第九話 叛逆者③

 ◆

 執務室に持ち込まれた新聞をきつく握りしめ煌は強く奥歯を噛む。


「殿下……」


 侍従はそんな煌の姿に戸惑いを浮かべながら、こちらの様子をうかがっている。


「何故、差し止められなかった……?」

「記事の提供元がアウレア=イッラの新聞社である事と、これを持ち込んだ宵暁の出版元が我々も把握できない小企業のタブロイド紙だったようで」

「……」

「何より掲載が迅速すぎます。恐らく……、先日のあの記事より以前から準備されていたものではないかと」


 煌は舌打ちすると握りしめていた新聞を机に叩きつけた。

 皇女久遠院黎が赤軍と共謀しているという記事が世に出回ってから幾日もたたず、今度はその応酬のように、久遠院黎が己の名を用いアウレア・イッラを介して碧軍の姦計かんけいを暴露した。これでは、先の記事が真実であると告げているようなものだ。これで軍部には少なからず動揺が走る。ひょっとしたら、煌が手を入れる前に、綾辻はあの高座から引き下ろされるかもしれない。だが、影響はそれだけではない。


(世間は黎に同情的であった。しかしこれでは――、)


 問題はこれが黎の意思なのか。それとも、何者かが黎を脅しているのか。


「黎はまだ見つからないのか?」

「……はい。近衛兵が総力を挙げて探しておりますが――」

「早く見つけろ。でないと、厄介なことになる」


 本当は今すぐにでも飛び出して己の足で黎を探しに向かいたい。だが、今はまだ婚礼の処々が片付いていない時期で、煌一人が町中を駆けまわる事は破天荒な煌ですら躊躇われた。

 煌は机の上に広げられた資料を睨みつける。それは先日綾辻から渡された『矢矧志貴』の情報だった。

 矢矧志貴の側近であった青年。何故彼が矢矧志貴の名を名乗っているのか、そもそも本物の矢矧志貴はどこへ行ったのか。その真相は上手く隠されているが、


(福崎で吉井を問い詰めた時に得た情報を加えれば、ある程度の推察は立てられる。恐らく、矢矧は軍部に忙殺されたのだ)


 そして、この青年の目的が矢矧を奪った軍と六条財閥への復讐だとするならば、


(これは宵暁珀密売の件にも大きくかかわる……。このまま軍を野放しに出来なくなった。だが――)


 問題は彼らが黎を反逆者に仕立て上げ捕縛しようとしている事。そしてその黎の安否が不明で、あろうことか自ら赤軍と片棒を担いでいると明かしたことだ。

 葛藤に苛まれる煌の元に、執務室の扉をノックする音が届いた。入室を許可すると、若い侍従が遠慮がちに室内へと入ってくる。


「失礼いたします、殿下。お客様がいらっしゃっているのですが」

「客? 面会の予定はないはずだが――」

「どうしてもお話ししたいことがあったのです。お許しを」


 そう言ってあとから割って入ってきたのは、険しい顔をした新堂だった。


「新堂。怪我はもう治ったのか?」

「おかげさまで動けるほどには」


 とはいえ、新堂の頭にはまだ包帯が巻かれていた。突然の友の登場に煌は虚を突かれたが、


「……黎の事か」


 この状況で新堂が突然押しかけてくる案件など一つしかない。煌は侍従を下がらせると、新堂を部屋に招いた。


「単刀直入に言います。昨日公表された記事、および本日の黎様の暴露記事の内容は恐らく真実に基づいたものです」


 煌の胸に刃が付きたてられたような心地がした。


「……俺は、例の発砲事件があってからこの数か月間、准将の命で黎様を監視していました。発砲事件を目撃した可能性が高い黎様が、どこまでその事実を把握しているのか探るためです」


 その事実は煌をますます動揺させた。だが、落ち着いて新堂の話を聞くことにする。


「黎様は間違いなく赤軍と繋がっています。女学校の放課後、都内の古い寄宿舎を訪れているのを何度か目撃しました。恐らく、そこが赤軍の潜伏先の一つになっていると思われます」


 煌は言葉を失った。覚悟していたこととはいえ、黎が国賊と行動を共にしているなどという話を聞きたくはなかった。


「脅されている、という事はないのか?」

「俺もその線を考慮して婚礼の儀の日に黎様に接触しました。……ですが、その時の彼女の反応を見る限り違います。彼女は彼女の意思で彼らと行動を共にしています」


 煌は机にもたれ掛かると深いため息をついた。黎が煌を裏切っていた。だが、それに対し新堂は、


「彼女が寝返ったと判断づけるのはまだ早いです、殿下」

「どういう事だ?」

「先刻も言った通り、俺は元々黎様が発砲事件の真相をどこまで知っているのかを調べるために彼女を調査していました。結論を言うと、彼女は事件の真相を知っている。これは軍部にとっては由々ゆゆしい事態です。あの方が真実をその口から公表なされば、軍部は少なからず非難を浴びる。黎様は、それを目的としていたのではないでしょうか?」

「つまり、軍部を告発するためにあえて赤軍と手を組んだと?」


 新堂は頷いた。確かに彼の言う推測は筋が通っている。


「それからもう一つ、俺にその命を下した綾辻准将はトライベインと繋がっています」


 意外な名前に煌の眉間に深い皺が寄った。煌は続けろと、新堂を促す。


「今回の黎様の報道。発信元は軍部ですが、どうやらトライベインが焚きつけた一面もあるようです」

「トライベインという事は、今、この国に来日している特使がいたな?」

「はい。ジュディス=モーリー。彼が何度か綾辻准将を訪ね軍の詰め所に来ているのを目撃しました。黎様の件の情報元も、もしかしたらこの男かもしれません」

「根拠はあるのか?」


 すると新堂は観念したように告げる。


「実は、黎様が赤軍と繋がっているという情報は、俺の口から一切公表していませんでした。もしこれを准将閣下に知らせれば、彼が黎様に対し何をするか明白だったから」

「新堂、お前は――」

「ずっと迷っていたんです。軍人としてあの事件の横暴を見て見ぬふりしていいのか。そうはいっても、俺は一介の将校にすぎません。軍部が是と言えば、従わざるを得ない。だからこれは――俺のせめてもの抵抗だったんです」


 新堂は黎の真実を知っていても、それを綾辻に売り渡さなかった。それは仮初かりそめと言えど婚約者である黎を守るためのせめてもの抵抗であったのかもしれない。


「つまり綾辻が黎の件を知ったのはお前からではない。という事は、別の誰か――それが、ジュディス=モーリーという事なのか?」

「はい。どうやら奴もあの発砲事件の事を独自に調べていたようです。ここ数か月、関係各所から赤軍に関する資料が不正に閲覧、および紛失が見られました。恐らく向こうも発砲事件には何かあると踏んで、そして黎様の事を嗅ぎつけたのでしょう」


 まずいことになった、と煌は唇を噛んだ。トライベインの人間が皇室の不祥事を知ってしまった。あの国は今、この宵暁国を植民地にしようと画策しているともっぱらの噂だ。


「一時的に軍部と手を組み、皇室の弱みを握って揺さぶりをかける。狙いはこの国の利権か、あるいは、――宵暁珀」

「宵暁珀……?」


 新堂が首を傾げる。


「私も先日まで赤軍の――特に矢矧志貴という男について調べていた。その過程で、私は宵暁珀の密売の件を知ったのだ」


 先日福崎の吉井を訪ねた時の事を新堂に話すと、新堂も顔を険しくする。


「皇族の秘宝である宵暁珀を横流しし、しかも隠ぺいのために本物の矢矧志貴を葬り去る、って……。そんなの大問題じゃないですか」

「ああ、私も吉井と六条財閥の総裁にはしかるべき罰を与えねばと思っている。最も両者はすでに赤軍の矢矧によって制裁されたようだが。……だが、この件に関与しているのは他にもいる。宵暁珀を横流しし国際市場に売りさばいた六条勘助の主な取引相手は、今やトライベインの財政を牛耳るダンバート社だった。そして、そのダンバート社に多大な融資を受けていたのが、――綾辻玄昭だ」

「という事は、」


 新堂はごくりとつばを飲み込む。


「宵暁珀の一件には、軍部とトライベインが深くかかわっている。だから矢矧志貴は特高ではなく、軍部に捕縛され――そして殺されたんだ」

「じゃあ、トライベインと軍部は――」

「お互いに宵暁珀から甘い汁を享受する関係。そして、赤軍の『矢矧志貴』がその復讐に乗り出し、真っ向から軍部を叩こうとしているのなら、トライベインもその火の粉を被る可能性が出てくる。これはもはや国際紛争にもなりえる一大事なんだ」


 新堂は絶句した。煌もまた汗ばんだ拳を握り締め苦悩の表情を浮かべる。そして、


「新堂。お前は碧軍の軍人で、綾辻の直属の部下だ。だが、お前は綾辻ではなくまっすぐに私の元に来た。……軍部に背いて独自に動いていると取っていいのか?」

「はい」


 新堂は迷いなく頷く。長年友として付き合ってきた煌は、彼が信用に足る存在だと確信した。


「ならば新堂。私に力を貸してくれ。黎が奴らに見つかるより前にこちらで保護したい」


 やるべきことは決まった。黎を信用して良いのかと迷っていた先ほどとは違い、煌の心は凪いでいる。


「ただ、赤軍もすでに拠点を移動しているみたいです。探すのは骨が折れそうです」

「それでも……碧軍より先に見つけねばならない。だが、私は明日から小夜と共に珀地巡幸へと参らなければいけない」


 巡幸は先祖参りの儀式であると同時に、民たちに二人の威光を示す重要なものだ。皇室のスキャンダルが明るみにされた今だからこそ、怠ってはいけない。


「黎様の居場所は俺も気を配っておきます。恐らく軍部も大々的に動くことは出来ません。猶予はあるはずです」


 二人の男は互いに顔を見合わせて、静かに頷くのだった。




 二人の男が静かに決意を交わすその部屋の前で、小夜はいけないと思いながらも聞き耳を立てて悲観にくれていた。


(黎が……赤軍と共謀していた)


 手にはしわくちゃになった新聞紙。今日の日付が刻まれていたそれを読み、小夜は下界で何が起こっているのかを悟った。

 黎が、碧軍を告発した。

 その事実を知った時、小夜の身体に駆け巡ったのは驚きでも怒りでもなく、悲しみだった。


(黎――どうして、)


 先日の記事で黎が赤軍と共謀していると聞かされた時、小夜は『やはりそうだ』という確信と嘲りが浮かんだ。黎は自分の私利私欲で、逆賊に身を落とした。どこの誰が黎を誑かしたのかは知らないが、黎もまたその何者かを盲愛し、その愛のために小夜たちを捨てたのだと。

 その失望は計り知れなくて、小夜は黎に憎しみしかわかなかった。――はずだった。


(どうして、何も言ってくれなかったの……?)


 襲撃事件に巻き込まれた時、黎の様子は明らかにおかしかった。でもそれはきっと赤軍の横暴を目の当たりにして、恐怖で委縮しているだけだと思っていた。あれからしばらくふさぎ込んでいた時も、小夜がどんなに声をかけても彼女は小夜に何一つ話をしてくれなかった。

 黎一人が、ずっとこの真実を抱え続けていた。

 双子の小夜にさえも明かさず、一人で戦っていた。

 小夜にとってそれが何よりも寂しくて、悲しかった。


(黎の事なら何でもわかるって、思ってたのに。私は浅はかだった)


 彼女の本当の心の内を慮る事が出来なかった。そして彼女を傷つけたまま、ひどい言葉を吐き彼女を遠ざけてしまった。


(黎に会いたい。今どこにいるの?)


 きっと今までの自分なら、この宮廷を抜け出して黎を探しに向かっただろう。だが、もうそんな事が出来る立場ではない事は小夜もわかっている。

 涙がぱたぱたと絨毯に染み込んでいった。もう宮廷を抜け出そうとしていた幼い頃の自分ではいられない事が何よりも悲しくて、小夜はただひたすら涙をこぼし続けた。

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