第六話 二人の女③
◆
放課後、今日も黎はこっそり学校を抜け出して目当ての場所に向かった。いつもの通りを二度三度曲がって、向かう先は
正面の引き戸を開けて黎はまっすぐその奥へ。談話室からは相変わらず
「――あ、黎様!」
一人が入ってきた黎に気づくと室内の全員が一斉にこちらを向いた。黎が小さく一礼すると、皆
「こんにちは」
「今日も来てくれたんですね、黎様」
「はい、……あの、これよかったら皆さんで」
黎が手に持っていた
「なんだこれ? 菓子か?」
「俺は見たことあるぞ。大陸の菓子だ。ええと……」
「シュークリームっていうんです」
以前煌が用意してくれた菓子の店のものだ。彼らも物珍しかったのか、恐る恐る手に取る。
「思ったより柔らかいな、どうやって食べるんだ?」
「かぶりつけばいいんですよ」
黎が教えると、一人が物は試しにとシュークリームにかぶりついた。ややあって、
「――うまいっ!」
その声を合図に、俺も俺もと皆シュークリームに手を伸ばす。彼らが美味しそうに食べているのを見て、黎もなんだか嬉しくなった。
「いやぁ、さすが皇女様は珍しいものをよく知ってなさる」
「洋菓子は食べた事ありませんでしたか?」
「ないない、俺たちみたいな貧乏人がおいそれと買えるものじゃありやせん」
口元にクリームをつけて笑う
赤軍に属する者たちは労働者や下層階級のものが多く、その地位改善を政府に請願し続けている。ここのいる者たちは他の一派とは少々異なる思想の上で動いているという事だが、本質的に変わることはない。そして彼ら一人一人に焦点を当ててみてみれば、なんて事のない、彼らは血の通った人間であるという事がよくわかる。彼らだって新聞社を襲撃し人を傷つけた者たちだ。世間的に悪い事をしているはずだが、
「
そう呟いたのは
いつの間にか彼らの手は止まってしまっていた。悲観に暮れる彼らをどう
「なんだ、美味そうなもん食ってんじゃねえか」
扉を開けて入ってきたのはシンだった。シンが現れた途端、部屋の空気は一変する。
「あ、お帰りなさい。矢矧さん。黎様からの差し入れです」
「へえ、食べていいのか?」
箱に残っていたシュークリームを
「うん、美味い」
するとそこにいた皆の暗い影があっという間に払しょくされた。同じようにシュークリームにかぶりついて、「やっぱり美味いな」と笑う彼らの顔を見ると、この空間における目の前のこの男の影響力がどれほどのものか身をもって実感する。
「シンさんはシュークリーム食べた事あるんですか?」
「昔一度だけな、ルクシアに行った時に商談の席で――」
「えっ、ルクシアに行かれた事があるんですか⁉」
黎は思わず聞き返した。するとシンは明らかにしくじったと言う顔をする。失言だったらしい。
「昔の話だ」
「でも、ルクシアってテルネシア大陸の西端の国で――」
「ああ、もういいだろ。この話は終わりだ」
シンは
ここに来るのも両手では足りないくらいの回数になってしまった。黎は今でも彼らにとっては客人だが、彼ら一人一人の人となりや、どんな人生を歩んできたのかがわかってくるようになった。けれど一人だけ、いまだに
『お前は信頼に足る人間だと思っている』
ここに来た最初の日、シンは黎にそう言った。そして、碧軍を糾弾するための同盟を結び、共に戦う事を約束した。それなのにシンは自身の核心を黎に話そうとはしてくれない。それはまだ、シンが黎を信用していない、という事の表れなのかもしれない。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「あ、黎様も良かったらやってみますか? カードゲーム」
彼らが囲んでいたテーブルの上は緑のフェルトが引かれ西洋かるたが散らばっている。参加者は四対一で対面に座っており、一人の方がこの場を取り仕切る
「どういうゲームなんです?」
「ブラックジャックですよ。このトランプを引いて手札の合計を二十一にする。一番二十一に近くなれば成功、二十一を越えたら負け。胴元も同じように引いて、胴元に勝てば金がもらえる」
参加者の手元には確かにいくつかの銭が握られていた。要は賭け事の一種の様だが、黎はカードゲームなど生まれてこの方やった事がない。
「私、カードゲームはやった事なくて……」
「ルールはそんなに難しくありませんよ。これは一種の度胸試しですから
「それに、私賭け事は――」
「なら
そこに割って入ってきたのはシンだった。シンは胴元を押しのけると自らがそこに座る。
「俺に勝った奴は俺に何でも命令していい。物でもして欲しい事でもなんでもな」
すると部屋中が
「いや、矢矧さん。あんたブラックジャック負けなしじゃないですか」
「選手ならな、胴元はどうかわかんねぇよ」
そう言ってシンはちらりと黎を見た。
挑発するような視線。言葉にはせずとも、こちらを誘っているのがわかる。
「……やります」
黎はそう言って一番右側の席を譲ってもらった。観客は一層興奮し、部屋はさながら賭博場の様相を
「よし、それじゃあ皇女様のお手並み拝見と行こうか」
そう言って笑う胴元に、絶対負けるもんかと鋭い視線を送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます