第六話 二人の女⑦

 ◆

「吉井藤次郎。元衆議院議員、か。なるほど」


 同時刻、トライベイン大使館の一室で、モーリーは紙束を片手にほくそ笑んだ。


「そしてこいつの地元の宵暁珀鉱山の発掘事業を取り仕切っていた炭鉱会社の筆頭株主が六条勘助……よしよし、繋がってきたぞ」


 モーリーは上機嫌で鼻を鳴らす。その横でこれらの資料をかき集めたグラントが、「この人は一体何をしているのか」と言わんばかりの顔で突っ立っている。

 宵暁国に留まる事を選択したモーリーはこの三か月ひたすらに情報を集めていた。新聞記事からゴシップ記事は勿論、時には間者かんじゃや密偵も差し向けて宵暁政府の機密書類まで抑えていた。グラントもその端役はやくになわされ何が何だかわからぬまま資料をかき集めたが、上司は一体何を必死になって調べようとしているのか。


「まったくお前は脳の無い奴だな」


 上司のあざけりに内心眉を寄せつつ、グラントはすみませんと謝罪した。


「ですが使節は赤軍の動向をお調べになっていたのでは?」

「そうだ。奴らのここ数年の所業を調べた中で面白いデータを発見したんだよ」


 モーリーは不出来な部下に向かって得意げな顔をして笑う。


「一年前の六条財閥の総裁を襲撃した事件。近年では一番世間を騒がせた赤軍絡みの事件だが、その首謀者が『矢矧』と名乗っているそうだ」

「や、矢矧……⁉」


 流石のグラントも世紀の大悪党の名は知っていたらしい。矢矧はトライベインにとっても欧州大戦の時に煮え湯を飲まされた天敵だ。奴のせいでスマートに終わっていたはずの戦争が四年も泥沼したと言っても過言ではない。


「矢矧が姿をくらましたとされるのが五年前。東欧の義兵軍に大量の重火器を卸し周辺一帯を紛争の渦に巻き込んだ通称『リンデルの悪夢』以降、奴の国際市場での動きは途絶えている。それ以来、矢矧は死んだとされていたわけだが――」


 何せ方々から恨みを買っていた奴だ。いつ寝首を搔かれていてもおかしくはない。


「まあ、今いる奴は偽物だろうがな」

「偽物?」


 キョトンとするグラントにモーリーは続けた。


「どうにも計画が杜撰ずさんなんだよなあ。あの三十年間、あれだけ戦地を引っ搔き回して神出鬼没素性不明で通した男がだぞ? 堂々と財閥総裁の邸宅を襲撃して自分だとわかるような声明文送り付けるか?」


 この一件で矢矧が生きていると世間に知られたわけだが、矢矧ならばわざわざ己の存在を世間に公表するだろうかと疑問がある。しかも事件の実行犯は若い層が中心だった、猶更矢矧が出てくる必然性はない。


「だがその時の目撃証言がいくつか上がっている。同日被害にあった吉井がその時居合わせた矢矧の姿を目撃している」


 そう言ってモーリーは束ねた紙をグラントに放ってよこした。


「襲撃者は皆若者。仮に矢矧が生きていれば五十を半ばすぎたあたりか、到底若者だなんて言えないだろう?」

「手下に任せて自分は現地にいなかったとかでは?」

「いいや、わざわざ時事通信社に声明文まで叩きつけるような人間がなりを潜めてじっとしていると思うか?」


 そういう奴もいるかもしれないが、モーリーには確信があった。書類に目を通してみろ、とグラントを促す。


「……吉井本人の証言ですね。自分を襲ったのは、二十前後の若い男で――青い瞳の男?」


 その証言には身体的特徴としてただ一言そう書いてあった。グラントは思案する。もし、自分が襲撃されて死の淵に立たされた時、目の前に立ちふさがる殺戮さつりく者を前にした時、自分は直感的にそいつの何を見て、何を認識するのだろうかと。


「殺されそうになったその瞬間に見たものというものは、何よりも鮮明に目に焼き付く。吉井の目に真っ先に飛び込んできたのがそれだというのなら、俺には心当たりがある」


 そしてモーリーはソファに深く身を預けて遠くを望んだ。


「俺は昔一度だけ矢矧に会った事がある」


 モーリーは脳裏にかつて一度だけまみえた男の顔を思い浮かべる。神出鬼没とうたわれた極悪非道の『戦争屋』。あれは欧州大戦が終結して五年を過ぎた頃か、自分から戦の火種をいておいて堂々とモーリーの元を訪れ商談を始めたあの男には、殺意など通り越して呆れ果て、むしろ逆に興味が湧いた。


「あれは生粋の悪魔だ。人心を何とも思っていない、あるのはただ利己的な感情のみだ。

 そしてとんでもなく金の匂いに敏感だ。だが金の亡者とも少し違う。奴は本当の意味での快楽主義者だった。武器を売り、物資を売り、そして人を売る。戦場を作り、市場を引っ掻き回す。そのためだけに全ての労力を注ぎ込む。少なくとも俺の目にはそう見えた」


 考えれば考えるほど頭のいかれた奴だった。とモーリーは口元をゆがめて笑う。


「だが、あの血の通っていない悪魔にしては意外にも、近しい人間がいた。奴は人心掌握にも長け世界中に手駒がいたようだが、それとはまた違う――少年を一人連れていた」

「少年?」


 グラントは首を傾げ反復する。


「商談の席についてきていた。言葉を発さず、ただ俺と矢矧の会話をじっと食い入るように聞いていた。俺は妙な奴だと思ったが、目深にかぶった帽子の中からはっきりとその大きなサファイアの様な瞳が見えた」


 モーリーは肯定するようににやりと笑った。


「俺の予想が正しければな、これは復讐ふくしゅうだ。……そう、真相はいたってシンプル、何の捻りもない陳腐ちんぷな復讐劇に過ぎないんだよ」


 モーリーは手元に散らばっていた資料の一枚を指で弾いた。紙は摩擦に反してするりと机上を滑り、厚い絨毯じゅうたんの上にひらりと落ちていった。

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