第三話 皇女の務め②
◆
黎の縁談相手として紹介された新堂貴斗は、かつての幕政下で
黎と新堂の初顔合わせは帝都の某所にある
今日は小夜が隣にいない。黎の外出は大抵小夜が一緒だった。一人で誰かに会いに行くなんて、ひょっとしたら初めての事ではないだろうか。不安と着物の重さに押しつぶされそうになりながら、黎は婚約者だという新堂という男の事を思い描く。顔も知らない、どんな方なのかわからない。でも顔を合わせればその瞬間、その人を生涯の
ふと昔、幼い頃に小夜が煌との婚約を嫌がっていた事を思い出した。今でこそ小夜は煌との婚約に納得しているが、
「……確かに、不安になるわね」
黎はそっと車の窓ガラスを指でなぞった。通りを歩く同年代の女の子たちは、華やかな洋装に身を包んで、髪を肩口に
「よく来たね、黎」
料亭で黎を迎えてくれたのは意外にも煌であった。
「煌様、何故、ここに? お父様はまだお見えになっていないのですか?」
出迎えならば先に到着していた父だと思ったのだが、それに対し煌は口を濁して、
「実は
外務卿である父の仕事は多忙だ。トライベインと言えば欧州の列強国の一つ。その国の
「ようこそいらっしゃいました。黎様」
共に控えていた料亭の
「本日は貸し切りにしておりますので」
皇族の見合いとなればそれも当然だろう。だが、その
「失礼いたします」
女将が
「初めまして、黎様。新堂貴斗と申します」
黎に
年は煌と同じ位か、胸に輝く
新堂は黎に向かって微笑みかけた。堅さを感じない、柔和な笑み。だが、どこか底のない沼のような瞳の色に、黎は緊張がほぐれるどころかますます委縮してしまう。
「あれ、もしかして怯えられてる?」
「新堂。君の底意地の悪さが隠しきれていないんだ」
「縁談相手の前でなんてこと言うんですか、殿下。俺は誠実で潔白な人間ですよ」
嘘をつけ、と煌が笑う。普段あまり見ない砕けた表情の煌に、二人が気の置けない仲であるという事は理解できた。
(煌様が心を許しているという事は、きっと悪い人ではないわ)
少し怖気づいてしまった黎だが、ここまで来たからには腹をくくらなくてはならない。密かに呼吸を整えると、新堂に向き合って、
「お初にお目にかかります、新堂様。久遠院黎と申します。この度はご縁がありましたこと、誠に嬉しく思います。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
黎の静かな挨拶に、男性二人はお互い無言で顔を見合わせた。
それから黎たちの目の前には豪勢な懐石料理が運び込まれ会食が始まったのだが、同席していたのは黎と煌と新堂の三人だけで、さほど
「本陣の方で急務が入りましてね。どうしても外せなかったそうで」
「赤軍がらみか?」
「ええ、どうも近いうちに大々的なデモが行われるかもしれないと垂れこみがあったそうで」
やれやれとため息をついて新堂は箸を進めた。
「准将は久遠院家のご令嬢との縁談なのですから何としても、と仰っていたのですが……」
「国防に関わる事だ。致し方あるまい。それに、あまり見知らぬ顔が多くては君も緊張するだろう?」
そう言って煌は黎の方を見た。元々今回の二人の顔合わせは煌が発案で、あまり形式張ったものにしたくない煌は両者を無理に招集はしなかったそうなのだ。それはとても有難い事で、その心遣いに黎はますます委縮する。
「それにしても近頃
「矢矧?」
黎が首を傾げると、
「黎様は聞いた事がありませんか? 矢矧
「新堂、こんな席でする話じゃないだろう」
楽し気に話そうとする新堂を煌が
「すいません、そうでしたね」
新堂は頭を下げる。屈託のなく飾らない物言いは少々荒っぽいところもあるが、傍若無人な印象を受けるものではない。軍人と聞いて、どんな人が来るのかと思っていたが、いい意味で『普通の人』のようで少し意外でもあった。
それから新堂は話を切り替えようと、
「そういえば黎様は今女学校に通われているそうですね」
「は、はい」
「普段はどのように過ごされているのですか?」
新堂に質問に黎はしどろもどろになって手に持っていた箸を置いた。落ち着いて、こういう時にちゃんと答えられなければ、
「取り立てて特別な事はありません。授業を受けて、課題をこなして、空いた時間になれば本を読んだりお裁縫をしたり」
「友達と出かけたりとかは?」
「私には学友と呼べる方はおりません。小夜とはいつも一緒にいましたが……」
自分で言っていてなんだか気恥ずかしくなってしまった。黎が俯くと煌が助け舟を出してくれる。
「久遠院家は世襲親王家に名を連ねる旧家だからな。同門とはいえ、我々は周りから少々避けされるところもある。私も昔そうだった」
「そうでしたっけ? 殿下は結構周りの奴らに囲まれていたような気もしますが」
「そんな事もない、私にも色々思い悩むことはあった。……まあ、そんな中でもお前は本当に物怖じもせずに私に絡んできたがな」
煌の言葉に新堂はけらけらと笑った。
「そう言えば小夜様って煌様の婚約者なんですよね。未来の皇后陛下」
「……ああ」
「どうなんです。やっぱりお可愛らしい方なんですか?」
話題は小夜の話に。しかし、その瞬間煌の目には明らかな戸惑いが生まれたのを黎は見逃さなかった。
「ああ、とても純粋でまっすぐな方だ」
「へえ、御姿はどうなんです。やっぱり黎様によく似てらっしゃいますか?」
すると煌は黎の方をじっと見つめた。煌の強い視線に黎は一瞬ドキリとして、
「……ああ、よく、似ているよ」
噛み締める様な口調は、小夜の事を思い出しているのだろうか。
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