第三話 皇女の務め③

 食事を済ませた後、今日は顔合わせだけだという事でお開きになったが、


「黎様、よければ今度一緒に街に出かけませんか?」

「えっ」


 帰り際に新堂が黎にそう言った。


「いわゆるデートって奴ですよ」

「新堂……、お前な。公家のご令嬢をそんな気安く誘うんじゃない」

「いいじゃないですか。晴れて許嫁になったわけですし、親睦は深めていかないと」


 新堂は無邪気に笑う。黎は少し迷って、


「一度お父様にお話ししてみます」


 確かに新堂の言う通り、許嫁となった以上お互いの事をよく知っていかなければならない。そのためにも会う機会を設ける事は大切だ。

 結局、後日返事をすると約束を取り付けて、新堂は颯爽さっそうと自分の車で帰っていった。


「私が家まで送ろう」


 後に残された黎と煌は、煌の車に乗り込んで、料亭を後にした。


「あいつは少々ノリの軽いところがあるが、気さくで面倒見がいい。きっと君の事も大切にしてくれる」

「はい」


 車中では煌が新堂の事を語っていた。黎も最初はどうなる事かと思ったが、新堂の第一印象は悪くなかった。

 黎は行きよりも幾分か軽い気持ちで窓の外を眺める。しばらく車内に沈黙が下りた。


「……小夜は元気にしているか?」


 ふと、ハンドルを握っている煌が前方を見たまま呟いた。


「少し、ふさぎ込んでいるように思います」

「そうか……」


 縁談の話があった翌日、小夜は女学校を辞めた。突然の中退であったが、学校側は何も言及はしなかった。そもそも女学生の多くは途中で結婚してしまい、最後まで通う子の方が少ないのだ。だが、小夜の場合は相手が皇太子煌である。ゆくゆくは皇帝となる者との婚礼のための退学となれば、それは世間の目を集める一大ニュースである。そのため、小夜の女学校中退は学外には不出となっており、その事実を知る者は学校の管理職までに留まっているそうだ。

 学友にも小夜が退学したことは知らされていない。あれから黎は一人で女学校に通っているが、やはり小夜の不在をいぶかしむ声も多い。

 小夜にとっては精神的苦痛を伴うものだと思う。正式な婚礼の一報が公表されるまでは、小夜は久遠院の屋敷を出られない。


「顔を見に行ければ良いのだが、婚礼前のしきたりでな。迂闊うかつに家に出向くわけにもいかないのだ」

「ええ、承知しております。小夜も、理解している事かと」


 黎も小夜に何と声をかけていいのかわからなかった。幼い頃から皇后になることを嫌がっていた彼女。決して避けられない運命だとわかっていても、こんな風に現実を突きつけられれば小夜だって気落ちするだろう。


「やはり、私は彼女を不幸にしてしまうのだな」


 煌の呟きに黎はかつて皇居の夜の庭で煌と初めて出会った時の事を思い出した。


「そんなことはありません! 小夜は少し不安になっているだけです。ただ今は少し時間が必要なんです。煌様とのことが嫌になったわけでは決して――」


 だが、煌は眉をひそめて苦い顔を崩さなかった。彼の意思は堅かった。黎がいくら説得してもその牙城がじょうくずせない。

 これではだめだ。黎は二人の幸せを望んでいる。それなのに、このままではそれが崩れてしまうかもしれない。

 唇を噛む黎に今度は煌が告げる。


「……君の方こそ、今回の婚約に納得しているのか?」


 黎は顔を上げた。問いかけてくる煌の顔は、なぜだか少し怒っていた。


「仲介した私が言う筋合いはないのだが、君たちの結婚は世間では歓迎されないかもしれない」

「それは、どういう事でしょうか?」

「新堂の父、宗次氏は碧軍の現中将。兄弟もみな将校の軍属一家だ。本人はあんな軽薄だが、中々に優秀でな、いずれあいつも軍部の中核の担う存在になる」


 友人の話をしている割には煌の口調は重い。眉間に皴を寄せたその横顔が黎を不安にさせる。


「新堂家は元々それほど高位の一族ではない。そんな家に、皇太子である私が、自身の婚約者の妹を紹介し縁談を進めた。この事実を知って邪推じゃすいする人間も世間にはきっといるだろう」


 黎は言葉に詰まった。黎は同じ公家の分家か、あるいは華族との婚約が取り計らわれるであろうと思っていたが、ふたを開けてみれば煌の知り合いとはいえ相手は軍人であった。黎も馬鹿ではない、この婚姻に何らかの政治的意図がある事は理解していたが、


「君たちの婚姻の大きな目的は皇族と軍部の繋がりを強固にする事だ。昨今、宵暁国内外で紛争の火種がくすぶっている。国外では第二次帝国主義政策を推し進め植民地化を再開しようとする列強諸国。特にトライベインの動向が気がかりだ。今日恭夜殿が召集されたのもその一環だと思う。そして国内では共産主義革命を望む赤軍。今宵暁国は国防の増強が急務となっているんだ」


 黎は正直世間の情勢には明るくない。でも、欧州大戦が終わって十年、平和な情勢がいつまでも永遠に続く保証などない事はわかる。


「君と新堂の婚姻はある種の意思表明でもある。『今後宵暁国はより軍国主義に傾倒けいとうしていく』というね。……だが、それに対して異を唱えるものは国内に大勢現れるだろう。特に昨今の赤軍が活発化している現状となれば、彼らだけでなく左翼の政治家たちも難色を示すだろう」


 そして煌は険しい顔をして黎を見つめた。


「黎。今回の婚姻を提言したのは内大臣と恭夜殿だが、後押しをしたのは私だ。私はそう遠くない内に正式に皇帝へと即位する。この国をおびやかす脅威は、早いうちに手を打っておきたかったのだ。だから君を、政治の道具に仕立て上げた」

「……そうだったのですね」


 黎は静かに頷いたが、それに驚愕きょうがくしたのは煌の方だ。


「どうして怒らないんだ? 私は君を利用しているのに」

「以前にも申し上げたはずです。私は久遠院家に生まれたその日から国のために生きるよう定められているのです。普通の生き方など望めない事はわかっておりましたし、私が新堂様と結婚することが国益になるというのなら私は本望です」


 次の瞬間煌は思い切り急ブレーキを踏んだ。慣性に体を引っ張られて黎は思わず目の前のボードにすがりつく。幸いにも走行していた道は大通りではなく、周辺に車はおろか人の姿は見当たらなかった。しかし突然車を急停止させた事に、煌に何かあったのではと黎は顔を青くする。


「煌様、どうかなされたのですか⁉」


 煌は動かぬままハンドルに突っ伏していた。どこか具合が悪くなったのだろうかと手を伸ばすと、


「君は、どうして……」


 ふり絞るような煌の声。黎はなぜだか動けなくなった。


「君はいつもそうだ。国の事、小夜の事、私の事。うれうのはそればかり、君自身の望みなど私は聞いたことがない」


 煌の鋭い視線が黎を射抜く。責め立てられる心地がして、息が出来ぬほどに委縮する。煌がこんな風に怒っているところを黎は初めて目の当たりにした。

 黎はどうしていいのかわからなかった。だって仕方のない事ではないか。黎が嫌だと言ったって何も変わらない。黎に何かを変える力などないのに。


「……すまない、忘れてくれ」


 何も言い返せない黎に煌は微笑んだ。いつもの優しい微笑みとは違う、あきらめと哀愁あいしゅうにくすんだ表情に黎はいたたまれなくなって涙を浮かべる。


「君を責めるつもりはないんだ。私は、君に幸せになってもらいたい。ただ……それだけなんだ」


 煌はそう言って静かに車を発進させた。

 それからの煌は無言で、黎も俯いたまま顔をあげられなかった。

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