第六話 二人の女①

 ◆

 ここしばらく、赤軍に目立った動きはなく市中でもあの事件の恐怖が薄らいでいるのかいたって平穏だ。それよりも世間は一週間後に控えた煌と小夜の婚礼の儀に沸き立っている。

 煌は昨日今上きんじょう陛下の元を訪れた。今上帝月彦つきひこ、煌の実の父。煌が生まれた頃から彼は雲の上の存在で、顔を合わせることもそう多くはなかった。


『煌、立派になったなぁ』


 久しぶりに顔を合わせた父の姿は最後に見た時に比べずっと小さく見えた。彼はここ半年不治の病に侵され身体を悪くしながらもそんな素振りを一切見せず公務に励んでいた。流石に巡幸じゅんこうは身体の負担をかけるためここ数年は行われていなかったが、それでもよくもった方だろう。彼が生前退位を申し出たのは、自身の身体というよりも周囲への負担を重く受け止めたからだと侍従長や内大臣も涙を浮かべてなげいていた。おそらく余命いくばくも無い。父と言葉を交わすのもこれが最後になるかもしれない。煌はそう心に刻みながら玉座の前にひざまづいて父の話を聞いた。




 煌は自身の執務室で己の手をじっと見つめていた。最後に握りしめた父の細い手の感触を思い出しながら、気を引き締めるため深く深呼吸をして机の上に広げられた書類を眺めた。

 ここにある書類は全て煌が臣下に頼んで取り寄せてもらったものだ。主に過去の新聞記事、それから警察に無理を言って調書資料も揃えてもらった。

 これらすべて、赤軍が起こした事件に関する資料だ。

 三か月前の新聞社襲撃事件を機に、煌は激務の中赤軍について独自に調べを進めていた。それは自身が皇帝に即位するにあたり、国内を脅かす不穏分子である彼らの事を少しでも知っておこうという気持ちからだ。特に知りたい人物がいる。


(矢矧志貴と呼ばれる男。こいつは一体何者だ?)


 新堂にその話を聞いてから、煌はその男が気になって仕方がなかった。ここ半月は矢矧についての資料を集め、そして彼の正体を紐解いていくことに注力した。


 調査からわかったことがいくつかある。

 矢矧の名が世に現れたのは今から三十年近く前の事になる。西華戦争の頃だ。大陸の東の覇者西華と宵暁国が領地利権を巡り戦った戦争は、近代化を果たした宵暁の圧倒的勝利で幕を下ろした。その戦場で兵士に直接声をかけて武器を売りさばく珍妙な男がうろついているという噂が流れ、それ以降矢矧の存在が徐々に世間に注目されることとなる。

 『戦争屋』と呼ばれていた男。名を名乗る事もせず、ただ顧客の欲しいものだけを提示して去っていく奇妙な商人。だが彼の売った武器はその戦場をかき乱し、より凄惨せいさんなものとした。

 欧州大戦時はその影響が顕著だった。大戦のきっかけを作ったばかりか、戦地では陣営問わず武器や資材を売りさばく。結果戦争は泥沼どろぬま化し、当時の各国の首長たちは厳しい非難を宵暁国に寄せた。


 戦争が終わってからも矢矧は世界各地を渡り歩いた。まさに神出鬼没、そしてその地を紛争の渦に巻き込み、自身はまた何処かへと消える。

 そしてある日、矢矧は突如として姿を消した。生死は不明で素性もわからずじまい。まるで亡霊でも相手にしているようだ。

 彼が消息を絶ったのが五年前、となれば五年前に起こった何らかの事件に関係しているかもしれないが、


「五年前、国内の動向で言うと、首相の交代、総選挙、それから――大逆事件」


 五年前世間を騒がせた事件と言えば、現在の赤軍の元とされる平友社へいゆうしゃのメンバーが特高に逮捕、処刑されたこの大逆事件だ。拘束に碧軍も関わっていたこの事件では、主犯格の人間が拷問にかけられて死亡した。


「死亡したのは平友社の社長越田こしだ輝彦てるひこ、副社長馬場ばんば秀人ひでひとの二名。いずれも死体は軍が処理した、か」


 彼らの身元は明らかで両名が世界各地で行商をしていたという記録はない。そもそも、宵暁国の出国記録も見当たらない。そして矢矧志貴との関連性も現時点では皆無だ。


「そして、――矢矧が再び現れた六条勘助襲撃事件」


 煌の手元にあるのは事件当時の新聞各種、警察の調書。この事件は世間を震撼しんかんさせ、財界にも大きな影響を与えた。

 だが、煌にとって興味深かったのは、その同日に襲われたという吉井藤次郎の方だ。煌は吉井藤次郎氏の議員帳簿の写しにも目を通す。

 吉井は取り立てて特徴のない議員だった。性格は温厚で真面目。やや臆病なところがあったそうで、良くも悪くも話題に上がりにくい影の薄い人間だ。邸宅の襲撃以降吉井は議員を辞めた後、地元の福崎ふくさきに戻ったという。


「福崎……、宵暁珀の鉱山があるところか」


 宵暁珀の鉱脈は帝都の霊山を除き全国で二か所、東北の篠川しのがわ県と福崎県だ。吉井は元々地元福崎の大地主で、強力な地盤の援助を受け衆議院の議員になった。地元では相当な権力を有しているはずだ。吉井の履歴書にはより詳細な出身地が載っている。

 福崎県春日井かすがい市、まさに鉱山の街の出身だ。

 春日井市の鉱山の管轄は宮内省にあるが、実際の運営は鉱業会社が担っているはず。


「委託会社の名前は、六代ろくだい製鉄――」


 ふと、その名前に引っかかりを感じた煌はすぐに別の資料を机上から探し出す。六代は確か六条財閥傘下の子会社だ。その名前をつい最近聞いたことがある。


「――六代社。三か月前に矢矧が襲撃した新聞社……」


 そしてさらにもう一つ。大逆事件で多くの共産主義者が逮捕されたそのきっかけが、六代社の新聞による平友社社員の告発だった。

 煌の中で徐々にパズルのピースがカチカチとはめられていく。

 煌は立ち上がると執務室を飛び出した。


「殿下、どちらへ?」


 部屋の前に控えていた侍従が慌てたようについてきた。煌が突飛とっぴな行動をとるのは今に始まった事ではない。


「少し福崎の方に行ってくる」

「は? 福崎?」


 とはいえ、帝都から数百キロ離れた県におもむく事を告げると流石に彼も狼狽ろうばいして、


「いきなり何を言い出すんですか。福崎って、一日で戻って来れる距離では――」

「ああ、二三日空けるから、適当に誤魔化しておいてくれ」

「えっ、ちょ……殿下⁉ 今日はこれから婚礼の打ち合わせが――」

「すまない、私は欠席する」


 侍従を振り切って煌は庭に停めていた車に乗り込み早々に車のエンジンをかけた。

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