第一話 成年の儀④

 ◆

 儀式は正午よりり行われるはずであったが、肝心の儀式の主役が姿をくらましたために、宮廷内は一時騒然となって、結果として二時間ほどの遅延を招いてしまった。

 とはいえ、一度始まってしまえば儀式はとどこおりなく行われ皇太子煌の成年の儀は呆気ないほどにつつがなく進んでいく。


 黎たちは今、皇居の裏手にある霊山の山内に移動していた。儀式の最後を飾る、『宵暁珀しょうぎょうはくへの拝礼』を行えば、皇太子は晴れて成年と認められる。

 宵暁珀とは、霊山に生成されている鉱脈からとれる鉱石の事だ。表面は輝くばかりの橙色、だが鉱石を割るとその核が光を吸い込んでしまうような濃い瑠璃色をしている事からその名が付けられた。宵暁国の地を創ったとされる、宵暁珠命よあきのたまの心と体であると言い伝えられており、古くから皇族の先祖のしろとして厳重に管理されている。宵暁珀の鉱脈は霊山以外にも二か所存在するが、その鉱山はいずれも宮内省の管轄となっている。宵暁珀はこの宵暁国の島でしか取れない貴重な鉱石で、国際市場に出れば金以上の価値が付けられるとも言われているが、皇族の氏神うじがみ信仰の依り代として扱われている宵暁珀は滅多めったな事では出回らない。それこそ海外の重鎮じゅうちんが来訪した際の贈答品や、皇族の祭祀さいしの際にしかお目にかかる事が出来ない。

 霊山の鉱窟の最奥にはとりわけ大きな結晶が生成されている場所があるという。それは言い伝えによると結晶化した宵暁珠命の身体そのものと伝えられており、その晶塊には歴代皇帝たちの魂が宿っているとされている。

 そこは皇族にとっての聖域。皇室の重要な儀式は必ずこの御前ごぜんで執り行われ、ここに足を踏み入れる事が出来るのは、皇帝と彼に許された者のみ。


 今、黎を含めた儀式の参列者はその結晶へと向かうべく狭い坑道を歩いていた。宮司や参列者と共に鉱窟内を移動する黎は、少し前を歩く小夜の背中を見つめた。ひんやりと湿った坑道を若草色の汗衫をずるずると引きずって歩く小夜は、肩に力が入っていてどことなく頼りない。黎も同じ形の衣装を着ているが、小夜は黎よりもずっと動きにくそうだ。

 声をかけてあげたいが、この狭い坑道ではわずかなささやき声も響いてしまう。黎はぐっと唇を噛んで小夜の背を見守った。やがて一行は坑道の突き当りの開けた洞穴に辿り着く。すでにそこには最小限の松明が灯っており、一足先に連れてこられたのであろう煌が結晶の前に座っていた。到着した一行を見ると、彼は少しホッとしたような顔で笑った。

 黎は煌の肩越しにある大きな結晶に目を奪われていた。長身の煌よりもずっと大きい、恐らく三メートル近くにはなるかもしれないその結晶はこの薄暗い洞穴の中でもキラキラと光を放っているように見えた。頼りない松明しかないはずの空間はやけに明るくて、この結晶そのものが光源なのではないかと錯覚してしまう。宵暁珀は橙と瑠璃の輝きを放つ美しい鉱石。爪の大きさ程度のものは黎も見た事があったが、ここまで大きな宵暁珀は初めて見た。以前見たものとは全く違うその鉱石は、まるで内側に何か生命を宿しているのかと思うくらい複雑な色に揺れて輝いている。

 先祖の魂が宿っている、という伝承も今なら信じてしまいそうだ。


 そんな厳かな空間で、今皇太子である煌の成年の儀最後の一幕が静かに幕を開けた。宮司が低い声で祝詞を唱える。煌もまた結晶の前に跪き宮司に合わせて詠唱を繰り返した。そして、


「小夜様、前へ」


 宮司の指示と共に、少し顔の強張った小夜がゆっくりと前に進み出た。彼女の手に握られているのは、宵暁珀のあしらわれた冠。

 儀式の締めとして巨大な珀の前でひざまずいている煌の頭にその冠を授けるのが、婚約者である小夜のお役目だった。黎は宮司や内大臣が佇むその傍らでその様子を固唾かたずを飲んで見守った。珍しく小夜が緊張で震えている、見ているこちらも心臓が激しく鼓動を打って呼吸する事も苦しかった。

 硬い表情をした小夜が煌の前に立つ。そっと彼の頭に冠を添えるとその瞬間少し淀んでいた洞内の空気が澄み渡るような心地がした。

 煌が顔をあげる。たった今、彼に冠を授けた小夜と目が合うと、彼は優しく微笑んだ。


「これにて成年の儀、恙なく終えられました」


 宮司が宣言すると、側に控えていた女官たちが煌と小夜に紅い布の被さった折敷おりしきを差しだす。


「さあ、黎様も」


 黎の元にも同じものが差しだされた。その上に乗っていたのは、小さな宵暁珀で作られた首飾りだ。


「宵暁珠命に参られた方々は皆、その証として御神から削られた珀を身に付けるしきたりでございます。肌身離さずお持ちになっていてください。きっと御身をお守りくださいます」


 近くにいた女官が、その首飾りを黎の首にかけてくれた。途端、ずしりと重くその結晶が黎の胸で光る。


「……っ」

「黎様、いかがいたしましたか?」

「何でもありません、大丈夫です」


 黎は少し眩暈めまいがして、よろけそうになるのを何とか堪えた。身体が重い、誰かに見られているような気配を感じる。その根源が黎の首にぶら下がっているこの美しい宝石である事を黎は直感で感じた。


 ――お前は逃げられない。


 茜に輝く宝石が黎に告げた。これは宝石ではない、――首輪だ。


 ◆

 儀式が終わった後、黎と小夜はようやく久遠院くおんいんの屋敷に戻る事を許された。帰る頃には日も暮れかけて、祭りの終わる夕暮れの哀愁が辺りを包んでいた。正門前で迎えの車に乗り込もうとすると、


「小夜、黎」


 二人のもとに駆け付けたのは成年の儀を終えたばかりの煌だった。儀式の礼服から着替え、宮殿の外であった時と同じような洋装に戻っていた煌は、こちらの姿を確認すると顔を輝かせた。


「まあ、殿下自らがお見送りにいらっしゃるなんて」


 周囲の女官たちがざわざわと耳打ちするのが聴こえた。今ここにいる者たちの中では、小夜と煌が許嫁である事は周知の事実だ。きっと彼らの目には別れを惜しむ若き皇太子とその未来の皇太子妃という美しい光景が映っているに違いない。


「……何か御用でしょうか」


 目の前に現れた煌を小夜は少し刺々しい態度で迎えた。視線を逸らす小夜の横顔を真横で見ていた黎は、彼女の様子におや、と首を傾げる。


「見送りに来たんだ。道中気をつけて帰るんだよ」

「運転は運転手がしますから、気を付けるも何もありません」

「はは、それもそうだな」


 ぶっきらぼうな小夜の態度にも怖気おじけづくことなく煌は笑う。小夜にしては珍しい態度だった。


「またいずれ会おう。今度は久遠院のお屋敷にも伺わせてもらいたい。君たちの父君にも、改めて挨拶をしなければな」

「……」


 いつもは饒舌じょうぜつですぐに言い返す小夜がしおらしく黙っていた。黎の角度から髪の毛に隠れている小夜の頬が見える。彼女の頬は朱に染まっていた、恐らく夕日に照らされているからではないだろう。

 煌が小夜の手を取る。小夜の身体がびくりと震えたが、煌は構わずその手の甲に口付ける。周囲からため息が漏れた。まあ素敵、なんて女官たちは口々に呟いて頬を緩ませる。

 煌が唇を離したその一瞬だけ、視線が黎の方に向けられる。煌はくすりと笑みをこぼした。まるで少年のような無邪気で、少し寂しそうな笑みだった。




 その日の夜、自宅へと戻った黎は布団の中で今日授けられた宵暁珀の首飾りを眺めていた。

 暗闇の中でうっすらと光を放つ鉱石は重く、綺麗なのにどこか冷たい。やはり首輪みたいだと、黎はその輝きに目を細めた。


「黎、起きてる?」


 ふと、隣の布団からひそやかな声がした。そこには不安げにこちらを見つめる小夜がいた。


「そっちに行ってもいい?」

「うん、いいよ」


 黎が身体をずらすと小夜がその空いたスペースに身体を滑り込ませた。二人は無意識に身を寄せ合い、他に誰もいないのに声を潜める。


「どうしたの、小夜。眠れないの?」

「……」


 珍しく小夜が言いよどんでいた。黎は小夜の身体を引き寄せると優しく背中をさすってあげた。


「今日は大変だったね。儀式、凄く緊張したでしょ?」


 小夜の役目は煌に冠を授ける事だけ。でも、あの一瞬がどれほど緊張感に包まれていたか、側で見ていた黎も痛いほどわかる。


「私ならきっと頭が真っ白になって何も出来なかったわ。小夜はすごいね」

「すごくなんてないわ」


 すると小夜はぎゅっと黎にすがりついた。


「ねえ、黎。私、ちゃんと皇后になれるのかな」


 小夜は弱弱しい声でそう呟いた。今の彼女はいつもの明るく天真爛漫てんしんらんまんな小夜ではなく、不安に押しつぶされそうになっている一人のか弱い少女の様だった。


「もし私が皇后になって、周りのみんなが私の事皇后にふさわしくないって思ったらどうしよう」

「そんな事誰も思わないよ」


 けれども小夜は激しく首を振った。小夜の目に暗闇の中でも僅かに光る涙が見えた。

 小夜は恐怖を覚えている。初めて煌と相対した事で、今日の儀式を終えた事で、自分が皇后になる未来が現実味を帯び始めた。まだ幼い黎は小夜のその判然としない不安がどこに由来しているのかわからなかった。けれども小夜も感じたのかもしれない。あの宵暁珀の洞穴の中で、首飾りをかけられた時に感じたあの強い衝撃を。小夜もまた、逃げる事は出来ないと悟ったのかもしれない。


「それに皇后になったら、自由に外を出歩けない。黎とも自由に会えなくなる。……独りぼっちになるわ」

「一人じゃないわ、煌様が隣にいらっしゃるもの」

「あの人の事だってまだわからないわ。上手くいくかどうかなんて、わからないのに」


 不安に押しつぶされる小夜に黎が出来る事はたった一つだけ。今、目の前にいる小夜を安心させてあげる事だけだ。


「じゃあもし小夜が独りぼっちになった時は、周りの反対を押し切ってでも小夜に会いに行くわ」

「ホントに?」

「うん、小夜が泣いてたら私はどんなことがあっても貴女に会いに行く」


 それはまだ漠然としていて、黎にも小夜にも予想のつかない未来の約束。けれども黎は今の小夜を安心させるようにそう言った。


「私毎日皇后陛下に会いに行くわ。そうして宮廷の庭で一緒にお茶をしたりお散歩したりするの」

「……ふふっ」


 さっきまで不安げにしていた小夜が、初めて笑顔を見せた。小夜はこうやって笑っていた方がいい。泣いたり、不安そうにしている姿なんて似合わない。


「いいわね、それ。私もやりたい」

「ね、いいでしょ」

「じゃあ約束しましょう」


 小夜が布団の中で黎の手を握りしめた。二人の少女は額を合わせて祈るように目を閉じる。


「大人になっても、お互いどんな人と結婚しても、私たちはずっと一緒にいる」

「うん」

「お互いを支え合って、決して裏切ってはダメ」

「うん」

「たとえこの世界の皆が敵になったって」

「私は貴女の味方でいる」


 それは二人だけの神聖な儀式の様。無垢な少女たちがこれから大人になるために必要な通過儀礼だった。


 二人の少女は誓いあった。

 この先どんなことがあろうとも、二人はずっと共にある事を、

 今この時、誓いあったのだ。

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