第十一話 彼らが最後に手にしたもの②

 ◆

 途中何度か追跡を巻いて、新堂は皇居のそびえる霊山のふもとまで車を運んだ。


「急ぎましょう、黎様。さすがに詰所に向かわなかった事、すぐに報告されます」

「ええ。煌様は、いらっしゃるでしょうか?」

巡幸じゅんこうからは戻っておいでです。たとえいなくてもあの方はすぐに飛んできますよ。ここ数日、あの方は貴女を血眼ちまなこにして探していましたから」


 黎はぎくりと身震いする。


「やはり煌様は、怒っていらっしゃるのでしょうか?」

「さあ、それはどうでしょう。でもあの方は意見を聞いてくださると思いますよ」

「――ええ、私もそう思います」


 ここで悩んでいても仕方ない。黎は両頬を叩くと、目の前の居城をキッと睨んだ。

 門前へと渡る境内けいだいには人の姿は見当たらない。さわさわと鳴る木立の音色がやけに響いて、黎の緊張をさらに高める。やがて竜門が見えると、両脇に立っていた門番がこちらを見つけ、そして驚愕の顔をした。


「久遠院黎様……!」


 彼らにとってまだ黎は使えるべき皇族の一員。戸惑いながらも、敬意を払う事を決して忘れることなく背筋を伸ばした。


「黎様、何故こちらに? 貴女はトライベインへの亡命を希望し、大使館に身を寄せていると――」

「それは真っ赤な嘘です。私は亡命など望んでおりません」


 黎はっきりと宣言する。門番たちはお互いに顔を見合わせたまま、黎の事をどう対応するべきか迷っているようだった。そこに新堂も助け船を寄こしてくれる。


「私は帝国陸軍の新堂貴斗大尉だ。彼女はトライベインのジュディス=モーリーの策略により囚われていた。あのままでは、トライベインへと強制的に連行されかねなかったので、婚約者である私が彼女を連れ出したのだ」

「な、なんと、そのような事が……! し、失礼いたしました、黎様。御身の身の危険を察せず疑いの眼差しを向けるなど」


 新堂の姿を見て信用たる情報だと理解したか、門番たちはにわかに慌てだす。黎は構わないと、二人を制した。


「彼女は皇太子殿下との謁見を望まれている。殿下はこちらに?」

「ええ、勿論です。殿下は黎様の事を酷く案じておられました。すぐにご案内を――」


 しかし、その時、後方が俄かに騒がしくなった。バタバタと複数の無粋な足音が近づく。新堂はその正体に気づき、小さく舌打ちをした。


「くそっ、もう気づかれたか」

「えっ、新堂様――」

「とにかく貴女は中に入ってください。宮殿の敷地内に入れば、軍も下手に手出しできない」


 新堂は無理やり黎の背中を押し、門番にたくす。この事態に混乱している門番であったが、不穏な空気を感じ、黎をすぐに中へと招き導いた。


「新堂様!」

「心配いりません。何とか言い訳して時間稼ぎますよ!」


 新堂の背中が遠ざかっていく。その背中がはかなく消えそうで黎は胸騒ぎが止まらない。しかし、


「大丈夫です。貴女は、貴女のすべきことをしてください」


 そう激励されて、黎の心は固まった。


「ありがとうございます! 貴方もどうかご無事で!」


 黎の言葉には、新堂は後ろ手で手を振ってこたえてくれた。

 門前の騒ぎを耳に入れないようにしながら、黎は珀宮はくのみやを進んでいく。黎が突然来訪したことはすでに知らされているのか、宮殿内はざわざわと忙しなく、遠巻きに黎を眺める女官や侍従たちの視線が黎をなぶった。


怖気おじけづいてはダメ。煌様に何としても、自分の意思を伝えなければ――)


 そうだ。元々黎は煌と対峙することを目的としていた。そのために千住荘の皆も動いてくれたのだから。黎はぎゅっと胸元を握り締める。巻き込んでしまった彼らの事を思うと、胸が張り裂けそうだった。やがて辿り着いたのは謁見の間ではなく煌の執務室だった。黎も遠い昔一度だけ招かれたことがある。こんな時でなければ懐古の情に身をゆだねる事もできただろうが。


「失礼いたします、殿下。久遠院黎様をお連れ致しました」


 侍従の呼びかけにしばし沈黙が空気を打って、


「――入れ」


 短くて冷たい呼びかけが、黎を誘う。黎は怯えながらもしっかりと前を見据えて開いた扉の中に飛び込んだ。

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