終章 黎明

 ◆

「そうして貴方の叔母様は遠い異国の地に行ってしまったの」


 小夜が陽仁に語り終えると、陽仁はなんだか遠い目をしてため息をついた。


「愛する男と一緒に逃避行、ですか……。なんだか小説の様なお話ですね」

「結局彼女の真意は分からなかったですけれどね。別れる最後の時まで、あの子は本当の事を言わなかったのだから」


 幼い頃から一人で抱え込む子だった。小夜が手を引っ張って、話を聞いてあげないと声も出せないくらいで。

 でもそんな彼女が、かの赤軍の男に関してだけは感情をむき出しにして、心を許している様だった。多分それが何よりの答えだろうと、小夜はずっと思い続けている。


「ですが叔母上は一体どこへ行ってしまったのでしょう?」

「陛下のお話によると、アウレア・イッラにその活動家の活動形跡が見られるとおっしゃっていたから、アウレア・イッラじゃないかしら?」

「アウレア・イッラに⁉ 大戦は大丈夫だったのでしょうか……?」

「宵暁国よりは安全だったと思いますよ。都市部では大規模な戦闘があったそうですが、彼らが暮らしている場所はずいぶん離れていたそうですから」


 陽仁を生んで十年を数えた頃、世界は二度目の大戦に突入し、今回は宵暁国も巻き込まれた。多くの兵が戦地で散り、空襲で本土も焼けた。小夜たちの暮らす珀宮はくのみやも空襲で一部が破損し甚大な被害を被った。

 終戦を迎えてから宵暁国の在り方も大きく変わった。新たな憲法が制定され、絶対的な君主権を持っていた皇族も今はそのほとんどの権限を失っている。それでもまだ、国民の中で皇族は国の象徴であり、よりどころであった。だからこそ、小夜は使命をまっとうするために懸命に生き延び、目の前にいる我が子を守ろうとここまでやってきたのだから。


「――さあ、そろそろ謁見の間に参りましょうか。皆さん、貴方の晴れ姿を待ち望んでいますよ」

「はい、わかりました。母上」


 成年の儀における儀式はあらかた終わり、あとは珀宮の謁見の間で、成人を迎えた事を大々的に宣言する。少し緊張した面持ちの息子に付き添っている小夜は、いたずら心が芽生えて、陽仁に耳打ちした。


「海外からの賓客ひんきゃくも多数お見えになっているそうですよ。それに何でもこのあとの祝宴には、高官方が娘を連れてきているとか」

「……っ、変な事言わないでください、母上!」


 緊張で青白かった陽仁の頬が急激に真っ赤に染まるのを小夜は面白半分にはやし立てた。大人の仲間入りを果たしたとて、中身はまだまだ子供だと、小夜は内心ほっとするのだった。


 ◆

「御成人、誠におめでとうございます。殿下。今日の日を祝し、我々一同命一杯敬意を尽くし、皇室の益々の繁栄を願いたく思います」


 高座に座った陽仁の前に次々に来客が訪れる。政府の高官、宮内省侍従長、今は無き軍部に変わりこの国の治安維持を務める警察の上層部。それから、海外の来賓らいひんも代わる代わる訪れて、聞きなれぬ異国の言葉で陽仁に賛辞を贈っていた。


「陽仁は外交には向いていないかもな」


 小夜の隣に座っていた煌がこっそりと小夜に耳打ちする。陽仁が外国語を苦手とするのは父である煌も知るところだ。


「陛下だって、外国語はあまりお強くないではありませんか」

「そんな事はない。君たちを連れて海外周遊できるくらいには話せる」


 ムキになって語る煌の横顔は昔とちっとも変わらない。皇帝に即位し多少の貫禄が付いたとはいえ、小夜の前では相変わらず久遠院家を訪れていたあの頃のままだった。

 二人でこそこそと談笑しながら、代わる代わるやってくる賓客の顔を眺めていると、次にやってきた海外からの賓客に目が止まった。


「お初にお目にかかります。陽仁皇太子殿下。アウレア・イッラより参りましたイサーク=ポナソフと申します。本日は御成人、誠におめでとうございます」


 特使と思われる初老の男性――ポナソフが異国の言葉で祝辞を述べると、そのかたわらに付いた一人の青年が何とも流暢な宵暁語で繰り返し述べた。あまりの滑らかさにそこにいた皆が感嘆の声を上げる。


「遠路はるばるよくお越しくださいました、ポナソフ殿。……ところで、そちらの若い方は? 宵暁語がとてもお上手でいらっしゃる」


 陽仁が尋ねると、その青年が顔を上げた。その瞬間小夜は息をのむ。その青年の瞳がとても美しい藍色していたからだ。


(いや、目の色だけじゃない。この、懐かしい面影は――)


「私は、ハン煕人シーレンと申します。こんな名前ですけど、実はアウレア・イッラ出身で、向こうで外交官をしております」


 明るく慈悲深さを感じる微笑みに、小夜は吸い寄せられた。思わず立ち上がると、小夜はふらふらと青年に近づく。突然接近してきた皇后に青年も周囲も動揺が走るが、


「待て、良い」


 後を追ってきた煌がそれを押しとどめた。小夜はまっすぐに青年に歩み寄る。


「……本当にとても綺麗な宵暁語ですね」


 小夜が話しかけると、青年は少し戸惑いながらも丁寧に答えた。


「ありがとうございます。実は母が宵暁人で、宵暁語は得意なのです。それで語学力を買われて通訳として抜擢されて参った次第で――」

「お母さまの名前は、なんとおっしゃるの?」


 小夜の問いに、青年はややあって答えた。


「レイです」


 そこにいた老年の侍従たちは皆愕然とした。その名を聞いて動揺しないのは入ったばかりの新参だけだろう。小夜は確信した。この青年の正体と、今はもう遠くに離れていってしまった魂の片割れの存在に。


「そう――、そうなのですね……」


 小夜は青年の手をきつく握りしめると、大粒の涙をこぼした。まるで祈りを届けるように何度も何度も首を垂れ、青年に礼を述べる。


「お帰りなさい……っ。お帰り、――黎」


 小夜は幼い日の頃に戻ったように、ただひたすら泣いて祈りをささげた。

 宮廷の外では、快晴の空を満喫するように、一羽の鳶が飛んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宵暁皇紀〜双子の皇女は抗えぬ恋をする 三木桜 @miki-sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ