第十一話 彼らが最後に手にしたもの④

 ――私は、何のために今まで生きてきたの?


 小夜と煌を支えるため、この国の繁栄を願うため。それだけだったのに、それでよかったのに。


「……黎?」


 抵抗をやめた黎に異変を感じたのか、煌もその腕をわずかにゆるめた。彼はいつもの暖かな瞳の色に戻りつつあった。そんなことも、黎にはもう見えていなくて。


「……私を罰してください。殿下」

 うつろな意識で黎は静かにつぶやいた。


「私は国家に仇を成した反逆者です。貴方のお傍に立つどころか、この国で息を吸う事すら許されません」

「黎、何を――」

「どうか私を罰してください。貴方が彼らを犯罪者だと、許容できないのだとおっしゃるなら、どうか、彼らと同様に私を絞首台にお送りください」

「それはならぬ!」


 再び煌は怒りに声を震わせた。だが、黎にはもう怯える気力も抗う力も残ってはいない。


(私は皇族としての役目も果たせず、大切な人たちを傷つけ続けた。ならばせめて、あの人と同じ裁きを受けたい)


 そう心の中で呟いた瞬間、黎は一つの答えに行き着いた。ここのところずっと黎の中に巣くっていた抗えない焦燥の正体にようやく合点がいく。


「私はお前を罰したりなどしない! お前は――」

「いいえ。貴方はそうしなければなりません」


 黎はゆっくりと煌を見上げた。怒りにも絶望にも彩られた彼の瞳の中に、空ろな――でも確かに明確な答えを持った自分の顔が映りこむ。


「私はシンさんの事を愛しているから」

「……!」

「私はあの人のために、この国を捨てる覚悟を持ってしまったから」


 その瞬間、ようやく黎の中で一つの決意が固まった。皮肉にも、煌の告白が燃料となって。


 ――燃え上がってしまった。心のうちに秘めていた、恋心が。


「煌様、私は、皇女である前に一人の女です。だから」


 黎はゆっくりと、自分に言い聞かせるように告げた。


「私は愛した男にこの身を捧げます。国を裏切り、混乱に陥れる反逆者として、貴方に裁かれます」


 そう言って黎は膝を折った。煌に対し臣下の礼を示す。


「私は皇籍から除します。慈悲はいりません。どうか私を罰してください」

「――黎。だめだ」

「煌様!」


 その時、固く閉じていたはずの扉が勢いよく開かれた。けたたましい音に黎は驚いて跳ね上がる。だが、振り返ったその先に驚くべき人物に黎は目を疑った。


「――シンさん⁉」


 そこにいたのは扉に手をついてぜえぜえと息を吐くシンだった。滝のように汗を流し、獣のように鋭い眼光で黎たちを射抜く。

 シンは大股でこちらに近づくと、黎のかたわらに立った。その威圧感に黎は気圧けおされる。ほどなくして開け放たれた扉の向こうで慌ただしい足音がした。


「殿下! 黎様! ご無事ですか⁉」「不審者が侵入を――いたぞ!」


 宮殿の者たちが部屋になだれ込んでくる。あっという間にシンを包囲し、捕縛しようと迫るが、


「待て。――よい、お前たちは下がっていろ」


 煌が一言発すると、彼らに戸惑いが生まれた。


「殿下! この男、門を強行突破して無理やり入ってきたのです! 無礼にも殿下の御前にまで押しかけて、即刻捕らえねば――」

「よいと言っている! 二度も言わせるな!」


 煌が怒るとは思わなかったのか、宮の者たちが怖気づく。彼らを無視して、煌はじっとシンを見据えた。


「このようなところまで、よく潜り込めたな」

「……参道で軍部が揉めてたもんで、ちょうどよかった。奴らのおかげで状況も把握できたからな」

「……名を聞こうか。其方そなたは何者だ?」

「俺は――」


 不意に訪れる沈黙。シンが大きく呼吸するのが聞こえて、


「俺の名はハン星輝シンシャオ。この国の者ではない、ただの異邦人です」


 シンは矢矧の名ではなく、本名を名乗った。これまで矢矧としてふるまい続けてきたはずの人が、矢矧の名をかたることなく、堂々と宣言する。


「異国の者が私に何用だ?」

「俺はあんたに用はない。俺はただ、奪い返しに来ただけだ」

「奪い返す? 何を?」


 煌の顔が益々険しくなる中、シンは隣にいた黎に手を伸ばし、肩を抱き寄せる。


「⁉」


 そこにいた誰もが唖然あぜんとした。当の黎ですら、状況を理解できず傍のシンの顔を見上げる。彼は酷く顔色が悪い。それでも、揺るぎない瞳で黎の事を見た。


「こいつを連れていく。俺の用はそれだけだ」


 周囲で動揺と困惑の声が上がる。黎も彼らと同じ気持ちだった。でも、


 ――嬉しい。


 唐突に、でも確かに、黎の心に灯ったのは歓喜の火だった。先ほどまであんなにこの人に顔向けできないと嘆いていたのに、自身を罰してほしいと思っていたのに。シンにそう言われただけで、黎は単純にも舞い上がってしまった。


「殿下! この者は正気ではありません!」

「世襲親王家の御方をかどわかすなど……! これは大逆だ!」


 にわかに燃え広がる周囲の殺意。もはや食い止める事はできないほど膨れ上がり、逃げ場がない事に黎は恐れおののく。だが、そんな黎を安心させるように、シンの腕がより強く黎を掻き抱いた。


「……っ」


 彼は大丈夫だ、と告げるように微笑んだ。状況は何も変わっていないのに、それだけで黎の心は安寧を取り戻す。そんな二人の様子を、食い入るように見つめていた煌は、


「……何故黎なのだ」

「あ?」

「何故黎なのだ⁉ 貴様の様なやからが! この国を混沌に陥れる貴様が! 何故黎を連れていく⁉」


 ここまで取り乱した煌を見たのは初めてだ。黎にはわからない。恐らく煌にとって、彼がこれまで築き上げて来たものや、守ろうとしてきたものが、たった一瞬で無に帰す時がやってきたのだという事を。


「――立場なんて関係ないだろ」


 未来の帝になるという重責を背負った男に、


「欲しいもんはどんな犠牲を払っても手に入れる。地位も、己の感情も全て捨て置く。それが、俺が父親から教わった事だ」


 そんなものはどうでもいいと一蹴する男は、何が何でも黎を手に入れるのだと宣言した。

 周囲から不敬だと声が上がる。そんな声に対しても、


「――不敬で結構。こいつに出会った時から俺は、もうとっくに不敬の者だ」


 その瞬間、宮殿の外で大きな爆発音がした。ずんと身体を揺らす振動に、周囲から悲鳴が上がる。その一瞬の隙をついて、シンが懐から手製の発煙弾を取り出した。


「なっ……!」


 執務室が瞬く間に白煙に染まる。目くらましが黎たちを隠している隙に、シンが黎を抱き上げどこかへと駆け出した。


「っ……!」


 黎は思わずシンの首にしがみついた。すぐ近くで困惑する誰かの気配や、悲鳴、怒号、色んなものが飛び交う中で、


「黎!」


 最後に煌が黎を呼ぶ声がした。黎は心の中で、もう煌とは顔を合わすことは叶わないのだと悟る。


 ――きっともう二度と、会わない。


 黎は返事をすることなく、シンに連れ去られ執務室を後にした。執務室の外に出ると少し白煙は薄らいで、少し視界は回復する。その時、


 ――小夜。


 駆け抜けた回廊の奥向こうで、こちらをじっと見つめる、美しい着物の女が見えた。遠くからでも小夜だと分かった。小夜はじっとこちらを見つめたまま、黎が去っていくのを見送っていた。

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