第三話 皇女の務め①

 ◆

 珀宮はくのみや宵暁国よあきのくにの心臓部にあたるとするならば、頭脳にあたる部分がここ葛谷町くずやちょうである。

 国会議事堂に首相官邸、各国の大使館が密集し、宵暁国の政治の中枢と言えるこの区画は、街全体がへいにおおわれるさながら城郭の様相をていしていた。

 一般市民の出入りはほぼ皆無で、巨大な正門を通るのは政府関係者や要人、海外からの使節、あとは数件の業者位だ。

 国政の中枢だけあって、そのセキュリティは厳重に管理されており、常に碧軍の部隊が常駐している。


 葛谷町を出入りできる門は二箇所。街の西部にある天神門てんじんもんに一台の外国車が幅を寄せた。

 黒鉄の車体にたか獅子ししの金色のエンブレムが光る。紋章はトライベインの国紋章、それが太陽の光にギラと光った途端門に詰めていた二人の兵士に緊張が走った。

 厳しい関門をその車は速度を落とすことなく通り過ぎる。


『審査など不要』


 という自信か、ある種の傲慢ごうまんさがその車から発せられていた。そしてこちらに会釈えしゃくの一つも寄越よこさない車内の人物に、二人の兵士は眉をひそめる。

「まったく仰々ぎょうぎょうしい町だ。まるで中世の都市国家の様じゃないか」


 バックミラー越しにその二人の兵士をにらみつけた男。仕立てのよいスリーピースに包まれた鍛え上げられた体躯たいく。丁寧に後ろ手に撫でつけられた鳶色とびいろの髪。鼻筋の通った伊達男だておとこだが、不遜ふそんな態度がそのすべてを台無しにしている。母国では傲岸不遜が服を着て歩いていると評される彼こそ、トライベインの外交特務使節、ジュディス・モーリーであった。


 三時間ほど前に帝都の港に到着したモーリーは、ついて早々母国とは異なる特有の高湿度と磯臭さにきびすを返したくなった。


(後進国の野蛮人め)


 宵暁の民に聞かれれば石を投げられそうな罵声ばせいを心の内に呑み込んで、大使館の手配した車に乗り込み葛谷町に向かった。道中街のあちらこちらでプロパガンダに満ちた赤い旗がひらめいているのを見て、モーリーの機嫌はますますどん底に転がり落ちる。


(後進国の野蛮人め)


 再び同じ悪態を胸中に吐き捨てた時、車は大使館前に到着した。

 彼を出迎えたグラント駐在大使。勤勉で真面目な勤務態度は称賛に値するが少々肝の小さいところが難点だ。そしてその隣に控えていたのは、


「お久しぶりです。モーリー卿。遠路はるばるようこそお越しくださいました」


 憎たらしいほど流暢りゅうちょうなトライベイン語。最後に直接あったのは欧州大戦直前の同盟協賛式であったか、宵暁の外務きょう久遠院恭夜という男はいつ見ても腹の底がしれない。


「これはこれは。キョウヤ、会いたかった」


 モーリーは恭夜と握手を交わした。世間ではトライベインと宵暁の外務卿は非常に有効な信愛関係を築いていると思われている。恭夜とも外交上何度も顔を合わせたし、個人間同士の交流も良好だ。モーリーは決して久遠院恭夜という男を見くびっているわけでも毛嫌いしているわけでもない。彼はこの国の芯を司る皇族の人間でもある。仲良くしておいて特になることはあっても損することはない。


(だがしかし、この男はなかなかに曲者くせものだ)


 恭夜という男の人間性に関しては未知数な部分が多い。宵暁人は欧州人にとってただでさえ感情の起伏がとぼしく捉えどころのない人種なのだ。そんな宵暁の特徴を鍋でグラグラに煮詰めて凝縮させたのがこの久遠院恭夜という男だ。


「長旅でお疲れでしょう。どうぞこちらへ」


 グラントの扇動に一行は大使館に入った。大使館内は外交特権が適応されており、法律上宵暁国が干渉することができない。つまりここはトライベインの領土圏内も同然。ようやくモーリーは深く息を吸い込んで気を静めることに成功した。

 応接室に顔を合わせたのは、モーリーと恭夜、そしてグラントの三人のみ。見ようによっては和やかな歓談が開かれる雰囲気に見えなくもないが、これから始まるのは両国の存亡をかけた駆け引きだ。これは決して比喩ではない、大げさに言っているわけでもない。


「本日より開かれる会談はあくまでも事前の予備会談に過ぎません。近々公表される、トライベインと宵暁の間で新たに締結される条約規定に関する審議について協議させていただきます」


 グラントが固い声で告げる。

 両国は長らく虎宵こしょう同盟の元友好関係を築いてきた。むろん今後も同盟国として表面上は仲良くしていく予定ではあるが、昨今の国際事情をかんがみて、その締結内容にメスを入れざるを得ない事態が発生した。


「審議したいのは他でもない、経済方面での制約に関してです」


 モーリーは努めてにこやかにそう告げた。


「昨今アウレア・イッラの経済進歩が目覚ましく、すでに国際市場の二割近くをかの国の国営企業が独占しています。このまま市場の独占が拡大すれば、いずれこの世界はあの振興国の天下となるでしょう。そのために今我々がするべきは資本の国際的な自由移動化と関税の撤廃、そして互いの産業促進にありましょう。今回の締結内容の改正は、その第一投となるのです」


 モーリーはよどみなく頭の中に打ち込んだ原稿を読み上げる。この日のために下準備は抜かりなく行ってきた。両国の経済協賛をより強固なものにするために、モーリーは一切の手を抜くことはしない。

 しかし、どんなに用意周到に駒を積み上げたとて、一瞬でひっくり返してしまうのが目の前にいるこの男だ。


「単刀直入に申し上げましょうか」


 恭夜が鋭い視線をモーリーに向けた。相変わらず武士のような佇まいだ。


「貴方の憂慮ゆうりょは私も理解しているところです。共産主義国であるはずのアウレア・イッラの発展は目覚ましく、我々も無視してはいられない。そのうえ厄介なことにあの国は世界革命の思想を提唱している。今やこの帝都でもアウレア・イッラの思想に染まった民が白昼堂々とこの街を闊歩かっぽしている。かの国は破竹はちくの勢いで周辺諸国を飲み込もうとしている。それに対抗するため我々の関係を強固にする、貴方の考えに私も賛同します」

「それはうれしい限りです」

「ですが、貴方がわざわざ宵暁に足を運んでまで成し遂げたい野望はそちらではありますまい」


 その瞬間、モーリーのこめかみに力が入る。動揺を悟られてはいけない。だが、残念なことに隣に座っていたグラントはそれに失敗したようだ。


「近年、国際市場においては我々皇族にとっても無視する事の出来ない事象が生じている。それが、――これです」


 恭夜は懐から親指の爪ほどのサイズのペンダントトップを差し出した。


 茜と瑠璃に輝く独特の光沢を放つ鉱石――宵暁珀しょうぎょうはく


 グラントがため息をつき興味深そうにのぞき込むと、すぐさま恭夜はそれを己の手の内に隠した。


「この石は代々我ら皇族の管理運営の元、厳重に産出され国民ですら滅多にお目にかかれない代物です。ですが、その宵暁珀が今、少量とはいえ国際市場に出回り破格の値段がつけられている。何故だかお分かりですか?」


 恭夜の声は怒気をはらんでいた。ポーカーフェイスを崩さないモーリーの額から汗がぽとりと垂れる。


「この石は皇族の儀式に用いる祭具か、あるいは他国への親善の証としての贈答品に使われることがほとんどです。本来市場に出回るはずのないそれが、市場でやり取りされているということは、どこかの国が我らの送ったそれを金儲けの道具として使用しているか、あるいはこの国に我々の家宝を売りさばく不届き者がいるか、そのどちらかです」

「ふむ、それで?」

「贈答品を売却することに関しては何のとがめもない。それらは我々の善意の元で送ったもの。それらをその後どうしようかなど、我々は追及するつもりもない。問題は後者です、我々もこの件に関しては調査を進めておりますが、それについて貴方にも忠告しておきたい事があります」


 そして恭夜は、鋭い眼光をモーリーに向けた。


「万一宵暁珀の不当売買を行うものがあれば、我らが今上帝の名のもとにその者を朝敵とみなし断罪するでしょう。無論それに乗じて肩入れする者も例外ではございません」

「……」

「さて、改正条件の筆頭は両国間での資本自由化と企業提携化、でしたか。トライベインはよほど我が国の企業に興味関心を持っておられると見える。この条約が改正された際には、御国はどの企業を買収なさるおつもりかな?」


 さすがのモーリーも息を吞まざるを得なかった。読まれている。宵暁珀の密売を足掛かりにその採掘業社と提携し、宵暁珀の採掘権を握る計画など、恭夜はとうに見抜いている。そこまで見抜かれていては、今回の交渉はすでに敗北したも同然だった。モーリーはぎりぎりと奥歯を噛んで屈辱に耐えた。


「経済提携の観点に関しては議論いたしましょう。ですが、鉱石のこの件に関しては我々宵暁の人間は誰一人首を縦に振ることはないと、あらかじめ宣言しておきます」

「……肝に銘じておきますよ」


 だが、モーリーとて簡単に引き下がる男ではない。一度手を防がれたからと言ってすぐに引き下がるような人間に、トライベインの特使など務まらない。

 隣で二人の睨み合いをハラハラと見つめているグラントは全くあてにならなかった。まったく、もう少し使える奴を派遣しておくべきだったと今更毒づいても仕方がない。


「では今回の議題はそのまま進めてよろしいですかな?」

「……構いません」


 恭夜の低い声が部屋にとどろく。条約改定の審議はまだ始まったばかりだ。

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