黎にはさっぱり状況がつかめない。
「久遠院黎と申します。申し訳ありませんわ、ミスターモーリー。私、ここに来た経緯を全く把握していなくて、ここは一体どこなのです?」
「ここは
その瞬間、黎の脳裏に隠れ家での惨劇がフラッシュバックする。黒服の男たちに三善が襲われ、伊地知が撃たれたあの光景が。
「あれは、――あの者たちは貴方が差し向けたものなのですか⁉」
「ええ、貴女が赤軍に
「私は拉致されたのではありません! 自らの意思であの場にいたのです!」
黎が怒鳴り声をあげると、モーリーは面白そうに眼を見開いた。なんだか不気味な男だ、欧州人とは皆このような人たちなのだろうか。
「先日新聞にも声明文を掲載して頂きました。私は帝国陸軍の不祥事を目の当たりにし、その真相を白日の下に晒すため、赤軍と手を組んだ、と」
「――ええ、勿論拝見しましたとも。ですが世間ではそう思われてはいませんよ。あれは赤軍が黎様を脅し、無理やり告発させているのだ、とね」
「そんなっ……私は――」
違うと否定しようとして、黎は思わず押し黙った。ここであまり墓穴を掘らない方がいいのかもしれない。黎のやっている事は事実上国家に対する反逆だ。だが、この男にそれを素直に告げる事はよした方がいい気がする。
するとモーリーは演技がかったわざとらしい態度で天を仰いだ。
「実は今回の一件は皇太子殿下の要請でもあるのですよ」
「殿下……、煌様の?」
「ええそうです。御方は貴方の謀反を信じ、そして大層遺憾に思われておりました。何としても連れ戻し、その真意を白状してもらうと。黎様の裏切りに酷く憤慨し心を痛めておいででした。私はその様子を見て、殿下が不憫で不憫で、それで助力を申し出た次第です」
モーリーの言葉に、黎は頭が真っ白になる。
黎の頭の中からここ数日考え続けていた煌に対する謝罪と請願の全てが弾けるように無に帰した。
煌は怒っている? 黎に、弁解の余地も与えないほど?
「私は申し上げたのですがね? きっと貴女にも何か事情がある、世間の噂通り、恐喝されているだけかもしれない、と。だというのに、殿下は怒りに我を忘れ、貴女を糾弾するとおっしゃるばかりで――」
黎はもうモーリーの言葉を半分も聞いていなかった。煌が怒っている。黎が皇室を裏切り赤軍の肩を持つような真似をしたから。ずっと慕い続けていたのに裏切ったから。
(じゃあ、――じゃあ、小夜は?)
今彼と共にいるであろう小夜の事を想い浮かべた。煌が黎を許していないの言うのなら、小夜も、同じように黎に怒り狂っているのだろうか?
「ですから私が彼等より先に貴女を見つけようと思ったのですよ。今の煌様は何をしでかすかわからない。私が間に入って仲介を――」
「
暗闇に落ちかけた黎は寸でのところで持ち直した。顔をあげると目の前の男をキッと睨む。
「あの方を
黎は半ば自分に言い聞かせるように言った。言霊はそれだけで、沈んでいた黎の気持ちを浮上させる。
「ミスターモーリー、我ら宵暁国の事を慮ってくださることには感謝いたしますわ。ですが、そのような気遣いを頂かなくとも、私は自らの意思で赤軍と行動を共にしていたことを公表し、そしてその真意を私自身で煌様に直接申し上げたいと思っています。煌様は民の言葉を蔑ろにしたりなどしない。もし、それでも煌様が私を罰するというのであれば、私は甘んじてお受けします」
黎ははっきりと宣言する。モーリーはこれ以上ないほどに目を見開いて驚いている。そして、
「――やれやれ、久遠院家の皇女黎は、臆病で自分を持たぬ人形のような哀れな女だと聞いていたのに。随分話が違うじゃないか」
彼を纏う空気が変わった。先刻までこちらを慮っていたのは演技。黎はぞくりと身震いする。
「それじゃあ困るんですよ、皇女様。貴女には軍とも皇室とも距離を置いていただかなければ」
「……どういうことなのですか?」
黎の問いにモーリーはにやりと笑った。こちらを
「なぜわざわざ特高のふりなんざして、あんたをあそこから連れ出したと思ってる? 『碧軍の謀略に巻き込まれ、赤軍に利用され
「なっ……!」
「まあ、あんたの告発のおかげで今や碧軍は頭を失った
突然告げられた企てに黎は絶句する。
トライベイン。かの国は確か、この宵暁国の植民地化を目論んで計略を練っていると、噂では聞いていたが。
「私は保護だなんて望んでおりません! なぜそのような事を? たかが小娘をそうまでして手に入れようとするのです?」
「たかが小娘だと? 何を言ってる」
モーリーは可笑しそうに笑った。
「あんたは今やこの国を揺るがすにこれ以上ない逸材なんだよ。忌まわしい赤どもも、うっとおしい軍部も、頭の固い皇室も、その皇室に心酔し続ける馬鹿な国民共も、その全てに揺さぶりをかける事が出来る」
自分の価値をわかっているのか、と言いたげに、モーリーは黎の全身を
「そうまでしてこの国を脅す理由は何だというの?」
黎の問いにモーリーは鼻を鳴らした。
「この国の利権だよ。もっと言えばあんたら皇族が後生大事に抱えてるあの宝石の採掘権だ」
「宝石……まさか、宵暁珀ですか?」
皇族の代々の祖先が眠るとされる宵暁珀。確かに美しく価値のあるものである事は理解できるが、
「採掘権を手に入れてどうしようというんですか? そんなもののために国をとるだなんて――」
「何を言っている? あの宝石の価値を知らないのか?」
モーリーはぐっとこちらに顔を近づけ、その欲望に
「今海外市場であの宝石がいくらで売りさばかれていると思っている? 金の七百倍だぞ? あれさえあれば、どんな経済大国にも、石油大国にも――アウレア・イッラにだって負けはしない。それだけのもんがこの島には眠ってるんだ。あんたらは
「っ……、そんな……」
「今や宵暁国は列強の一番の標的だ。トライベインだけじゃない、欧州諸国はこぞってこの島国を狙ってる」
黎は宵暁国の外の世界の事を知らなかった。まして国際市場でこの国がどう影響しているかなんて、考えた事もない。
「宵暁珀を手に入れりゃあ、その国の勝ちだ。そして今、俺はその勝利の鍵を手に入れた。――あんたさえいれば、国内外に十分な揺さぶりをかけられるんだよ」
「知らない! 私はそんな事知らない!」
拒絶するように黎はいやいやと首を振った。世界の
「とにかく、あんたがいれば邪魔な連中を皆黙らせることができる。あんたが赤軍の将と出来てんのはとっくに知ってんだよ。あの弱小部族の生き残りが、あんたを見捨てるのか、それとも復讐をかなぐり捨ててあんたを選ぶのか。まあ俺にとっちゃどちらでもいいがな」
「弱小部族の生き残り――」
シンの事だ。この男はシンの正体も知っている。
「奴も哀れだな。家族を皆殺しにされて、辿り着いた異国でも大事な育ての親を奪われるんだ」
「……っ!」
黎は頭に血が上り思わず立ち上がる。
この男に何がわかるのか。過去を話してくれたあの夜、シンがどんな顔をしていたか。矢矧を失った時のことを語った悲し気な彼の目を。
「なるほど……、今のあんたにとって一番大切なのはあいつか」
モーリーの目が
「明朝大使館経由で、トライベインから宵暁政府に通告を出す。久遠院黎がトライベインヘの亡命を望んでいるとな」
「⁉」
「さて、瀕死の軍部はともかく、あの皇太子と赤軍はどう動くかな。俺たちは誰が来ても交渉には応じよう」
碧軍か、皇室政府か、――あるいは赤軍か。いずれにしても宵暁国を陥れるための交渉が行われる。あるいは、黎を亡き者にしたいと願う碧軍に売り渡されるか。
いずれにしても最悪の未来しか想像できない。
(――シンさん)
唯一、黎にとって助けになるであろう人を思い浮かべたが、黎はすぐに首を振った。
(駄目だ、私はもうシンさんを頼る資格がない)
この先自分の身に降りかかる絶望に黎はぎゅっと目をつむり耳を塞いだ。
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