第36話 暗転②

 真っ暗な二階に上がった宇佐美は警戒しながら、左翼側の廊下を進んだ。

 物音は一切しない。


 一階で聞いた音は、空耳だったのか。

 崖の上に立つ黒い人影を見てから、気が休まる暇がない。

 そろそろ疲れが出てきたか……。


 宇佐美は204号室のドアノブに手をかけた。

 鍵が掛かっていることを確認する。


 203、202共に鍵が掛かっていた。


 そして一番奥、201号室の前に立った。

 中からは何の音も聞こえない。

 だが予感があった。


 ——誰かいる。


 映画やドラマのワンシーンなら、警官がドアを蹴って拳銃を構えるところなのだろうが、非番の宇佐美は無論拳銃を携帯していない。


 まあたとえ持っていたとしても、どんな相手か分からないのだから、なるべく刺激しない方法を取るが。


 宇佐美はドアをノックした。


「開けますよ」


 努めて呑気そうな声を出して、細めにドアを開いた。


 青い光が見えた時、安堵したのと同時に、いったいどうやって部屋に入れたのか、何をしているのかと様々な疑問が湧いた。

 一気にドアを開ける。


 懐中電灯で部屋の中を照らすと、驚いた顔のまま固まっているシホが見えた。

 シホの前には、宇佐美のボストンバックが、チャックが開いた状態で置かれている。


「何をしているんですか?」

「——メルアドと電話番号、入れた——ここ出たら、はぐらかしそうだから」

「どうやって、中に入ったんですか?」

「ジャケットのポケットに鍵、あった」


 シホは201号室の鍵を宇佐美に手渡した。


 シホに言われて思い出した。

 とおるがびしょ濡れで戻って来た時、宇佐美は透の肩に自分のジャケットをかけた。部屋の鍵はその中に入れたままだった。


 宇佐美は受け取った鍵にライトを当てた。


 真鍮の鍵には『201』とかかれた木製のキーホルダーがついている。

 数字が違うだけで、『翠眼亭すいがんてい』の部屋の鍵には全て同じキーフォルダーがついていた。


「——そうですか」

「怒った?」


 鍵を見つめたまま黙っている宇佐美が気になったのか、シホが言う。

 宇佐美は全く別の事を考えていた。


「一階に行きましょう」


 シホを促して、部屋を出た。

 宇佐美はシホから受け取った鍵で、鍵を掛けた。


「シホさん達は、207と208の続き部屋ですよね? 鍵は誰が持っているんですか?」

「マミ」

「二つだけですか? 予備は受け取ってないんですか?」

「マミが持っているのだけ」




 階段まで来ると宇佐美は「ここで待っていて下さい」とシホを待たせて右翼側の205号室のドアに向かった。


 シホはサンダルの音をたてながらついて来たが、宇佐美は何も言わなかった。


 205号室は当然鍵が掛かっている。

 美土里から預かった合鍵の束の中から、宇佐美は205号室の鍵を取り出した。


「向こうを向いていて下さい」と後ろに立つシホに言う。


 シホは何も言わず、大人しく従った。


 205号室は、最後に見たままだった。

 暗い室内に梅子の遺体が仰向けに横たわっている。


 宇佐美はさっと確認しただけですぐにドアを閉めると、鍵を掛けた。

 次の部屋に向かう——。


 206


 宇佐美は中に入り、ライトで部屋の中を照らした。


 窓辺に置かれた丸テーブルの上に光るものがある。

 近づいてみると、それは梅子の指輪だった。

 宇佐美は苦笑いした。


 ——やれやれ。


 書物机に置かれたテッシュで大粒のダイヤの指輪を包むと、宇佐美はそれをポケットに入れた。


 ——透との約束が果たせそうだ。


 部屋を出ると、シホが後ろを向いていた。

 宇佐美はドアを閉めて、合鍵を使って部屋に鍵を掛ける。

 振り返ると、シホが宇佐美を見上げてきた。


「一階に戻りましょう」

「私達の部屋は?」


 必要ありませんと、宇佐美は首を振った。

 




 

 


 

 

 

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