第43話 黒い海④
なんて長い夜なんだろ——。
マミは今朝から起きたことを、思い出せる限り正確に、手帳に書き留めていた。
人が二人も亡くなった。
今井の死因は心臓発作かもしれないが、朱美は何者かに殺害されたのだ……。
マミは暗がりに横たわる朱美を見ただけだが、見分した宇佐美が言うのだから間違いないだろう。
電気は点かないし、外部と連絡も取れない。
そして梅子は、いまだに行方不明——。
梅子の事を考えるとマミの心は沈んだ。
すぐ近くにいたのに、梅子が部屋から出て行ったことに気が付かなかった。
どうか無事に梅子が見つかりますようにと、マミは祈った。
「マミちゃま、何書いてるの?」
隣で体育座りをしているユカが、手元を覗いてきた。
「今日起きたこと忘れないように、メモってる——ブログネタになるかも」
遊戯室の中は、電池式のキャンドルが多数置かれている。
文字を書くのに充分、明るかった。
「なあ」
床に敷いた毛布の上に寝そべっていた
「朱美さんって、どんな風に死んでたの? あんたの話聞くと、犯人って、竜に変装した男ってことだよな? そいつ、
透はユカを見ている。
マミもユカを見た。
ところがユカは無言。ハイハイしながら部屋の奥に引っ込んで行った。
「(まただ……)思い出したくないみたいよ」
マミが小声で透に言い訳をした。
「蒼真、ヤバい連中とつながりあるみたいな事、言ってたんだ。はったりかもしんないけど」
透は立ち上がった。
「藍子さん、見てくる」
近くの腰窓を開けると、透は軽い身のこなしで外に出て行った。
透が出ていくと、ユカはまたハイハイしながら戻って来た。
「ユカどんは、男が苦手なのかい?」
「女子校育ちやけん。男の子と口ばきいたこと、なかとです」
キャンドルの灯りでも分かるくらい、ユカの顔は真っ赤だった。
ユカは埼玉出身。博多弁は照れ隠しか。
藍子から朱美の遺体を発見した時のことをきかれた時も、ユカは率先してなんでもしゃべっていたくせに、透から質問された途端に押し黙った。
「うち、お
「免疫ないんだな」
よしよしと、マミはユカの頭をなでた。
窓の外では藍子と透の声がする。
二人でタバコを吸っているようだ。
そういえば、朱美の遺体があった部屋に入った時も、タバコの臭いがした。
マミの家は誰も吸わないので、臭いには敏感だ。
——蒼真が、吸ったのだろうか?
あの部屋は梅子と透が使っていた。
透が吸っていた臭いが、部屋に残っていただけなのか?
「マミちゃま、ブログに事件の事、書くの?」
ユカからは優しいジャスミンの匂いがする。
「まだわかんない」
「バズりそうじゃん」
「細々でいいの。収益狙ってないし。好きな映画とか、ドラマの感想書いてるだけなんだ」
「お勧め映画ある?」
「バンパイアの男の娘と、めっちゃ可愛い男の子が出てくる映画。せつなくっていいよ」
「男の娘は好物じゃ、ヨダレでそ」
ユカは腕で口をぬぐう仕草をした。
「二人が壁越しにモールス信号で会話するシーンが、すごく好きで、私、その映画観てから、モールス信号覚えることを自らに課したのだよ」
「ななめ上いってて、よき」
「ユカどん、あとで住所教えて、DVDプレゼントする。シホりんも気に入ると思う」
「ありがたき幸せ」
ユカがひれ伏す真似をした時だった。
ノックと同時に部屋のドアが開き、宇佐美が入ってきた。
「他のみなさんは、どこです!」
宇佐美らしからぬ怖い声に、二人は一瞬怯んだ。
「——シホは、トイレです」
マミが言うと、ユカも口を開いた。
「……女の子の日だから」
動揺しすぎて余計なことまで言ってしまう。
「……時間、かかってるだけです……」
「藍子さんと透くんは?」
宇佐美に訊かれて、二人は同時に透が出ていった窓を指差した。
「……タバコ、吸ってます」
マミが言うと宇佐美は大股で窓に向かった。
(怖いね)と囁きながらユカは、マミの手を握る。
(事件の捜査中だからね)とマミも囁く。
透は、すぐに部屋に戻ってきたが、藍子は宇佐美に反抗的だった。
(あの人、なんなの?)と憤慨したようにユカが囁く。(宇佐美様に逆らうとか、ありえん!)
マミも大げさに肩をすくめた。
藍子さんも疲れて、苛立っているのかもしれない——。
夜が明けて、明るくなれば少しは違ってくるだろう。
もう少しの辛抱だ。
朝が来たら梅子を探しに行こう。
「透くん! 今から誰もこの部屋から出してはいけませんよ!」
透に命じて宇佐美は部屋を出て行った。
「なんだよ、偉そうに」と、藍子はビリヤード台に置かれたコンロに火をつけてお湯を沸かした。
ユカがハイハイをしながら、また部屋の奥に引っ込んで行く。
マミも二人分の毛布とクッションを持って、ユカの後を追った。ついでに近くのキャンドルもいくつか持って行く。
「私、宇佐美様に怒られたくない。絶対、ここにいる」とユカは小声で言った。
マミはユカのためにクッションをセットしながらうなずく。
「だね」
シホが戻って来た時のために、他のクッションも集めておこうとマミが立ち上がった時、藍子が透に紙コップを渡していた。
香りから察するにコーヒーだろう。
「マミちゃん達も何か飲む?」
藍子に言われて、マミはユカを見た。
ユカが激しく首を振る。
あの女からは何も受け取らん、といった決意が顔に表れていた。
「私達はいいです」とマミは断り、クッションやライトを持って、ユカの近くに戻った。
毛布を敷き、壁にクッションを置いて、シホが座る場所を作ると、マミはまた今日の出来事を書き始めた。
——おかしな事の始まりは、遊歩道を歩いている時だ。
崖の上に立つ人影を見た時、『姉がいる』と朱美は手を振った。
その人影も手を振っていた。
あの時、マミは朱美のすぐ近くにいた。
太陽が眩しかったが、崖の上の人物が顔を隠すように帽子を深く被り直すのが見えた。
こっちは逆光だが、向こうは眩しくないはずなのに……。
膝丈のチュニックワンピースにダボダボのパンツを身に着けた『朱美の姉』はすぐに引っ込んで、姿を消した。
『翠眼亭』に着き、朱美の姉がいないと聞いた時、マミは今井の様子を伺った。
体型隠しのようなダボついたワイドパンツを穿いているのは、今井しかいなかったからだ。
『崖の上で、朱美さんのお姉さんのフリをしていたのは、もしかして今井さんですか?』
と、こっそり今井に訊いた。
今井はオドオドしながら口の中で何かぶつぶつ言い、逃げるように二階に上がって行った。
その後、すぐにユカの人形の首が切られる事件が発生。
梅子に言われるまでもなく、マミは今井を疑ったが陰湿な中年男にこれ以上関わるのは、やめることにした。
そして機会があったら、朱美に話してみようと思っているうちに、今井は亡くなってしまった。
「マミちゃま、見て。めっちゃよく撮れてる」
ユカがスマホの写真を見せてきた。
昨夜、三人で泊まったビジネスホテルで撮った写真だ。
「電池の持ちいいね。私の瀕死状態だから怖くて使えない」
電波が通じる所に行けたら、まず親に電話しよう。
きっと心配している。
円明園の竜の像の話もしないと……。
清朝時代の流出文化財が闇ルートで売買されているのではと、マミの父親は危惧していた。
突然ハッとなり、マミはペンを持つ手を止めた。
横には嬉しそうにスマホの写真を見るユカがいる。
「……ユカ、スマホ見つかったの?」
ユカはしまったという顔をする。
失くなったと大騒ぎをし、梅子が持って行ったと嘆いていたユカのスマホ——。
それがいまここにある。
「……どこで、見つけたの?」
そうユカに訊いた時だった——どさりと何かが倒れる音がした。
音がした方に顔を向けると、藍子や透がいるはずの入口付近は暗かった。
「藍子さん、どうかしました? そっち真っ暗ですね。電池切れですか?」
誰かが近づいて来る気配がする。
「私、こっちにキャンドル持って来すぎちゃいましたね。そっちに戻します」
マミは腰を上げる。
「座ってて下さい」
低い男の声がした。
男は顔をマスクで隠し、手にナイフを持っている。
「俺たちの目的は宇佐美を捕まえることです。皆さんには危害を加えません」
何を言ってるの?
「……蒼真さん、ですよね?」
あまりにも現実味のない状況に、マミはポカンとした。
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