第五話 取引③

 その部屋は久遠院の屋敷の応接間くらいの大きさで、中央に十人は楽に座れそうな大テーブル、壁沿いにソファや椅子が並べられ、すみには緑のフェルトが張られた何かの遊戯台が置かれていた。部屋に続く引き戸の向こうには台所らしきものも見える。いわゆるアパートの食堂兼談話室の様なものなのだろう。そんな広い空間に二十人弱の若者が集結している。

 黎は一番大きなソファに座らされて、改めて紹介された。


「彼女は久遠院黎。知ってる奴らもいると思うが、世襲親王家の皇女様だ」


 ざわりと観衆がどよめくが、驚いたのは黎も同じだった。


「ま、待ってください。私、名乗った覚えは――」

「ん、違うのか?」

「そうですけど!」


 まさか最初からばれていたのだろうか。黎が皇族に連なる人間である事を、一応隠していたつもりだったのだけれど。


「前に会った時お前色々口走ってたし、迎えに来た従者も『黎様』って叫んでたじゃねえか」


 黎は顔を真っ赤にして俯いた。何というか、穴があったら入りたいとはこう言う事か。


「そういうわけだからお前ら、こいつに失礼なことするなよ。不敬罪で捕まりたきゃあ話は別だがな」


 シンが言うと周囲から笑いが起きた。その雰囲気は実に和やかで、少なくとも黎が最初に心配していた、何かひどい事をされるのでは、という懸念だけは無くなった。だが、


「彼女にここに来てもらった理由は他でもない。二週間前に起こった碧軍の発砲事件について」


 その瞬間、部屋の空気が変わった。黎もここ最近己を思い悩ませていた事案が突然浮上してドキリとする。いや、その前に、


(この人、『碧軍・・』の発砲事件って言った――)


 彼は勿論、ここにいる者たちは知っているのだ。あの事件が、碧軍による捏造ねつぞうであるという事を。部屋にいた者たちは殺気立ちピリピリとした空気を纏わせる。先ほどまでの和やかな雰囲気が嘘の様だ。

 そんな中、シンは静かに群衆に告げる。


「あの事件で俺たちの仲間が多く犠牲となった。あまつさえそれを俺たちの仕業に仕立て上げ、奴らは己の所業を隠蔽しようとした。大切な仲間を殺されはらわたが煮えくり返っている事だろう」


 シンの言葉に場内の熱も高まっていく。


(ああ、この口ぶりはひょっとして)

「だが、俺たちには逆転の一手がまだ残っている。それが、――彼女だ」


 皆が一斉に黎を見た。何十と言う視線を注がれ黎は委縮する。


「彼女はあの事件の真相を知る証人だ。俺たちの言葉では動かなくとも、彼女の言葉なら世間は動く。彼女に協力してもらって、あの事件の真実を白日の下にさらすんだ」


 再びどよめきと戸惑いの声が鳴る。黎もまた彼らとは違う意味で動揺し汗が止まらなくなっていた。


「……あの、そう言えば聞いていなかったんですけど」


 勇気を出して、言葉を発する。


「あなたたちは――赤軍ですか?」


 その質問にシンはにやりと笑った。むしろ気づいていなかったのか、と言いたげな顔だ。

 黎は青ざめる。赤軍は無政府主義を掲げる、政府や財閥を攻撃する国家の敵だ。安全かもしれないと心を許しかけていたが、黎の危険値が一気に跳ね上がる。


(そう言えばさっき誰かがこの人の事、矢矧って――)


 先日の新聞社襲撃を仕掛けたという、赤軍の指導者。外れてくれればいいという黎の願いはあっさりと裏切られ、


「俺は矢矧志貴、赤軍の革命活動家だ」

「……っ!」

「さすがに矢矧の名は皇女様も聞いてたか?」

「じゃあ、あの新聞社襲撃は貴方たちが――」

「そうだ、あれは俺たちがやった事だ」


 黎は絶句する。あの事件で重傷になった人もいたはずだ。つまり彼らは発砲事件の件はともかくも、人を傷つける行為は間違いなく犯しているという事だ。


「あ、貴方たちのやった事は犯罪です!」

「そうだよ、俺たちは犯罪者だ」

「私は、犯罪者と協力なんて……」

「まあそう熱くなるな、聞け」


 その瞬間、シンの目がすっと細められ仮面のように表情が消えた。その冷徹な視線に黎は言葉を切る。


「俺たちにも色々と抱えてるもんがあるんだ。新聞社を襲ったのも然るべき理由があったからだ」

「理由って、何ですか?」

「それは言えねぇな。俺だっていきなり手の内全てを明かすわけにはいかないんでね」


 シンと対峙しながら、ちらりと周囲の人たちを見た。皆一様に、シンと同じように座った目をしている。

 黎を見定めているのだ。自分たちにとって信用にたる相手かどうか。

「赤軍ってのは本当色んな奴らがいてね。大体は公演演説、請願運動。文才にひいでた奴は論文を雑誌や新聞に寄稿して政府の批判を言い散らかしているわけだ。俺たちみたいな武力に頼るのは都市部では少数派だと言っていい。……そもそも俺は政府を批判しようとかぶっ潰そうとか、ましてこの国を良くしてやろうなんて気は一切考えた事がない」

「なら、何のために……?」

「それもさっきと同じだな。早々に手の内を明かすわけにはいかない」


 どのみち教えてもらえることは限られているというわけだ。

 黎にとって赤軍は敵だ。周囲の者からも彼らには気を付けるようにと散々言われたし、新聞社襲撃は間違いなく犯罪行為だ。

 正しい選択をするならば黎はここを去るべきだ。だがここはすでに相手のふところ。「じゃあ帰ります」と言って素直に帰してくれるわけがないだろう。とはいえ黎に何か無体を働けば彼らは即刻不敬罪に問われるわけで。


「なあ、皇女様」


 悶々もんもんと考えていたが、シンに呼ばれると一瞬で意識を引き戻される。


「あんたはあいつらに命を奪われそうになってどう思った? 臣民しんみんの安全を守るはずの軍があんなにあっさりと民の命を奪うなんて、許されるのか?」

「……っ」

「お前だっておかしいと思ってるんだろ? どうにかしたいと思わないか?」


 この二週間、黎はあの事件の心の傷にさいなまれ続けてきた。真実を知っているのに話せない、同情や憐みの言葉や視線が苦しい。いっそ全てをさらけ出してしまえば、スッキリするのかもしれないけれど、臆病な黎はそれが出来なかった。

 でも今ここにいる人たちは、黎と同じ真実を知っている。同情や憐みなんてものをよこしてこない。共に心を苦しめる敵を倒そうと手を伸ばしてきてくれる。


「このまま軍部の悪行を隠蔽し続ければ、いずれこの国そのものを腐敗させることになるぞ。それでもいいのか?」


 黎はハッとした。脳裏に、煌と小夜の二人の顔が思い浮かんだ。遠くない未来に皇帝となる煌と、数か月後彼の元に入内じゅだいする小夜。これから二人はこの国の芯として、宵暁国を導く事になる。今回の碧軍の一件は確実に宵暁国の未来に亀裂を入れる。そうなればあの二人にも火の粉が掛かってしまうかもしれない。


 ――それは絶対に、嫌。


 その瞬間から、黎のもろくぐらついていた心が型にはまって動かなくなる。


「聞いてもいいですか?」


 黎はシンにまっすぐ向き直った。「どうぞ」とシンが促す。


「私が軍部を告発する事で、世間にはどれほどの影響を与えるのでしょうか?」

「この国の連中は皇族に対する信仰心は高いからな。舞台を整えた上で公表すれば、お前の言葉も相当に響くだろうな」

「軍はどうなりますか? 私の告発一つで揺らぐほど脆弱ぜいじゃくとは思えませんが」

「無論、軍部を全て潰すなんて事は無理だ。精々実行に関わった隊と責任者の首を切るくらいか。それでも大きな進歩だとは思うが」

「この計画を知った軍部が危害を加えてくる可能性は?」

「協力してくれるというのなら、あんたは俺たちの同胞だ。身の安全は保障しよう」


 シンの返答はよどみがない。嘘を言っている様にも見えない、大口を叩くような性格にも見えない。


 ――信じてもいいのだろうか。


 どちらにせよ黎に選択肢はない。ならば、


「――わかりました」


 この状況を打開するためには、黎自身がその壁を打ち破るしかないのだろう。


「貴方に協力します」


 周囲がどよめきと感嘆に包まれた。そんな黎に目の前の男は笑って、


「俺も貴女と手を組めて光栄だ。命をかけて、貴女をお守りしよう」


 まるで騎士のような仕草で黎にこうべを垂れた。

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